022 たのしく味わう。その22
カリカリベーコンの想い出。

郷に入っては郷に従え。
昔、突っ張っていた時にはそれがボクのポリシーで、
だからアメリカで生活していた時も、
日本料理のお店であったり、
日系の食品店には寄り付かないようにしておりました。

いろんなコトを吹っ切るために渡ったアメリカ。
どんな苦労にも負けない自信はあったのだけど、
お腹に一旦、里心が灯ったら、強がる自信がなかったから。
‥‥、だったのでしょう。
かたくなに、日本の料理は食べなかった。

食べないでいると、なんとかなったりするもので、
実際、もりもり食べられるのです。
アメリカの料理が。
もともと少食ではなかったけれど、
自分でもびっくりするほどもりもり、たっぷり。



それまでも旅人としてアメリカを訪れたコトは
何度もあった。
その度、アメリカ人って
なんでこんなに食べるんだろう‥‥、
って、うんざりしていた。
皿からはみ出すほどの塊のステーキ。
レタス一個はまるまる使っているんじゃないかと
思わせるほどのサラダに、
丼一杯は優にあるであろうスープ。
スゴくお腹が空いていることを、彼らの言葉で、
「I could eat a horse」。
つまり、馬だって食べられそうだ‥‥、って言うけれど、
冗談でなく本当に馬を一頭
食べられるんじゃないかと思うくらいの分量。

しかも味が単調で、
例えばステーキならば塩と胡椒だけで、もくもくと、
飽きるコトなく食べていく。
それと同時に日本料理のように、
いろんな味の料理が並ぶわけでもなく、
ただただひとつの料理で
お腹を満たしていくという食スタイル。
つまらないなぁ‥‥、
よく食べられるなぁ‥‥、と思っていながら、
実際、そういう食事ばかりをしていると、
そういう単調でシンプルな味の料理の方が、
お腹の中に量が収まってくれることにビックリします。

多彩な味わいで舌から気持ちが満たされる代わりに、
お腹が満たされるコトで気持ちが満たされる。
そういうコトもあるんだなぁ‥‥、と、
アメリカ人のように食べる生活を
半月ほどもたのしみましたか。
ただやはり、たくさん食べても埋まらぬモノが
ココロの片隅にずっとあった。
その正体がなんだかわからぬうちに、
とある出来事に遭遇します。



ダイナーレストランに朝食を食べに来たときのコトです。
卵料理にサイドを選び、パンとコーヒー。
いわゆるアメリカ式の典型的なる朝食で、
卵料理は目玉焼き。
ひっくり返して白身をサクサクになるまで
焼いてもらったものに、
ハッシュブラウンをつけてもらって、
それにグリルしたハムを添えた‥‥。
つもりだったのだけど、やってきたのはベーコンだった。

苦手だったのです。
日本のベーコンと違って、
分厚くよじれるように焼きあがる。
焼くというより、
自分の脂で揚がっていくような仕上がりで、
指でつまんで持ち上げても
そのまま形を変えずススッと持ち上がる。
まるで赤黒い板のようで、
にわかに食べ物のようには思えぬ姿。
それでずっと食べずにいた。
なのにおそらく、言い間違いか、聞き間違い。
ボクの前にベーコンがきた。



よりにもよって、脂の部分が焦げて黒ずみ、
ついさっきまで脂が沸騰していたのでしょう。
びっしり小さな白い泡がこびりついて仕上がっている。
ただ、香りはおいしげ。
燻製されているからでしょう‥‥、
スモーキーな香りが漂い、
試しに一口食べてみようかと、齧ってみます。

ボリッと砕けて口の中へとやってくる。
あぁ、やっぱりこの食感は
料理というよりお菓子みたいだ‥‥、
と最初は気持ちも後ろ向き。
思いがけずも沢山口に入ってしまい、
なかなか喉の奥へと片付けることができないでいた。
しょうがないからボリボリ噛みます。
顎の運動。
そしたら不思議。
長らく感じることがなかった、
シアワセな気持ちが口の奥からやってくる。
ベーコンの香りに混じって、焼けた脂の香りと塩味。
コクのある濃厚な味とでもいいますか。
そしてその時、ボクはとあるナツカシイものを
思い浮かべた。

さぁ、それは何?

もう35年も前のコト。
アメリカが日本料理と出会うずっと前のコトでした。



2015-08-06-THU



     
© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN