194 レストランでの大失敗。その3。レストランはコミュニケーションの場。

イタリアのレストランで提供される
カプチーノというモノがどんなものか。
母とボクはそれを正しくイメージすることができなかった。
それがあのときの失敗の最大の原因でした。
お店の人たちは、なんとかわからせようと
いろんなヒントを出したのだけど、
ボクたちは自分のイマジネーションをかたくなに信じた。
小さなカップにタップリの泡。
おしゃれにカップを持ち上げて、
4回、5回、軽く傾ければ
お腹にサッと収まってくれるだろう、
というのが母とボクとの共通イメージ。
ところが、大きな茶碗一杯分ほどの量。
分量以上にポッテリとした泡が濃厚で、
お腹にたまる重量感。
たとえデザート代わりに飲んだとしても、
満腹以上の量になることが確実で、
なのにドッシリとしたデザートを食べた上に飲み干した。
ボクたち親子の、馬鹿げたがんばりは、
日本人のイメージをはるかに越えたモノだったのでしょう。
互いのイメージを裏切り合うこと、一勝一敗。
喧嘩の後で本当の友情が芽生える、
まるで青春ドラマのような瞬間でした。


レストランはコミュニケーションの場。
そう言われることがよくあります。
シェフは自分の作るメニューや料理で
お客様とコミュニケーションをとる。
サービスというものは、
レストランが快適な環境であるようにと、
サービススタッフとお客様の間で
とりかわされるコミュニケーション。
同じテーブルを囲む人たちの間では、
楽しい会話とステキな笑顔で
コミュニケーションがかわされて、
テーブル同士がシアワセな空気をつかって
コミュニケーションをくりひろげる。

見方を変えればレストランをたのしい場所にするために
コミュニケーションが必要であり、
レストランをたのしむためにも
コミュニケーションが必要となる。

なぜコミュニケーションが必要になるのでしょう?

理由はそこにいる人たち、
ほとんどすべての人の考えていることが違うから。
考えているコト‥‥、という言葉が曖昧ならば、
すべての人の「期待」が異なるから、
といえばいいでしょうか。
例えば、ある人は「安ければいい」と思う。
でもある人は「ちょっとぐらい高くてもいいから、
もっとおいしいものを食べたい」と思ったりする。
お客様は往々にして
「食後の時間をもっとゆっくりたのしみたい」と思うし、
その一方でお店の人は
「早く帰ってくれれば片付けができるのに」と思うもの。

コミュニケーションに大切なものは、
自分が思っていることを伝えるコトではなくて、
相手が何を考えているか、
何を伝えようとしているかを考えるコト。
つまり、イマジネーション‥‥、
想像力を発揮することだと思うのです。

メニューをみてどんな料理がでてくるんだろう。
やってきた料理をどのように食べればおいしんだろう。
この料理を自分好みにたのしむためには、
何をどのようにお願いすればいいんだろう。
その想像力を正しい方向にいざなってくれるために、
メニューブックが用意されていたり
お店の人がヒントをくれたり。
それがレストランという場所にあるコミュニケーション。



当然、お店の人もお客様をただしくもてなすために
想像力を発揮させます。

このお客様はどういうモノが好きなんだろう。
いくらくらいで満足させてさしあげればいいんだろう‥‥、
とか。

そういえば、昔、ファストフードの人たちが
マニュアルにたよって、
想像力を発揮させずに働いているというコトを
揶揄するような笑い話がありました。

ハンバーガーを20個ください。
こちらでお召し上がりになりますか?
それとも、お持ち帰りになりますか?
‥‥、というやりとり。
たしかにおかしい。
ただ、ここまでわかりやすく極端でないとしても、
「あの店、なんだか気が利かないね」
と言われる理由のほとんどが、
サービスする人が想像力を発揮し忘れているから
なのだと思います。

それにしても、最近、想像力を発揮することを
忘れた人が多くなってしまったような。
しかも想像力を発揮し損なったコトを、
恥ずかしいと思うのでなく、
相手を攻撃するコトで気を紛らすような人が多くて、
レストランも困り顔。
さて、来週といたしましょう。




2014-10-16-THU



© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN