何ができるかな? あかぎのまど。


糸井重里が昔から、なんとなく縁のある
ぐんまけん・赤城山で、
ほぼ日、なにかやれたらと思っています。
‥‥といっても、そんなに最初から方針を固めず、
だいぶ自由にのびのびやります。
みんなで、たのしそうなほう、面白そうなほうへ。
ときどきのぞきに来てみてください。


sanami.yoshino

赤城山頂駅記念館 サントリー
ビア・ハイランドホールの歴史

2024/12/20 11:00
ケーブルカーの駅舎としての役割を終えた、
旧赤城山鋼索鉄道の赤城山頂駅駅舎。

その後、建物は
「赤城山頂駅記念館
サントリー ビア・ハイランドホール」
(以下“旧山頂駅”)として営業してきました。

お父様と二代に渡って
旧山頂駅を長らく支えて来られたのが
有限会社大沼山荘の
塩原勲さんと、そのご家族です。

塩原さんは、赤城山で生まれ育ち、
高校進学のタイミングで山頂を離れるも、
社会人になって数年の後、
お父様の事業を支えるべく、
赤城山とまた深く関わるようになったとのこと。

今回、改めて塩原勲さんに、
旧山頂駅のこれまでと、
これからの期待についてお伺いしたので、
少しご紹介させていただきます。


ー 旧駅舎が今の姿になるまで。

赤城山でケーブルカーが運行していた時代から、
お父様やご親戚が赤城山頂エリアで
旅館や貸しボート、スキー場など
複数の事業を営まれていました。

1968年の廃線から約20年が経った80年代後半、
東武鉄道グループから廃線後の駅舎を
引き継いでいた民間事業者が
ここを手放すことになりました。
すばらしい眺望は資産であると考えていたお父様が
「新たに展望事業を」と、
旧駅舎を引き継ぐことを決意したそうです。

当時は、鋼索鉄道時代そのままの駅舎で、
「すごく重いシャッターが建物周囲を
覆っていたのを覚えています」と塩原さん。

新たな観光施設にするにあたり、
旧駅舎の北と西側の下屋を撤去し、
厨房や客席、大窓のある2階の展望室を
設ける形で増築。

現在の“旧山頂駅”の建物の形になったのが、
今から約30年前の1993年の頃です。

ー バーベキューホールの誕生。

当時は、山頂で食べられる食事といえば、
うどんや蕎麦が定番だった時代。

一方、せっかくの自然豊かな場所で
楽しみたい食事といえば、
バーベキューではないか、
とお父様と思案したそうです。

とはいえ、群馬県赤城といえば
「からっ風」「赤城おろし」と名物になるほど
ともかく風がつよい場所。

(真冬に鳥居峠を訪れたほぼ日のは、
あまりにも強く冷たい風に、
「首がもげるかと思った!」と評していました)

そんな風が強い環境で屋外バーベキューは
なかなかに厳しいので、
屋内で楽しめるバーベキューホール
という形態にたどり着いたようです。

ーサントリーとのご縁

サントリーは1980年代から
群馬に生産拠点があり、
赤城山水系は天然水仕込みの
水源のひとつでした。

鳥居峠から少し下がったところの湧水も
同じく赤城山水系の地下水であることから、
赤城山の恵みである天然水を
訪れる人にも楽しんでもらえるよう、
塩原さんらが企画を持ちかけ、
サントリーとコラボした
「サントリー ビア・バーベキューホール」
が誕生した経緯があるとお話しいただきました。

当時の利根川工場に視察も行ったそうで、
ビアバーベキューホールを盛り立てるべく、
色んなかたちでご協力いただいたので
あろうと推察される名残が、
旧山頂駅の店内そこかしこに見られます。

ー 時代の流れとこれからに向けて

山といえば蕎麦・うどんの時代に珍しかった
山頂のバーベキューホールは、
ファミリーやグループ利用で賑わっていましたが、
徐々に山頂を訪れる客層や
山で好まれる食事なども変化していきます。

もちろん、旧山頂駅への影響に限らず、
エリア一帯でも様々な変化、変遷が見られた中、
2010年頃に山頂エリアの住民を中心に、
「AKAGIやる気塾」を発足し、
赤城山全体の未来や足元の振興策について、
色んな議論を重ねてきたとのこと。

コロナ禍を契機に旧山頂駅は、
「バーベキューホール」から
「ハイランドホール」へ名称も新たに、
現在の旧山頂駅の業態に至ります。



ほぼ日がご縁あってあかぎに携わるようになり、
旧山頂駅はまた新たなフェーズに向かいます。

鳥居峠とそこに建つ旧駅舎が
訪れる人々にとってどんな場所であったのか。
この場所を守ってきた方々が
どのような想いや期待を込めて
時代に応じた工夫や変化を重ねてきたのか。
赤城山頂エリア全体が大きく変化する
ひとつのタイミングで、この場所から
どのように共にエリアを盛り上げていけるのか。

改めて先人の皆さまに敬意を抱くとともに、
「やさしく、つよく、おもしろく。」
ここでの場づくりに取り組んでまいります。
sanami.yoshino

赤城山頂の「かつての駅舎」

2024/12/20 11:00
 「旧駅舎という場で、
ほぼ日はなにができるのか?」

ほぼ日は、あかぎで場つくりに挑戦中です。
そのはじめの一歩は、赤城山頂の鳥居峠から。

具体的には、鳥居峠にある、
「旧赤城山鋼索鉄道 赤城山頂駅駅舎」が
その舞台です。

はじめてこの構想を聞いたとき、
「かつての駅舎」という響きだけでも、
まだどんな場所か具体的に知らないうちから
なんだかワクワクしたのを覚えています。

「駅」ってことばを思い浮かべただけで
人によっては、ノスタルジーを感じたり、
旅立ちや別れ、出会いを思い出したり、
日常のワンシーンやお出かけの高揚感など。
きっと其々に思い浮かべる、
具体的な駅の映像とまつわるエピソードが
あるのではないでしょうか。

私の中でぱっと思い浮かぶ駅は、
小学生の頃、通学に使っていた駅でしょうか。

Herrliberg-Feldmeilen駅

スイスのチューリッヒ郊外にある
住宅街の小さなローカル感が漂う駅です。

隣町からスクールバスに乗るために、
数駅分の電車通学に利用していました。

日本の首都圏のように数分おきに
電車が来ることはなく、
また、時刻表もあまり正確ではありません。

家から駅までの坂道を下る途中で、
電車が近づいてくるのが眼下に見えたときには、
それはもう猛ダッシュです。

改札がないので階段を降りた
勢いそのままに電車に駆け込んでいました。
(注)皆さま危険なので駆け込み乗車は
決してしないでください。

逆に、人影がまばらなホームで待てど暮せど
電車が来ない、なんてことも。
ようやく構内放送がかかったと思ったら、

「運転士さんが寝坊をしたので、
次の電車は来ません」

「!!!」

もはやスクールバスに間に合うはずもないので、
下ってきた坂をこんどはダッシュで上り、
自宅に戻って親に頼み込んで
学校まで送ってもらったのも良き思い出です。

なんてことのない日常の一コマだったのですが、
坂を下って、コーナを曲がると、
見えてくる線路とホーム、その先の湖の景色は、
歳月が経ってもはっきりと映像として残っています。


‥‥と、駅にまつわるエピソードひとつで
だいぶ脱線していまいますね。
失礼致しました、本題は「赤城山頂駅」です。

あかぎのまど。でも何度かご紹介している通り、
赤城山にはかつて「赤城山鋼索鉄道」が通っていました。

東武鉄道グループの
赤城登山鉄道株式会社が運営し、
旧黒保根村(現桐生市)にある「利平茶屋駅」と
旧富士見村(現前橋市)の「赤城山頂駅」とを
結ぶケーブルカーでした。

浅草駅から群馬県内の
新大間々駅(後の赤城駅)の路線をもつ
東武鉄道株式会社が、赤城山の観光開発のため
首都圏と赤城山を結ぶ回遊ルートを計画したものです。

1956年建設、1957年開業、
1968年に全線廃止。
約10年という短い期間でしたが、
当時から四季を通じてたのしめる観光地として、
赤城大沼を中心に観光客で賑わったようです。

赤城登山鉄道の廃業後から少し時間があいた後、
1983年に「展望レストラン」が営業を開始、
1994年に「赤城山頂駅記念館
サントリー ビア・バーベキューホール」
と改称し、現在の
「赤城山頂駅記念館
サントリー ビア・ハイランドホール」
につながっていきます。

そして、「鋼索鉄道」という言葉。
聞き慣れない方が多いかもしれませんが、
鋼索(ケーブル)に繋がれた車両を
巻き上げ機により運行する鉄道で、
車両に動力は無く、運転手は駅舎等の建物内で
ケーブルの操作等を行い運転するものとのこと。

実際、現在の旧駅舎の地下空間では、
当時の巻き上げ機の名残を確認できます。

地下部分は倉庫として利用されていたため、
来館者が目にする機会は
これまでほとんどなかったのですが、
現地に通う中でこの名残を目にした
乗組員たちは思わずテンションがあがったので、
なにかしらの形で皆さまが、
ケーブルカーの歴史・名残を
見て、感じることのできる空間や
仕掛けにできたら、なんて話もしています。

「駅舎」という象徴的な空間を活かしながら、
どのようにほぼ日らしい場に転換できるのか。
日々、絶賛アイデアを巡らせ中です。

桐生市のホームページ上で、
ケーブルカーが運行していた当時の姿を
垣間見ることができるので、ぜひ、
これらの名残がどんな形で残っているのか、
想像していただけたらと思います。


また、よろしければ皆さまの
「駅」エピソードもぜひ教えてください!
sanami.yoshino

車で行ける、雲海スポット。

2024/11/29 11:00
鳥居峠で出会える絶景といえば
「雲海」が外せません。
6月から11月ごろにかけて、
鳥居峠から桐生市側を見たときに、
気象条件が揃えば見られる自然現象です。

雲海と言うと、めったに出会えないレアな現象、
あるいは見える場所まで行くのが少し大変、
という印象があるかもしれません。

ですが鳥居峠は、
市内から約1時間のドライブで
たどり着けるので、例えば、
「今日雲海出てるよー」
そんな情報見つけたら、
ぱっと車に乗って駆けつけると間に合うかも。

長く赤城山に通っている乗組員の一人
は、なんとつい先日、
ようやく初めての雲海に出会えたと
言っていましたが、
実は、私、雲海遭遇率は
結構高いかもしれません。

赤城山の麓から山頂エリアに向かう際、
雲の様子を観察していると、
榛名山の方角は晴れているのに、
赤城山はすっぽりと雲に覆われている。
そんな日はもしかしたら雲海が出ているかも、
と期待しながら峠道を上がっていきます。

‥‥と、運良くであえたりします。

朝方が出現確率が高く、
午後には消えてしまうことも多いようですが、
ここ最近は1日中、
雲海が出ていることもあります。

何度か遭遇していると、雲海も色々で、
桐生市側から雲がむくむくと湧き上がり、
すっぽりと市街地を覆い隠し、
すぐそこまで一面の雲海が広がる時もあれば、
山の稜線がうっすらと雲の合間から顔を出し、
まるで内海に浮かぶ多島美のような
景観を見せる時もあります。

3枚目の写真は、
別件で11月のある日に群馬に出かけた
乗組員一行のようす。
この日も見事な雲海!



鳥居峠初訪問の乗組員が多いのに、
いきなりの雲海遭遇!
そのときまだ雲海に出会えていなかった
イシザワは、ちょっと悔しそうでした。

----

そして、雲海の話とともに、
鳥居峠といえば‥‥ということで、
ほぼ日の赤城山での動きのことを
すこしご紹介させてください。

御神水をご紹介したときにも触れましたが、
鳥居峠では、かつて「赤城山鋼索鉄道」という
ケーブルカーが通っていました。
出発点が桐生市側の利平茶屋、
終着点が鳥居峠にある山頂駅です。

このケーブルカーが実際に活躍したのは
1957年(昭和32年)から約10年程度。
現在の赤城山に向かう主要な交通導線である
前橋─赤城山頂間の道路の改良が進むなど
いくつかの背景があり、その役目を終えたようです。

ですが、ケーブルカーの運営が終了した後も、
その山頂駅の駅舎は、その役割を変えて、
この場所に残っています。

実はほぼ日では、
この山頂駅の駅舎にご縁ができて、
この駅舎を起点にして
何か場づくりをできないかと、
赤城山に通いはじめています。
(だから通っている乗組員も多いのでした)

四季折々で魅力が溢れる自然豊かな赤城山。
地域の方に昔から愛され、
信仰の対象にもなってきた場所でもあります。

一方で、群馬県が主導となった
赤城公園の活性化」の動きもあり、
ある意味で、
山頂エリアが少しずつ変化しはじめている
タイミングで始まった、
ほぼ日と赤城山のご縁です。
「この場所でなにができるかな?」
の、ワクワクする第一歩。

「あかぎのまど。」では引き続き、
いろんな話をご紹介していきたいと
思っていますので、
一緒に見守って頂けると嬉しいです。

あらためまして、
どうぞよろしくお願いいたします!
sanami.yoshino

絶景のパノラマ、鳥居峠。

2024/11/29 11:00
赤城山の山頂エリアを
ぐるっと巡ってご紹介してきましたが、
今回ご紹介するのは、「鳥居峠」です。

実はこここそ、いろんな方に
知ってもらえたらいいな、
と思っている場所。

大沼の湖畔にある大同地区や赤城神社、
覚満淵から少し上がると、
赤城公園のビジターセンターがあります。
その前を通って、
さらに道のほぼ突き当たりまで進むと、
かつての駅舎が出迎える、
鳥居峠に到着します。

少し高台に位置する鳥居峠は、
山頂エリアでも有数の絶景ポイント。
ですが、実は山頂エリアに遊びに来ても、
鳥居峠を知らず、
ここまで上がって来ずに峠道を戻る方も
いらっしゃるとのこと。

鳥居峠に到着し、大沼の方に視線を向けると、
手前から覚満淵、その奥に大沼、
右手には駒ヶ岳から黒檜の
赤城山の稜線がのびる
180度以上のパノラマの景観が広がります。

山頂エリアの全体が見渡せるので、
「あそこでさっきお昼食べてたね」
「ボート乗ったのはそこだね」
「木道を歩いたのはあのあたりかなぁ。」
そんな感じで、山頂エリアを巡ってきた
振り返りもできちゃいます。

ここから見える景色は、
季節によって本当に表情が変わります。

春先から夏にかけては、訪れるごとに、
山の緑がどんどんと濃くなります。
真っ青な空の下、青々とした木々の中に
ぽっかりと大沼や覚満淵の形が浮かび上がり、
何重にも織り成す、青と緑のコントラストが
とても美しい景観を見せてくれます。

季節も進み秋になると、
山全体で徐々に紅葉が進み、
鳥居峠から見渡すと、
手前にはススキがわさわさと揺れ、その奥に、
赤や黄色の色鮮やかな景観が広がります。

個人的にはタイミングを逃してしまい、
今年は紅葉真っ盛りの景色には
出会えなかったのですが、
来年こそは、と狙っています。

紅葉が過ぎて、葉が落ちる頃になると、
覚満淵の辺りがベージュっぽい色合いを見せ、
そこに赤城山一体の木々の枝ぶりが
黒いシルエットのように浮かび上がってきます。

11月にもなると、一気に山の気温が下がり、
黒檜などの山頂の方では霧氷と呼ばれる
空気中の霧や水蒸気などの水分が
樹枝に着氷し凍りつく現象が見られるため、
日が差すと山全体がキラキラとしています。

さらに季節が進み、雪が降りしきる冬場は
一面真っ白な世界で、
大沼が全面結氷する頃には、ワカサギ釣りの
ドームが点在する様子も見て取れます。

1つの角度からの景観なのに季節によって、
ここまでも表情が変わるのは、
改めて四季がある日本ならではの
光景だなぁと、何度も実感しています。

どの季節に行っても素敵な景色を
見せてくれるので、ぜひ時期を変えて
鳥居峠まで足を伸ばしてみてください!

そろそろ雪が舞い始める季節ですので、
天候や山頂エリアの観光協会や
事業者の方々が発信される情報なども頼りに、
絶景を見に訪れてみてはいかがでしょうか。

※峠道、且つ麓と気温・天気が異なりますので、
くれぐれも季節にあった装備でどうぞ安全に。
sanami.yoshino

大沼のほとり、赤城神社。

2024/11/14 11:00
黒檜山(赤城山の最高峰)入口の
登山口から、おのこ駐車場まで戻る途中、
湖側に現れる場所。

山頂からも、大沼の湖上からも、
自然の風景の中でもぱっと目に留まるのが、
朱塗りの美しい、
大沼湖畔に佇む赤城神社です。

少し高い地点から見るとよくわかるのですが、
ぽこっと湖に半島のように
出っ張った箇所に建っています。

赤城山と湖の神様である
「赤城大明神」を主祭神とし、
赤城山を神体山として
お祀りしている神社です。

山頂エリアを巡っているときに、
神社の朱色が遠くから
目に留まるのも印象的ですが、
神社の入口から手水舎あたりまで
歩を進めたときの景色が、
個人的には、わぁ、となります。

湖畔に面して大げさな手すりなどもなく、
まるで湖とそのまま一体であるかのような
美しい風景がぱっとひらけます。
人工物が殆ど目に入らず、
まさに「赤城山と湖の神社」という感じ。
おそらく昔から変わらぬ
景観なんだろうなぁ、と思います。

本来であればこの神社のある
半島に向かって、湖畔の道から
朱色の橋がのびているのですが、
現在この「啄木鳥橋(きつつきばし)」は
架替作業が続いています。
工期は令和7年2月までの予定とのこと、
橋の全貌があらわれたときの景観が
楽しみです。

ちなみに、ホームページによれば
登山口8箇所に鳥居が設けられており、
前橋方面から赤城山に向かう
4号線の途中に、大鳥居が建っています。
1784年(天明4年)に建立された
「一之鳥居」があった地に
1965年(昭和40年)の道路拡張時に
新たに建設されたのが現在の大鳥居とのこと。

何度か通ううちに、車でこの鳥居をくぐると、
「あ、赤城にやってきたな」と
実感するようになりました。
まさに赤城山の登り口といった感じです。

前橋方面から赤城山に訪れる際には、
ぜひ4号線の大鳥居をくぐって、
山頂を目指してみてください!
sanami.yoshino

ケーブルカー跡を歩いて、
鳥居峠の御神水まで。

2024/11/14 10:59
「峠(とうげ)」という漢字の
成り立ちは、
山の上りと下りの境になるところ。
これをまさに体感してきました。

駒ケ岳・黒檜山を登った4人は、
翌朝さらに歩きました。
は、下から。
は、上から。
とある場所での合流を目指して出発します。

出発地点は、
下から組が、利平茶屋森林公園。
上から組が、赤城山頂駅記念館
サントリービア・ハイランドホール。
合流地点は、
鳥居峠の御神水が湧くところ。

鳥居峠ではかつて
「赤城山鋼索鉄道」という
ケーブルカーが運行されていました。
始点が、桐生市側の利平茶屋駅。
終着点が、赤城山山頂駅でした。

かつてケーブルカーが登っていた斜面を、
足でアプローチしよう!という試みです。

利平茶屋で下から組の
二人の出発を見送ってから、
車で山頂駅へ向かいます。
赤城山の東側をぐるっと周って移動しました。

山頂駅に着いたら、そこから約300m、
ケーブルカー跡に残る階段を頼りに、
恐る恐るくだります。
おおよそ800段とも言われますが、
正確なところは確認できていません。

一方の下から組は、
キャンプ場内のケーブルカー跡の
階段をのぼりはじめたところ、
その先が繋がっていないことが発覚(!)。
仕切り直して、少し下ったところにある、
鳥居峠に向かう登山口を見つけて
再出発したそうです。


一足先に合流地点に到着したのは、
われわれ上から組。
目的地である御神水は、
工事現場にあるような足場階段をわたり、
ちょっとした岩場を下った先にありました。

「美人の水」「智慧の水」「御神水」
と書かれた3本の水。

まずは手で受け止めながら
ゴクゴクと飲みます。
手ぬぐいを濡らして首に当て、
持参した水筒にあらためて水を汲んで、
腰掛ける場所を見つけて、
ホッと一息。

木漏れ日が落ち、
苔むした岩と、水の音。
「人心地つく」とは
まさにこのことか、と。

そうしているうちに、
なにやら楽しそうな笑い声が
聞こえてきました。
下から組も到着したようです。

「おーい!」と呼びかけるも、
こちらの声は水でかき消された様子。

お互いの姿が見えて、ようやく
「おつかれさまでーす」「ついたー!」
と言葉を交わし、
各自思い思いにその場所で落ち着きます。

しかし実はあまりゆっくりもできず。
実はさんたちと
山頂駅で合流予定の時間が迫っていました。

息を整えたら、山頂駅を目指して再出発です。
約800段が待っています。

「この階段、下りと上り、
どっちのほうが怖いか?」なんて
会話をしながら、
ときたま振り返ると圧倒されます。

足元に注意しながら、
最後のほうはかなり黙々と
一歩ずつ歩みを進め、無事到着!

糸井さんたちに「おまたせしましたー」
と合流したのはいいものの、
4人共まるでお風呂上がりのごとく
頭の先から服に至るまで、汗がぽたぽた。

糸井さんと一緒に出迎えてくれた
乗組員の表情たるや‥‥。
これはまずい、と挨拶もそこそこに、
とりあえず車からタオルと着替えを拾って
トイレに駆け込んだのでした。

<おまけ>
前橋BookFesに家族で遊びに来た
(写真4枚目)。
朝、鳥居峠から御神水まで行ってからの
前橋での本探し、というつわもの。
「下りは20分くらいだったかな」と
軽快に報告してくれました。
うーん、良い笑顔!
sanami.yoshino

はじめての赤城山 登山。

2024/10/31 11:00
山頂エリアを巡っていますが、
ここはやはり一度は自分の足で登らねば。

ということで、おさらいになりますが、
日本百名山にして、上毛三山のひとつ。
黒檜山(標高1,828m)を最高峰に、
駒ケ岳、地蔵岳、鍋割山などから
成る連峰、赤城山。

ほぼ日の山登り名人・やすなを頼りに、
登山計画をたて、この4人で登ってきました。
(左から登山経験値順)


東京を朝に出発し、新幹線で高崎駅へ。
寄り道してお昼ごはんを調達したりしながら、
車で向かい、昼前からアタック開始です。

おのこ駐車場に駐車し、駒ケ岳入口から出発。
平場 > 駒ケ岳山頂 > 大ダルミ >
黒檜山山頂 > 猫岩 > 黒檜山入口
そこからは赤城神社の横を通りながら道路沿いに
駐車場まで戻ってくるルートです。

距離にして約5.0km、高低差572mに挑戦する、
登山の経験値も体力もバラバラな一行。
お天気に恵まれるなか、やすみやすみで、
4時間半くらいかけての登山でした。

私が一番、足を引っ張る形ですが、
それでも少しでも楽な登り方を指南してもらい、
一歩一歩と踏み出し続けることで、
気がつけば次のポイントにちゃんと到達。

「人間の足ってすごい」
とみんなで噛み締めていました。

夏の低山は暑いねと言いながら、
汗だくになりながらも、周りの緑や、
ぱっと眼前が開けたときの風景に感動。
いつもなら今頃はPCに向かっているときか、と
なんだか不思議な感覚になりながらも、
戻ってきたときの達成感は心地よいものでした。


最後のほうのだいぶ疲れが溜まってきた頃に、
少々勾配にきつい下りの岩場があるのですが、
逆ルートでサクサクとそこを登ってくる
人生の先輩方とすれ違ったときには、
ただただ尊敬の念を禁じ得ません。


いわく、
赤城山は実は雪山デビューにぴったりとのこと。

登山慣れしていない身としては、
雪山登山は少しハードルが高そうですが、
スノーシューデビューはしてみたいかも、
と思えたはじめての赤城山登山でした。
sanami.yoshino

晴れても霧でもイチオシ。

2024/10/31 11:00
「天空の水たまり」

山頂エリアをさらに奥に進んだ
“小沼(この)”。
地蔵岳の寄生火山が噴火した際の
爆裂火口に水が溜まってできた
火口湖で、一周約1キロ。

空気の流れや光の加減など、
心地よいと感じる環境が似ている
と私の、
赤城山頂エリアでのイチオシスポットです。

ひと足先に小沼に出会っていた私たち。

「小沼がすごい良かったんです!!
ぜひみんなで一緒に行きましょう!」

と前のめりな私たちに対して、
幼少期から赤城に慣れ親しむ糸井さんは、
「いやいや。行ってもいいけど、
正直大したことなかったような。
わざわざね‥‥」
と少し後ろ向きな感じながらやってきました。


ポツリと「いいねぇ」

着いた時の一行の反応に思わず、
ほら、いいでしょう、
とにんまりしてしまいます。

何が良いって、地元の人が
ゆったり思い思いに過ごしているところ。

観光客は立ち寄るだけの方も多いですが、
地元の方はここで過ごすことを
目的にやってきていて、
それぞれにすっと場に馴染んでいる様子が
何とも心地よく感じられました。


私たちがはじめて訪れたのは、
7月の晴れた小沼。

地蔵岳への登山口の駐車場から道を渡り、
段幅大きめの階段をタンと降りていくと、
おっきな犬が、浸かっていたのが見えた。

水遊びではなく、完全に浸かっており、
さながら温泉を楽しむカピバラのように
何ともいえず気持ちよさそう。

聞けば沼田市から車で小一時間、
よく遊びに来るのだそう。
そして浸かったまま、まったりとするのも
いつもの過ごし方とのこと。


糸井さんたちと来た8月の頭は、
大沼は晴れているのに、小沼は一面の霧。
「まるで摩周湖みたいだね」
なんて言いながら、
幻想的な風景をたのしみました。

夏休みということで、人も犬も増えて、
前回よりも賑わいがある様子。

奥の方では大型の黒い子が2匹、
親子だろうか? 兄弟だろうか?
いつぞやの温泉に浸かる子とは打って変わって、
こちらはジャブジャブと水飛沫をあげて、
興奮を抑えられず、
思いっきり水と戯れているのが、
遠くからでもよくわかります。

手前ではのんびりとお散歩されるご夫婦や、
シートを広げてお弁当を食べるご家族も。

何人かの方に伺ってみると、
前橋市からです、桐生市からです、
渋川市からです、と。
まさに赤城山の麓、四方から、皆さん
ここを目指してやってきているようです。


いつも赤城山に来ると
何かと慌ただしく過ごしてしまうけど
のんびり小沼で過ごす時間も作りたいものです。

ちなみにこの小沼は、大沼(おの)や
覚満淵より少し標高が高い1470m。
駒ヶ岳、黒檜山登山をしていると、
まるで空にぽっかり浮いて見えます。

その様子も何とも不思議で、
まさに天空に突如現れた水たまりのようでした。
sanami.yoshino

ちょうどよい、湿原

2024/10/17 11:00
少し前のこと、糸井さんまじえた一行で、
大沼の少し先にある
覚満淵(かくまんぶち)へと行ってきました。

覚満淵は「小尾瀬」とも呼ばれる
周囲1kmほどの小さな湿原です。

実はゲートが複数箇所あることをこのとき
はじめて知ったのですが、
今回は「覚満淵入口」のバス停脇から入り、
ビジターセンター前のテニスコート脇から
出てきました。

中の木道は本来、一周約30分ほど。

我々が行ったときは、木道整備のため
残念ながら一周とはいかなかったのですが、
みんなで一列になって、
「ここチクっとするから気をつけて」などと
わいわいと声をかけあいながら、
草木の間をかきわけながら、
ぱっと開けた木道に出た時は
思わず「わぁ」と声があがりました。

少し前に尾瀬に行く機会があったのですが、
ここが「小尾瀬」と呼ばれるのも
納得の景色。

尾瀬ヶ原・尾瀬沼は、
それなりの距離と時間をかけた先に
たどり着く、達成感ある場所。

対して赤城の覚満淵は、
車でさっと入口まできたら、
気軽に散策ができちゃう。

あかぎに通いはじめてできた知人も、
「お天気よかったからお弁当つくって
ふらっと覚満淵まで」
なんてSNSに投稿していたのも、
納得です。

どちらもそれぞれの良さがあるけれども、
覚満淵から出てきたときに
が、るんとした口調で発した
「ちょうどよい!」
がよく表している気がしました。

ちょうどよい、湿原。
それが赤城山頂エリアの覚満淵です。
sanami.yoshino

市内 -10℃の避暑地。

2024/10/17 11:00
赤城山を知ろう、ということで、
色々な乗組員が機会を変えて足を運んでいますが、
もちろん糸井さんが一緒のときもあります。

8月に入ったばかりの連日35℃超えが続く頃、
一行は赤城山頂エリアを目指しました。
目的は、赤城山のフィールドを知ることです。

ちなみに関東で暑い!といえば、
埼玉県の熊谷などが常連ですが、
そういえば今年は“前橋市”も連日
テレビの天気予報で聞こえてきた印象です。

はたして自分が赤城に
関わるようになったから、
耳に入ってくるようになったのか、
あるいは近年になって
前橋も暑い都市常連として
名乗りを上げるようになったのかは
定かではありませんが、
ともかく麓のまちは暑い夏を迎えていました。

ところが峠道をぐんぐん上った山頂エリアは、
市内との気温差が約10℃ほど。
涼しいのです!

前橋市内の標高100mちょっとですが、
山頂エリアは1300mちょっとなので、
実に標高差 1200mほど。

山登りに精通するやすな曰く、
100m登ると気温が-0.6℃とのことなので、
1200m上がれば-7.2℃くらい?
あれ?計算が合わなかった…笑

実際は天候によって前後するのだと思いますが、
確かなのは
「麓より圧倒的に涼しい」ということ。

ちょっと涼みに車で山頂へ、というのも、
実は夏の日おすすめの過ごし方です。

ということで、写真をご覧のとおり、
糸井さんもあややも、
麓は8月の猛暑日にもかかわらず、
この日はしっかり長袖を着用しやってきました。