ケーブルカーの駅舎としての役割を終えた、
旧赤城山鋼索鉄道の赤城山頂駅駅舎。
その後、建物は
「赤城山頂駅記念館
サントリー ビア・ハイランドホール」
(以下“旧山頂駅”)として営業してきました。
お父様と二代に渡って
旧山頂駅を長らく支えて来られたのが
有限会社大沼山荘の
塩原勲さんと、そのご家族です。
塩原さんは、赤城山で生まれ育ち、
高校進学のタイミングで山頂を離れるも、
社会人になって数年の後、
お父様の事業を支えるべく、
赤城山とまた深く関わるようになったとのこと。
今回、改めて塩原勲さんに、
旧山頂駅のこれまでと、
これからの期待についてお伺いしたので、
少しご紹介させていただきます。
ー 旧駅舎が今の姿になるまで。
赤城山でケーブルカーが運行していた時代から、
お父様やご親戚が赤城山頂エリアで
旅館や貸しボート、スキー場など
複数の事業を営まれていました。
1968年の廃線から約20年が経った80年代後半、
東武鉄道グループから廃線後の駅舎を
引き継いでいた民間事業者が
ここを手放すことになりました。
すばらしい眺望は資産であると考えていたお父様が
「新たに展望事業を」と、
旧駅舎を引き継ぐことを決意したそうです。
当時は、鋼索鉄道時代そのままの駅舎で、
「すごく重いシャッターが建物周囲を
覆っていたのを覚えています」と塩原さん。
新たな観光施設にするにあたり、
旧駅舎の北と西側の下屋を撤去し、
厨房や客席、大窓のある2階の展望室を
設ける形で増築。
現在の“旧山頂駅”の建物の形になったのが、
今から約30年前の1993年の頃です。
ー バーベキューホールの誕生。
当時は、山頂で食べられる食事といえば、
うどんや蕎麦が定番だった時代。
一方、せっかくの自然豊かな場所で
楽しみたい食事といえば、
バーベキューではないか、
とお父様と思案したそうです。
とはいえ、群馬県赤城といえば
「からっ風」「赤城おろし」と名物になるほど
ともかく風がつよい場所。
(真冬に鳥居峠を訪れたほぼ日のは、
あまりにも強く冷たい風に、
「首がもげるかと思った!」と評していました)
そんな風が強い環境で屋外バーベキューは
なかなかに厳しいので、
屋内で楽しめるバーベキューホール
という形態にたどり着いたようです。
ーサントリーとのご縁
サントリーは1980年代から
群馬に生産拠点があり、
赤城山水系は天然水仕込みの
水源のひとつでした。
鳥居峠から少し下がったところの湧水も
同じく赤城山水系の地下水であることから、
赤城山の恵みである天然水を
訪れる人にも楽しんでもらえるよう、
塩原さんらが企画を持ちかけ、
サントリーとコラボした
「サントリー ビア・バーベキューホール」
が誕生した経緯があるとお話しいただきました。
当時の利根川工場に視察も行ったそうで、
ビアバーベキューホールを盛り立てるべく、
色んなかたちでご協力いただいたので
あろうと推察される名残が、
旧山頂駅の店内そこかしこに見られます。
ー 時代の流れとこれからに向けて
山といえば蕎麦・うどんの時代に珍しかった
山頂のバーベキューホールは、
ファミリーやグループ利用で賑わっていましたが、
徐々に山頂を訪れる客層や
山で好まれる食事なども変化していきます。
もちろん、旧山頂駅への影響に限らず、
エリア一帯でも様々な変化、変遷が見られた中、
2010年頃に山頂エリアの住民を中心に、
「AKAGIやる気塾」を発足し、
赤城山全体の未来や足元の振興策について、
色んな議論を重ねてきたとのこと。
コロナ禍を契機に旧山頂駅は、
「バーベキューホール」から
「ハイランドホール」へ名称も新たに、
現在の旧山頂駅の業態に至ります。
ほぼ日がご縁あってあかぎに携わるようになり、
旧山頂駅はまた新たなフェーズに向かいます。
鳥居峠とそこに建つ旧駅舎が
訪れる人々にとってどんな場所であったのか。
この場所を守ってきた方々が
どのような想いや期待を込めて
時代に応じた工夫や変化を重ねてきたのか。
赤城山頂エリア全体が大きく変化する
ひとつのタイミングで、この場所から
どのように共にエリアを盛り上げていけるのか。
改めて先人の皆さまに敬意を抱くとともに、
「やさしく、つよく、おもしろく。」
ここでの場づくりに取り組んでまいります。
旧赤城山鋼索鉄道の赤城山頂駅駅舎。
その後、建物は
「赤城山頂駅記念館
サントリー ビア・ハイランドホール」
(以下“旧山頂駅”)として営業してきました。
お父様と二代に渡って
旧山頂駅を長らく支えて来られたのが
有限会社大沼山荘の
塩原勲さんと、そのご家族です。
塩原さんは、赤城山で生まれ育ち、
高校進学のタイミングで山頂を離れるも、
社会人になって数年の後、
お父様の事業を支えるべく、
赤城山とまた深く関わるようになったとのこと。
今回、改めて塩原勲さんに、
旧山頂駅のこれまでと、
これからの期待についてお伺いしたので、
少しご紹介させていただきます。
ー 旧駅舎が今の姿になるまで。
赤城山でケーブルカーが運行していた時代から、
お父様やご親戚が赤城山頂エリアで
旅館や貸しボート、スキー場など
複数の事業を営まれていました。
1968年の廃線から約20年が経った80年代後半、
東武鉄道グループから廃線後の駅舎を
引き継いでいた民間事業者が
ここを手放すことになりました。
すばらしい眺望は資産であると考えていたお父様が
「新たに展望事業を」と、
旧駅舎を引き継ぐことを決意したそうです。
当時は、鋼索鉄道時代そのままの駅舎で、
「すごく重いシャッターが建物周囲を
覆っていたのを覚えています」と塩原さん。
新たな観光施設にするにあたり、
旧駅舎の北と西側の下屋を撤去し、
厨房や客席、大窓のある2階の展望室を
設ける形で増築。
現在の“旧山頂駅”の建物の形になったのが、
今から約30年前の1993年の頃です。
ー バーベキューホールの誕生。
当時は、山頂で食べられる食事といえば、
うどんや蕎麦が定番だった時代。
一方、せっかくの自然豊かな場所で
楽しみたい食事といえば、
バーベキューではないか、
とお父様と思案したそうです。
とはいえ、群馬県赤城といえば
「からっ風」「赤城おろし」と名物になるほど
ともかく風がつよい場所。
(真冬に鳥居峠を訪れたほぼ日のは、
あまりにも強く冷たい風に、
「首がもげるかと思った!」と評していました)
そんな風が強い環境で屋外バーベキューは
なかなかに厳しいので、
屋内で楽しめるバーベキューホール
という形態にたどり着いたようです。
ーサントリーとのご縁
サントリーは1980年代から
群馬に生産拠点があり、
赤城山水系は天然水仕込みの
水源のひとつでした。
鳥居峠から少し下がったところの湧水も
同じく赤城山水系の地下水であることから、
赤城山の恵みである天然水を
訪れる人にも楽しんでもらえるよう、
塩原さんらが企画を持ちかけ、
サントリーとコラボした
「サントリー ビア・バーベキューホール」
が誕生した経緯があるとお話しいただきました。
当時の利根川工場に視察も行ったそうで、
ビアバーベキューホールを盛り立てるべく、
色んなかたちでご協力いただいたので
あろうと推察される名残が、
旧山頂駅の店内そこかしこに見られます。
ー 時代の流れとこれからに向けて
山といえば蕎麦・うどんの時代に珍しかった
山頂のバーベキューホールは、
ファミリーやグループ利用で賑わっていましたが、
徐々に山頂を訪れる客層や
山で好まれる食事なども変化していきます。
もちろん、旧山頂駅への影響に限らず、
エリア一帯でも様々な変化、変遷が見られた中、
2010年頃に山頂エリアの住民を中心に、
「AKAGIやる気塾」を発足し、
赤城山全体の未来や足元の振興策について、
色んな議論を重ねてきたとのこと。
コロナ禍を契機に旧山頂駅は、
「バーベキューホール」から
「ハイランドホール」へ名称も新たに、
現在の旧山頂駅の業態に至ります。
ほぼ日がご縁あってあかぎに携わるようになり、
旧山頂駅はまた新たなフェーズに向かいます。
鳥居峠とそこに建つ旧駅舎が
訪れる人々にとってどんな場所であったのか。
この場所を守ってきた方々が
どのような想いや期待を込めて
時代に応じた工夫や変化を重ねてきたのか。
赤城山頂エリア全体が大きく変化する
ひとつのタイミングで、この場所から
どのように共にエリアを盛り上げていけるのか。
改めて先人の皆さまに敬意を抱くとともに、
「やさしく、つよく、おもしろく。」
ここでの場づくりに取り組んでまいります。