おいしい店とのつきあい方。

024 破壊と創造。その2
料理は食材の再構築。

そもそも、料理するということそのものが「破壊と創造」。

卵を料理するとしましょう。
ゆで卵を作るのでないかぎり、まず殻を壊します。
目玉焼きやポーチドエッグ以外のものを作ろうと思えば、
卵をかき混ぜ壊していく。
ボクは白身のドロドロしたのが怖いくらいに苦手なので、
かきまぜるだけではすまず、
ハサミでジョキジョキ切ったりまでする。
まさに、卵を破壊してしまうことで
卵料理作りはスタートするのです。

その破壊が徹底的であればあるほど、出来上がった料理は
「手が込んでいて作り込まれた料理」だと言われる。
目玉焼きよりポーチドエッグや温泉卵。
それらよりもスクランブルエッグ。
そしてオムレツ。
だし巻き卵に卵焼き。
卵の原型から遠ざかれば遠ざかるほど、
料理性が高まっていく‥‥、
ということもできるでしょう。

完成形が卵の原型に近い、
つまり、破壊行為をもっともまぬかれた目玉焼きは、
ところがその後、とんでもない破壊行為にみまわれる。
皿の上でナイフで一口大に切り刻まれる。
あるいは箸でつつかれ、
黄身のとろけ具合が絶妙だとか、
白身の縁はカリカリに焦げていないと
風味がよくないんだよね‥‥、と、
割られてみたりちぎられたり。
お皿の上での破壊行為の限りを尽くされ、
お腹の中へと収まっていく。
加熱を免れた卵かけご飯用の生卵には、
みるも大惨事クラスの仕打ちが待ち受けています。
箸を突っ込み醤油をかけて器の中でかき混ぜる。
どうあっても、卵を食べるということは、
卵を壊すということにほかならないのです。

料理の世界では
「食材の再構築」という言葉を使ったりします。

壊す。
組み合わせる。
必要に応じて加熱したり調味する。
結合させる。
盛り付ける。

これが調理するということで、
つまり食材を再構築することなんだ‥‥、と。
例えばキュウリを、あるがままの姿で
そのまま食べることしかしなければ、
キュウリを使った料理の種類は一種類だけ。
塩をつけたり、味噌、マヨネーズと
調味料をつけて食べれば
調味料の数だけ料理の種類が増える。
切って形をかえれば食感が変わる。
大きさを変えれば口の中に入ったときの印象が変わる。
ニンジンやトマトと一緒にすりつぶしてピュレにして、
細かく刻んだキュウリを散らせば
ガスパッチョの出来上がり。

人は飽きずに食事を続けるために、
食材を壊し組み合わせ再構築することで
料理の種類を増やしていきました。
台所や厨房で日々行われていいる
「破壊と創造」がボクたちの食生活を
豊かにし続けているというワケなのです。

調理は残酷な破壊行為からはじまる。
その事実を覆い隠してしまいたいから‥‥、
なのでしょうか。
出来上がった料理はこの上もなくうつくしく、
お皿の上に盛り付けられる。
結局、それも壊されて
跡形もなくお腹の中におさまっていく。
壊されることを待っているから一層、
お皿の上の料理が
うつくしく見えるのかも知れないなぁ‥‥、
なんて思ったりすることもある。

最近、自分のための料理ばかりを作っています。
自分のための料理は色気が欠ける。
それは、どんなに気合を入れても結局、
壊して跡形もなくなってしまうということを
意識してしまうのかもしれない。

誰かが壊してくれる。
あるいは誰かと一緒に壊す。
それはたのしく、そういう料理を作ることは
たのしくてしょうがないこと。

ひとりで作ってひとりで壊す、
その破壊の先に一体何が生まれるんだろうか。
来週のお話です。

2020-09-10-THU

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© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN