おいしい店とのつきあい方。

026 シアワセな食べ方。 その17
ああ土地土地の調味料。

寿司屋さんのカウンターで
田舎育ちのボクらが感じた違和感。

ねっとりとした慣れぬ食感の
“馴(な)れた”魚以上に
ボクらが感じた不思議の正体。
それは「醤油」だったのです。

色が薄くてサラサラしていて、
まるでボクの知っている醤油を
薄めたようなたよりなさ。
なのに舐めると塩辛く、
舌に刺さるような刺激にびっくり。
しかも旨味が少ないのです。
ほんのちょっとだけ舌の上に乗せ、
ツーンと鼻から抜ける刺激臭と
塩辛さが終わってはじめて旨味を感じる。

それも、ほのかで、
目を閉じ必死に気持ちを集中した先に
やっと見つかる‥‥、そんな感覚。
寿司そのものの噛み心地が物足りない上、
醤油の味が物足りなくて、それでどうにも
「おいしいものを食べている」
って感じが湧いてこなかった。


醤油飯という料理があります。
讃岐で一般的に作られ、
食べられている郷土料理のひとつで、
その名の通り、醤油でご飯を炊いたもの。
具材は刻んだゴボウやニンジン、こんにゃく、
あるいは油揚げ。
家によっては鶏肉や、
天ぷらと呼ばれる
魚のすり身を揚げた練り物を入れて
一緒に炊いたりします。

うちでは里芋の季節に
ざく切りにした里芋を一緒に炊く。
ご飯に里芋独特の軽い粘りと
すべすべ感が行き渡り、
ちょっと独特の味わいになるのが
芋の季節を待ち遠しくするご馳走でした。

鍋の中にお米と生の具材を放り込み、
水加減はちょっと少なめ。
そこに醤油をたっぷり注いであとは炊くだけ。
出汁もいらない。
日本酒だったりみりんだったり、
そんな工夫や手間はまるで必要としない
ただただ醤油の力で仕上がる炊き込みご飯。
それが「醤油飯」の正体。

関東に出てきて関東の醤油で
醤油飯を炊いたことがありました。
あくまで「試しに」という遊び心が、
どうしようもない「醤油の味の塩辛いご飯」を作った。
あぁ、讃岐の醤油って
なんと旨味や甘みの強い醤油だったんだろう‥‥、
とそのとき実感しました。

お米を炊いて醤油飯を作るだけじゃない。
魚も讃岐醤油で炊くと、
ただそれだけで味が決まる。
最近、日本中に讃岐風のうどん屋さんがたくさんできて、
そこで「生醤油」といううどんがある。
ほとんどの店ではうどんにかけるために調味した
特別の醤油を使っているようだけど、
讃岐じゃ本当に日常使いの醤油を
かけて混ぜ、食べるだけ。
これをもし、関東風の醤油でやったら
醤油辛くておいしくもなんともない。
逆に、蕎麦に讃岐の生醤油をかけても
一向においしくならない。


それそのものが完結した
うま味調味料のようにふるまう、
サービス精神旺盛な醤油を食べて育ったボクらには、
関東のストイックで人を突き放したような醤油は
醤油と呼べぬ別の調味料のようでさえあった。

なんでこんなに違った醤油ができたんだろう‥‥。
いろんな理由が実際あったに違いなく、
けれど生の魚を食べる食べ方、
嗜好に限れば理由は明白。
西のボクらが好む魚は
〆たばかりで歯ごたえがよいモノ。
けれどそれらは旨味が少ない。
しかも身が頑丈で調味料を寄せ付けないほど。
それで旨味の塊のような醤油が作られ、
それが重宝された。
一方、馴れた魚を食べる地方では、
醤油に旨味があってしまうと
魚の旨味を邪魔して厄介。
だから醤油にあえて強い旨味を持たせなかった。

いや、待てよ!
醤油に旨味がないから魚を馴れさせ、
旨味を引き出し食べるという作法ができた?
瀬戸内地方では醤油があまりにおいしくて、
魚そのものの旨味を引き出す必要を感じなかったから
〆たばかりの魚を食べて満足してた?

考えだすとニワトリタマゴがぐるぐる頭の中を駆け巡り、
それほど食の文化はさまざまなことが
からまりあった複雑にして深いモノ‥‥、
ってしみじみ思う結果となります。

醤油を舐めて、こんな甘い醤油は口に合わない‥‥、
という人がいる。
今の世の中は行き過ぎたサービス精神の世の中です。
しかも日本中の食品が簡単に手に入る。
それで、関東風の醤油もご用意ございますよ‥‥、
とおもてなしのつもりで
地元の醤油と違う醤油をサービスしちゃう。
それでブリブリの刺身を食べると、
「歯ごたえばかりが強いだけの
旨くもなんともない変な刺身を食べちゃった」
って思われちゃう。

郷に入っては郷に従え。
また来週といたしましょう。

2018-05-03-THU