おいしい店とのつきあい方。

034  シアワセな食べ方。 その25
「おいしかったでしょう?」

父は世話を焼くのが大好きな人でした。
商店街の役員や、業界の交流会。
学校の後輩たちの面倒見もよく、
大学時代の友人が選挙に出るときくと、
まるで自宅が選挙事務所のようになったりもした。
家のことは何もしないで、
人の世話ばっかりするのよネ‥‥、
と、母がときおり愚痴るほど。

だから家にはいろんな人が出入りしていた。
出入りするだけじゃなく、
うちにはいろんな人が泊まりにきてた。
和室の客間にはいつも何セットかの布団が用意されていて、
一般家庭には不似合いなほどに
大きな洗濯機があったものです。

お客様が泊まると母はいろめきたちます。
なにしろうちは飲食店を経営していました。
しかも街で一番と呼ばれた名店で、
だからそこの経営者家族は
おいしいものを食べているだろうと
人は期待をするものです。
それに父は家族を自慢するのが好きな人。
自分の妻は料理が上手で、
息子は歌がうまくて娘はピアノを小さい頃から習ってる。
だから泊まりに来たお客様を母は手料理でもてなす。
食事を終えたら、
妹のピアノ伴奏でボクが歌ってもてなす‥‥、
なんて今思い出すとかなり恥ずかしいことを平気でしてた。

期待には期待以上のパフォーマンスで答えなくちゃと、
負けん気なのか旺盛過ぎるサービス精神の
なせるわざなのかわからないけど、
とにかくボクたちは家に誰かが泊まるということを
たのしんでいたというわけです。


父とあたらしい仕事をするため、
遠くの街から遠い親戚が数日間、
うちに泊りがけでやってきたことがありました。
仕事は多忙を極めるようで、
父共々、家に帰ってくるのは夜遅く。
ならば朝食ぐらいはしっかりとってもらいたいと、
母はちょっと気合を入れます。
朝ごはんは和食派? それとも洋食派?
と聞くと、和食派というのでご飯を炊いて、
味噌汁、漬物、魚を焼いて卵焼き。
数日間の滞在の間、味噌汁の実や魚は
毎日変えれば飽きない。
卵焼きは、毎日、サカキ家自慢の
ゴチソウ卵焼きを仕込んで作ってあげましょう‥‥、
と、母はウキウキしていました。

ちなみにサカキ家自慢のゴチソウ卵焼き。
前の晩から作る準備、つまり「仕込み」をします。
玉子を割ってよくほぐす。
白身と黄身が完全に一体となるまで、
けれど決して泡立てることなくほぐす。
母ははさみで白身をザクザク、切っていました。
白身のコシが完全にとれて黄身とまざりあったら、
そこに砂糖をくわえて混ぜる。
箸をつっこみ玉子の入ったボウルの底を
細かくかきまぜ持ち上げて、
泡立てぬようキレイに砂糖と玉子がまざったら
醤油をおとして布巾をかける。
冷蔵庫にいれ一晩そっと休ませる。

寝かせることで玉子にコクがでるのです。
しかもキレイな照りがでて、
焼き上がりはむっちりなめらか。
醤油の風味もこなれて
そのままおいしい卵焼きになる。

朝食を終えたお客様に、
おいしかったでしょう? と母が聞く。
「おいしかったですか?」と普通ならば聞くところ、
母は必ず「おいしかったでしょう?」と聞く。
それも笑顔でニコニコしながら聞くものだから、
大抵の人は「ええ、とても」としか答えられない。
その時のお客様もそう。
「おいしかったです」と答える。
「卵焼きは特に手間をかけてつくった自慢の味なんですよ」
と、シェフでもないのに自慢までする。
当然、毎朝、同じ卵焼きを作って
ふるまうことになるのです。


3日目のコトでした。
食事しながらお客様が、言いにくそうにこう言いました。
「実はわたくし、甘い卵焼きが苦手なんです」
聞けばその人の家では卵焼きは塩だけで焼く。
しかも卵はしっかり溶くのでなく
箸でやんわり黄身と白身を崩す程度にとどめておいて、
だから焼くと白い部分と黄色い部分が混じり合う
マーブル状になるんだと言う。
そこにウスターソースを垂らすと
ご飯のおかずにぴったり。
焼くのがちょっと難儀なので、
作ってくださいとは
お願いしづらい卵焼きなんです‥‥、と。

この最期の「難儀だからたのめない」というフレーズが、
母にとっては挑戦状に思えたのでしょう。
その翌日はマーブル卵焼きが朝の食卓のメインとなった。
よく溶いた卵と違って
白身と黄身が別々の食材のようにふるまう卵は
扱いづらく、美しい筒状に形作るのに難儀したという。
でも白と黄色が渦巻く断面は、
いつも見慣れた卵焼きとはまるで違った料理に見えた。
塩だけというのに、不思議と甘かったのは
卵そのものの甘みが塩で引き立ったからでしょう。
プルプルだったりザクザクだったり、
ふっくらだったりしっとりと
いろんな食感が食べるところでたのしめるのが
たのしくもある。
ウスターソースのスパイシーな風味もおいしく、
たしかにご飯がすすむごちそう。
なにより「これこれ、これがうちの卵焼きなんです。
奥さんって本当に料理が上手ですね」という言葉が
母にはとてもうれしかったに違いない。

それから、お客様が家に泊まりにきたときは、母は、
「毎日、どんな朝ごはんを召し上がってらっしゃいます?」
と聞いて作るのが常となった。
そして、サカキ家のおいしい卵焼きのバリエーションは
次々増えていったのです。

自分の好みに忠実であることはしあわせなこと。
けれど、他人の好みに関心を持つことは、
しあわせの幅を広げることになる。

そういえば、私一度だけ、
「朝ごはんは必要ありませんから」と言われて、
それがとてもうれしかったことがあるのよ‥‥、
と母が昔の思い出話。
来週、ご披露いたしましょう。

2018-06-28-THU