まず、日本の飲食業が外食産業になる前の
飲食店のことをちょっと思い出してみましょうか。
大衆的なお店はレストランと呼ばれず、
大抵が「食堂」と呼ばれていた時代です。
とびきりの機会にお洒落してでかける
デパートのレストランも
「大食堂」とか「特別食堂」と呼ばれてて、
お店に入るとまず食券を買ったものです。
テーブルに案内されることなく、
自分で好きなテーブルにつく。
普通の食堂では水やグラスが
あらかじめ食卓の上に置かれていました。
それを注ぐのはお客様の仕事。
お店によっては食券を買う先払いではない店があって、
そういう店でもメニューはテーブルの上に置かれているか、
店の壁に貼られていましたから
お店の人が持ってくることはほぼなかった。
デパートの特別食堂では
さすがにお冷やおしぼりを持って来てくれた。
その一手間が「特別」の証なんだなぁ‥‥、
としみじみありがたく思ったものです。
そうそう、メニューに写真なんかありませんでした。
文字だけ。
それで何かわかる料理しか売られていなかった。
あるいはサンプルケースの蝋細工をみて
注文を決めるというのが当時の普通。
サービスも簡略で料理を運んでくるだけ。
お愛想なしが当たり前。
飲食店のサービスは
「愛嬌よしで愛想なし」が一番いいんだ‥‥、
と言われていたりもしたのが、
飲食店が飲食業と呼ばれていたのどかな時代。
お店に働く人の職種の割合は
厨房の中が6割から7割。
サービスする人よりずっと多くて、
なぜなら「調理は専門家しかできないけれど、
料理を運ぶことなら誰でもできる」と思われていたから。
外食産業がはじまって最初に変わったのが
客席サイドで働く人の仕事は
「料理運び」ではなく「接客」なんだという意識。
飲食店は製造業ではなく
「サービス業」でなくてはならないという考え方です。
調理の専門家というけれど、
明確な基準ではなく
経験と勘で作られる料理は不安定。
そんな商品に頼っていては経営の安定など危うい。
だから専門家に頼らぬ料理を作らなくてはと
厨房作業の合理化、仕組み化を徹底的にはかった。
本当の理由は違うところにありました。
専門家の経験を買うには費用がかさんでしまう。
厨房の中の給料は高く、
サービスサイドの給料は安かったのです。
調理人の給料を下げてしまえば
その分でサービススタッフを増やすことができる。
一人一人の給与を下げるだけでなく
人数も減らしてしまえば儲かるじゃないか‥‥、
と調理の仕組み化はズンズン進む。
代わりにお客様から見える
客席サイドで働く人の数は増えて、
サービスが目に見えて良くなっていく。
店舗における人員配置の6割がホールサービス、
4割が厨房スタッフ。
どちらもプロと言えないキャリアの人たちがメインで、
お店が運営されていく。
それが外食産業の主役、
ファミリーレストランの実態でした。
そして今。
人手不足の中で、
サービスという分野にまで合理化の波は押し寄せてくる。
大衆的な店では入ると券売機があるのが普通になりました。
あるいは先払いの業態も増えてくる。
お水がテーブルの上に置かれているのにも
驚かなくなりましたし、
ドリンクバーなんていう仕組みが
これほど一般的になるなんて
外食産業ができたときにも予想もしないコトでした。
気づけば厨房スタッフと
ホールスタッフの割合は半分半分、
あるいは厨房スタッフの方が
ほんのちょっとだけ人数が多くなるのことが
普通になった。
‥‥、とこう書いていくと、
外食産業になる前の「食堂の時代」に
日本の飲食店は逆戻りしたというコトに気づきます。
しかも40年ほども前の食堂時代まで
脈々と受け継がれてきた、
調理人の技術と経験は途絶えて、
今では、素人同然の人でも作れる料理が
蔓延してしまっている。
外食産業化というプロセスは、進化ではなく
退化のプロセスだったのかもしれないなぁ‥‥、
と思うと切なくてしょうがない。
「愛想もなければ愛嬌もなし」
というお店が溢れてしまっていると思うと
絶望的な気持ちにもなる。
あら、まえがきが長くなっちゃって
先週お約束した本題にたどり着かずにまた来週。
外食産業の時代には
「いいサービスをさせてくれるお客様」が
ステキなお客様と言われたけれど、
今の時代「サービスをはしょらせてくれるお客様」が
いいお客様なんだというコト。
時代だなぁ‥‥、としみじみ、しんみりいたします。