おいしい店とのつきあい方。

025 シアワセな食べ方。 その16
食べ慣れたものが「正しい」わけじゃない。

松山から葉山への引っ越し早々、
忙しく仕事で飛び回る父。
母と子どもたちで引っ越し後の片付けを
やっとし終わったのが1週間ほどたってのコト。
そこに、ちょうど父が出張から帰ってきました。

「よく、片付いたな‥‥、ご苦労さん」

何かおいしいものを食べに行こう、
ということになりました。


「おいしいもの」には沢山ありますが、
「とびきり」おいしいものとなると、
何をおいてもまずお寿司です。
しかも場所は三浦半島。
寿司の本場と言われる東京に近く、
しかも海に囲まれた魚介類に恵まれた場所。
そういうところのおいしいものは
寿司に決まっています。

しかもさすがに別荘地として有名な町です。
近所の人においしいお寿司屋さんはありませんか?
と聞くと「あそこ」と決まったお店の名前があがる。

気取りはないけれど清潔でキリッとした店の雰囲気。
お店の人のたちいふるまいもしっかりしていて、
安心感に満ち溢れている。
いい店だなぁ‥‥、とみんなホッとしながら
カウンターにズラリ並んでお腹を鳴らす。
引越し祝いをかねての食事です。

父は張り切って「おまかせで‥‥」とお願いをする。
母はニッコリ、背筋をのばしてお茶を飲みます。
寿司屋では酒を飲まない家族です、
だからいきなり、にぎってもらう。

東京の有名店で修行したというご主人の握る寿司は、
形もキレイに整って目にうるわしい。
スッキリとした味わいのシャリに、
舌の上にスタッとおさまる食べやすさ。
たしかにおいしい。

ただ、心からおいしいと思える寿司だったかというと、
ちょっとした違和感を感じて、
これでいいのかな‥‥、と不安に思う。

母が魚屋で買った鯛が
ブヨブヨして感じられたのと同じような、
たよりない食感。
やはりこの界隈で、
歯ごたえのある生魚を食べることは
不可能なのか‥‥、と思って気持ちがどんどん下がる。


折角の寿司を食べながらも、
一向に盛り上がらないボクたちの様子を見て、
訳知り顔に父が言います。

「西日本では魚は活け〆(じめ)。
港に近く、海面に比較的近いところを泳ぐ魚がほとんど。
つまり、ついさっきまで生きてた魚を
刺身にひいて食べるから、ぶりぶり、ゴリゴリ。
噛み切れないほどの歯ごたえのある魚を
寿司に握るから寿司も歯ごたえがよい。
一方、関東の魚は遠くからやってくるものが多くて、
だからどうしても古くなる。
あのゴリゴリ感やブリブリ感は
鮮度の証なんだよな」

‥‥、と。

すると、キリリとした表情で寿司を握っていたご主人が、
手を止め表情崩した穏やかな笑顔とともに
父の話に入ってきます。

「関東の魚は鮮度が悪いというよりも、
旨味が出るまで休ませて馴れさせている‥‥、
とお考えいただくとありがたいですな」

‥‥、と。

魚も肉と一緒で
適切な状態で休ませることで旨味が強くなる。
今で言うところの「熟成」という仕組みですね。

「落としたばかりの包丁を
弾き返すような弾力はなくなるけれど
ネットリとした身質が
むしろシャリとの相性を良くしてくれる。
ブリブリの魚で握った寿司は、
口の中でずっと魚とシャリのまま。
馴れた魚の寿司のように、
1つになってなくなるような
引き立てあいをしちゃくれやせん」

なるほど、言われてみれば思い当たることがあった。
田舎にいた頃。
新鮮で上等な魚の刺身と寿司が並んでいたとして、
どちらを選ぶか‥‥、といえば間違いなく刺身を選んだ。
だって歯ごたえのいい魚は寿司にするより
刺身で食べる方が断然おいしく、
だから例えば田舎の祝いの食卓に刺身はでたけど、
握り寿司はあまりなかった。
代わりにあったのはバッテラのような押し寿司、
あるいはちらし寿司。
太巻きなんかが彩りを添えてた。

ところが「ためしに刺身で召し上がってみますか‥‥」
とすすめられて食べた刺身のネットリとした慣れぬ食感。
なるほど「一概に善し悪しをつけることができない」
料理の世界の深さ、そして多様さに
そのとき、感心したものでした。
食べ慣れたものがおいしいのは当然だけど、
食べ慣れたものが正しいと思うこむのはもったいないし、
なにより長い歴史の中で出来上がった、
地方地方の食の文化に対して失礼。

しかし‥‥、そうわかっていながら、
それでも違和感を感じるものが
魚の食感以外にあったのです。

また来週のお話です。

2018-04-26-THU