昔は‥‥。
と、そう書きかけて
その昔とはいったいいつのことかとまず考えます。
「昔」という言葉は曖昧。
話の内容によって10年前であったり20年前であったり、
場合によっては去年だって「昔」であったりする。
ボクが今回書く「昔」は、
飲食店がサービススタッフに教育をする余裕があった、
そんな頃。
つまり今から30年くらいも前のことになります。
今でも飲食店の人たちは教育熱心です。
けれど教育にはコストがかかる。
しかも教育している間は
それを受けるスタッフも教育担当者も
働くことができないから、
戦力が2人も欠けることになる。
当時、アルバイト1人を一人前に育てるのに
最低でも200万円のコストがかかるといわれていたほど、
人を育てるというのは大変なことでした。
今の飲食店には、まず、そこまでの金銭的な余裕がない。
しかも、教育担当者がはりついて
手塩にかけて育てる人的余裕も時間的余裕もない。
だから教育といっても、
昔の教育とは違った教育を
せざるをえないのが現状なんです。
教育の中心は「作業を教える」ということです。
お客様のお出迎えの仕方であったりご案内。
メニューを差し出し、
お冷とおしぼりをテーブルにおくと、
飲食店の仕事は作業の連続でできている。
それは昔も今も同じです。
けれど作業を完璧にできたからといって、
それがよい「サービス」になるかというとそうではない。
作業とサービスは違うのですネ。
作業にはそれをするための目的がある。
例えば、お客様をお出迎えすることで、
お店の雰囲気や性格を瞬時に伝えられたら、
お客様の不安を取り除き、正しい期待を持ってもらえる。
だから正しい言葉遣いに
正しい装いが必要になるのです。
ぶっきらぼうに「いらっしゃいませ」と言えば
それがサービスといえるかというと
決してそんなことはない。
「目的をともなった作業」が「サービス」。
ひとつひとつの作業が
本来、何を目的としてなされるのかを教えることは
時間がかかる。
まれに、サービスに対する感性が豊かで
サービスをするために生まれてきたんじゃないかしら‥‥、
って人がいるけれど、
その人は作業と目的を関連付けることが上手な人。
普通の人には手間ひまかけて
ひとつひとつを関連付けることが必要なんだけど、
それが今ではむつかしく
すべての作業の目的を
「お客様をしあわせにするコト」
とひとくくりにしてぶん投げる。
そうして育った人たちがするサービスは
通り一遍で応用が効かない、
まるでロボットみたいなサービスになってしまう。
しょうがないこと。
ただ、サービス業なんだから
サービスの力でお客様をシアワセにしなくちゃいけない、
と思ってがんばる若い人たちは少なくない。
気持ちと作業がしっかりむすびついていないから、
なぜ自分たちがほめられたのか、
なぜ叱られたのかがわからないで
戸惑うことがよくあるんだと、
教育の現場を見ていて、最近、気づいた。
先日、とあるお店の入り口近くで
カメラをちょっと構えたら、
お店の子たちが「キレイに撮ってくださいね」って
手をふりながら笑顔でボクの顔をみる。
パシャッと撮ってお店に入ろうとしたら
表情が真剣になって、いらっしゃいませと頭を下げる。
目当ての料理を注文し終えたら
「商品もおいしく撮ってくださいね」
って言うじゃないの‥‥。
かつての教育で教えるべき定形サービスだとか
マニュアル言葉やマニュアル作業はまるでしない。
そういう教育はされていないのでしょう。
でも自分たちのやりかたで
お客様によろこんでいただこうという気持ちが強い。
こういう店で働く子たちは
おそらくすごいポテンシャルを持っているんだなぁ、
と思うと同時に、彼らの潜在力が開花するよう、
お客様であるボクらが正しく育ててあげることが
必要なんじゃないかと思いもした。
サービスをしなくちゃいけないと思う感度が低い時代に、
どうふるまえば感度を上げることができるのか‥‥、
さて来週から事例を上げつつ考えていこうと思います。