004 たのしく味わう。その4
アメリカのコーヒーはおいしくなかった!

アメリカのコーヒーはおいしくなかった。
家でも、会社でも。
レストランでもコーヒーというのは、
コーヒーマシンが作るモノ。
マシンに粉をふり入れて、タンクにお水をセットした上、
ボタンを押せば出来上がる。
大抵それはガラス製のフラスコって呼ばれる
ポットに落とされ、たまり、
ウォーマーの上であたためられる。
飲みたいときに、それをカップに注いでゴクリ。
時間がたつと酸化して、酸っぱい臭いを発しはじめる。
コーヒーが入ったフラスコを鼻に近づけ、
まだ大丈夫だろうと注いで飲むと、
香りだけでなく味も酸っぱい。
でもこんなもんかと、タバコを片手に
酸っぱいコーヒーを飲みくだしながら、
仕事をしたり眠気を晴らす。

それは「味わう飲み物」というよりも
「気付け薬」のようなモノ。

例えばアメリカでドライブ途中に
コーヒーショップや
ダイナーレストランに立ち寄ろうか‥‥、と。
その目的は、コーヒーでも飲もうか、じゃなく
トイレを借りよう。
あるいはちょっと休憩しよう。
ついでにコーヒー。
そうでなければ、チェリーパイのお供にコーヒー。
決して、コーヒーを飲みに立ち寄ろう‥‥、
という感じじゃなかった。
だから、レストランでも
コーヒーを入れたフラスコに鼻を近づけ、
まだ大丈夫? と確かめる光景が
当たり前にそこらじゅうで見られたのです。

コーヒーは水代わり。
だれもその品質を期待なんかしていなかった。
料理のお供。
あるいは会話のお供のコーヒー。
料理や会話をじゃましないこと‥‥、
つまり、おいしくないことが
むしろ美徳だったのかもしれません。



おいしくないかわりに、
アメリカのコーヒーはお替わり自由。
そのアメリカのコーヒーショップのスタイルを真似た
日本のファミリーレストランも、
お世辞にもおいしいとはいえないコーヒーを
おかわり自由にしてました。

お替わりはいかがですか?
と、ときおりフラスコを持ってお店の人がやってくる。
レストランにとっては、
お客様とのコミュニケーションをとるための道具のひとつ。
それがかつてのアメリカにおける
コーヒーの役割のひとつでもあった。

ニューヨークやサンフランシスコのような、
グルメを気取る人たちが集まる街には
おいしいコーヒーが売り物のお店ができたりするけれど、
そのほとんどが観光客を相手のお店。
おいしいコーヒーが「名物」になるくらいですから、
推して知るべし。
名物になり損なったおいしいコーヒーのお店は、
一部のマニアのために
ほそぼそ商売をするというのが一般的。
だって、誰も
「コーヒーにおいしいコトを期待しない」んですもの‥‥、
期待されないところでどんな努力をしても、
報われることがない。
それでアメリカのコーヒーは、
ずっとおいしくなることをあきらめていた。



ところが30年ほど前のコト。
ちょっと風向きが変わってきます。
シアトルという街に、
一風変わったコーヒーを売る店がある。
それが案外美味しいんだと評判になる。
食事のお供の水代わりじゃない。
トイレを借りるいいわけでもない。
純粋に「コーヒーを味わう」ためにお客様がやってくる店。
しかも他の「ご当地名物」的グルメコーヒーと違って
次々お店ができてきて、いつの間にか
「シアトルスタイルのコーヒー」
と呼ばれるようになっていく。

スターバックスがその代表です。
なんでシアトルスタイルのコーヒーが、
おいしいコーヒーを期待しない人たちから
「おいしいコーヒー」と呼ばれるようになり、
「コーヒーのために店を訪れ、コーヒーにお金を払う」
という習慣をアメリカの人に植えつけたのか。

秘密を来週、考えます。



2015-04-02-THU



     
© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN