映画で、スタアと呼ばれる人たちが
ホテルにチェックインするときの光景を
思い浮かべてみましょうか。

ホテルの車寄せに車が止まります。
ドアがあき、中からスタッと足が出てくる。
ピカピカに磨き上げられた上等な靴。
カツカツと入り口に近づくと、
ベルボーイがサッとドアを開けて
ロビーの中へと招き入れる。
ワゴンに山積みの荷物が後を追うようにやってきて、
出迎えるのは総支配人。
そして、うやうやしくもチェックインの儀式がはじまる。

スタアはポンッとチェックインのカウンターの前に、
突然、姿を現す訳じゃないのです。
ホテルのドアの前からただならぬオーラを発し、
人々の視線を集めながらやってくる。
スタアでなくても同じこと。
ホテルのゲストは、
ホテルの前に立った瞬間から
ホテルスタッフに観察される対象なのです。
このホテルのゲストとしてふさわしい人なのかどうかを
ずっとチェックされてるワケで、
つまりチェックインはホテルの敷地に入った瞬間に
はじまっていると言っていい。
だから、断じて、疲れきった表情とヨレヨレの服で、
ホテルの重たいドアを自ら開けるようなコトが
あってはならないのです。





海外のホテルにチェックインする際に、
心がけていたことがいくつかあります。

[1]
通関したらまずトイレにいって、
これから向かうホテルにふさわしい顔を
しているかどうかチェックするコト
[2]
キレイに磨いた上等な靴と、
しわが目立たぬやわらかなジャケツをきるコト
[3]
チェックインカウンターの上において
恥ずかしくないブリーフケースに
旅行関係のドキュメントと身の回り品、
ポケットの中にはビジネスカードと
クレジットカードを入れた
とびきり上等なカードケースをしのばせるコト
[4]
上等なかばんを持ちなれたベルボーイの手が、
「大切にあつかわなければ」とほどよく緊張する
上質なスーツケースをもってゆくコト
[5]
そしてどんなに待たされようとも、笑顔を忘れず
「良い部屋がボクを待ってくれていますよう」
とニコニコしながらチェックインをたのしむコト

その日もホテルに向かうタクシーに乗る前に、
顔がボンヤリしてないか飛行場のトイレの
ぼんやり曇った鏡でチェックをした。
靴は機内用のデッキシューズから、
スエード生地のチャッカブーツにはきかえ、
ジャケツの代わりにアイボリーホワイトの
カシミアのカーディガン。
ロサンゼルスとは言え、
春先は朝晩すずしく薄手のカーディガンは必需品。
スーツケースはタナークロール。
英国仕立てのなめし革のハンドルを手にした
ベルキャプテンは、ニッコリしながら「Nice case」と。
そして「ワタシが確実に見ておきますから、
安心してチェックインをなさってください」
とベルデスクの一番目立つ場所におかれた。
カードケースの中に入れた古い名刺が、
たのしいイタズラをしてくれることになるのですけど、
それ以外はほぼ完璧とボクは思った。

ただちょっとした問題がそのとき、
ロビーでは起こってた。
2つのグループが
ほぼ同時にチェックインをはじめた直後だったのですネ。
南米系とヨーロッパ系。
それぞれ6名ほどの
決して大きくはないグループなのだけれど、
彼らの自己主張の凄さたるや、
チェックインのカウンター前に
100人ほどもが群がってるように思えるほど。
あの部屋がいい、このフロアがいいと
部屋がなかなか決まらない。
これから数日間。
自分たちらしいステイをたのしむために、
妥協することはできないのでしょう。
その情熱的な交渉手腕が、
なんだかとてもたのしくて、見てて飽きない。
なにより、日本ではまずお目にかかれない
クラシックで壮大な見事なロビーの
すみずみを眺めているのがたのしくて、
10分、それとも20分はたちましたか。
埒があかない彼らの後ろでじっと待ってる、
ボクを見かねてチェックインのスタッフがボクを手招く。
なんなら先にチェックインの手続きを
させていただきましょうか? と。

チェックインは時間をかけてすればするほど、
ステキなステイのヒントがもらえる。
鍵をもらうだけがチェックインではないのですから。
だから、ボクは丁寧にその申し出を断って、
可能ならばロビーフロアを眺めていたいから、
チェックインの準備ができたら
呼んでいたけますでしょうか?
とそう言い、ロビーをうろうろしてた。
待ち合わせの人たちでにぎわっている、コーヒーショップ。
その時間はまだ開いてはいない
メインダイニングのマホガニーの重たい扉。
ギフトショップに中庭に向かって伸びてく通路。
ここでこれからどんな時間がはじまるんだろう‥‥、
とそう思うとただただウレシク、
待っているコトがまるで気にはならなかった。
そんなときに、呼ばれて
ボクのチェックインの担当になってくれたのが
マネジャーだった、というのが実は顛末。

「ミスターサカキの私達のホテルをみつめる、
 愛情に満ちた笑顔がどうにも気になって、
 それで私が担当させていただこうと思ったのです」

ホテルのゲストにふさわしい人か
ふさわしくない人かを判断するのが私の仕事。
そして、ふさわしいと感じた人に、
もっとこのホテルのコトを好きになってもらえるようにと
さまざまな配慮をするのが
マネジャーと呼ばれるモノの仕事。

彼はこうも続けます。

他人を押しのけ、特別扱いされることを
シアワセと感じる人がたくさんいます。
それは人のシアワセを奪うことでしか、
シアワセを得ることができない哀しい人のする仕業。
自分で自分のシアワセを作り出すコトができる人。
好奇心とたのしい経験に満ち溢れたココロが作り出す
さまざまで、必要十分なシアワセを
感じるコトができる人にこそ、
特別な体験をしていただきたい。
使えど使えど、減らずなくなることのない
富豪の財布と同じように、
自らあふれるようにシアワセであり続けようとする
富豪のようなココロの持ち主。
そのように、ミスターサカキが
そのとき見えたモノですから‥‥、と。




リッコが昨日用意した車に乗って朝の仕事へ移動をします。
乗り心地の良いセダンのシート。
籐のバスケットにハンドタオルと、ヴィッテルの瓶。
まだリッコの魔法は終っていない。
ニュース通りにかなりの渋滞、
変わらぬ景色をボンヤリ車窓にながめつつ、
出発直前にマネジャーが言った
「富豪のココロ」というその言語を
何度も何度も反芻しながら、約束の時間通りに車は到着。
打ち合わせが案外早く片づいて、
それでチェックインにはいささか早い時間に、
次のホテルに到着をする。

チェックインのカウンターにつき、名前を告げる。
驚いたコトに、待たされることもなく
チェックインの時間にはまだ2時間ほどもあるというのに
ボクの鍵が即座に出される。
部屋はボクがお願いしていた、
キングサイズのベッドが一つおかれただけの普通の部屋。
ところがベッドサイドのナイトテーブルには
ヴィッテルの瓶。
ボクより先に着いていた鞄がクローゼットの前に置かれて、
扉を開けるとハンガーに掛かった洋服が
キレイにそこに並んでる。
朝、出かけた部屋のクローゼットと同じ景色がそこにあり、
まるで「おかえりなさい」と
自分の洋服に言われているよう。
見ればそのハンガーは、このホテルのものではなくて
今朝いたホテルのハンガーで、
つまりそれらはたたまれることなく、
そのままこうしてやってきた‥‥、
というコトなのでありましょう。

部屋に案内してくれた客室係が言います。
明日、ご朝食を召し上がられるのであれば、
当ホテルのオールウィートブレッドは
南カリフォルニアナンバー1と自負しております。
どうぞ、おたのしみいただけますよう‥‥。

まるでボクを喜ばせることをたのしんでいる‥‥、
リッコがボクにかけた魔法はまだ終わらずに続いてる。


2011-02-24-THU
 

ほぼ日刊イトイ新聞 - おいしい店とのつきあい方。
© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN