「それではこれでお願いします」

そう言いながら、富豪氏が手渡した
クレジットカードを見て、ビックリしました。
「でかけるときには忘れちゃいけない」
アメリカ出身のクレジットカードで、
けれど見たこともない色だった。
噂にはかねがね聞いていた。
当時、世界でも数十名しかもっていないと言われた、
特別なカード。
色は黒色。
自分から欲しいといっても手に入らない、
カード会社から認められないと
手にすることができない、まさに富豪の証。
さりげなく。
その黒色のカードを手渡すと、
見たこともないそのカードに給仕係が困惑します。
果たして受け取っていいものか、どうなのか。
その様子を見た支配人が、優雅な、
しかし驚くほどのスピードで
ボクらのテーブルにやってきて、
カードを受けとり確認し
ニッコリほほえみ給仕係に再び渡す。
「これ一枚でこのレストランを
 お買い上げになることも可能なカードなんだよ‥‥、
 早く、お会計の手続きなさい」と。

そして初めてうやうやしくも頭を下げて
「ようこそ、当店にお運びいただきました」
と支配人は言う。

またこの店に来なくちゃいけないと思っているのですが、
再来週、二人用のテーブルがあいている日はありますか?

富豪氏はサラッと聞きます。
一ヶ月や二ヶ月先でも、なかなか予約がとれぬ店。
にもかかわらず支配人は、予約表をみることもなく
「月曜日と木曜日以外であれば、ご用意できます」
と即答します。
「黒いカードは水戸黄門の印籠のようなモノですネ」
と思わずボクは口にする。
支配人はニッコリしながら、
小さなそして事務的な声でボクに答える。

おなじみのお客様に予約をとっていただきやすいよう、
お電話で予約していただけるお席は
かなり限られておりまして‥‥。
ほとんどのお客様がこうしてお越しになったときに、
次の予約を頂戴できますもので。

おお、恥ずかしい、早とちり。
人気のお店になった途端に、
はじめての人たちから予約が殺到。
結果、昔からのいいお客様が
予約がとれなくなっちゃったって言うような店は、
おなじみさんになりがいのないお店。
「電話で予約できるテーブルが限られている」
という、この洗練された断り方に、まずは合格。
つまり再び来るだけの価値が
あるかもしれないというコトなんでしょう。

私は火曜日がいいのだけれど、
もしサカキさんの都合がよければ、
またご一緒してくれますか?
そういう富豪氏の申し出に、
断る理由はどこにもなかった。
ぜひ、と言いつつスケジュール帳の
二週間後の火曜の七時に印をつけて、
その日はお店を後にした。
再来週も、今日のように普段着めいた装いで‥‥、
そう富豪氏に念を押されて、二週間後の火曜日がくる。





前回と同じように二人は目立たぬかっこうで来ます。
とは言え、お店ではもう
目立たぬ人を気取るわけにはいかないだろう‥‥、
と半分覚悟して、でも半分はワクワクしながら
お店に入る。
支配人がまず出迎えて、ボクらの装いをみてニッコリ。
こちらへどうぞと、先日、座ったテーブルへ、
ことさら名前を呼ぶでもなく
最初きたときと同じようにボクらをもてなす。

メニューを手渡す給仕係の手を制し、
この前と同じようにたのしみたいと思うのですが、
せっかくだから料理をお任せしたいのです。
二人でそれぞれシェアできるよう。
別々の料理をお願いできますか‥‥、と。
私は先日いただいた、
羊のグリルのような料理が大好きで、
サカキさんは何が好き?
そう聞かれたから、
本当は仔牛のカツレツみたいな料理が好きなんです‥‥、
と。
それにあわせてワインを一本。
果たして幾らになるかわからぬスリル。
メニューを見ずに注文をし食事することって、
あらかじめ振り付けをせず踊る社交ダンスのよう。
リード役がうまく立ちふるまってくれないと
悲劇的な結果になっちゃう。
ボクにはお勘定に対する直接的な心配はなく、
当の富豪氏は別の意味で
お勘定に対する心配がある訳でなく、二人はウキウキ。
ただただ食べ、そして飲み、たのしむだけ。
前回にもまして、すばらしい料理を味わい、
そして通知表がやってきます。

上等でした。
おまかせでお願いをした料理は
一人、2万円をちょっと下回る。
前回、たのんだのとほぼ同じ。
「この前と同じように」という言葉には、
同じようにおいしくも、同じようにたのしくも、
当然、同じような支払いも、
すべてがもれなく含まれている。
懐具合がどうであろうが、値段も同じにしてくれる。
考えてみればサービスだって、
過剰ではなくさりげなく、
ボクらの装いがくつろいでいたのと同じように、
彼らのもてなしもくつろいだものでもあった。
唯一、前回と違っていたのは
ワインの値段がちょっと高めで、
1万円代の後半のものであったこと。
それに対して富豪氏は、感心します。
前のものよりたしかに高い。
けれど、仕入れのコトを考えたなら
こちらの方がずっとコストパフォーマンスが高くて
まさに今が飲み頃。
二人の好みのガツンと癖の強い料理との相性もよい、
すばらしいセレクションだと‥‥。




いつも同じであるということは素晴らしいコト。
それにもまして、好みにあわせて
どんどん馴染んでいくようなたのしい実感。
馴染みのお店というけれど、
お店の方からボクに馴染んでくるようなコトがあって
はじめて長い付き合いになる。
この店、本当にいい店ですネ、
とそう言ったらば富豪氏、
黒いカードを手渡しながら支配人に一言いいます。

大切なお客様をここにお連れしたいのですが、
再来週の週末、土曜日。
お席を用意してくれるかしら。
サカキさんがもしよかったら、
大切な人を連れてらっしゃい。
4人で散財しませんか?

再来週の土曜日にたとえどんな予定が入っていようが
ボクには関係ない。
このレストランで富豪の散財。
それに付き合わぬ無粋はなかろう‥‥、と、ボクは即答。
支配人も、「首を長くしてお待ちしております」
と見事に即答。
さて、とびきりのお洒落をしなくちゃ。
去年仕立てた、黒い麻のスリーピースを
クリーニングに出さなくちゃって、
その日のコトを思って気持ちはもうそぞろ。




2011-03-17-THU
 

© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN