おいしい店とのつきあい方。

023 破壊と創造。その1
イチゴひと粒の、最後の晩餐。

2週間、お休みを頂戴してしまい
読者の皆さまにご心配をおかけいたしました。
環境のさまざまな変化で頭の中が空っぽになり、
何を書いていいものやら
アイディアがまるで湧いてこない状態に陥っておりました。

アイディアは湧かなくても、食欲は湧いてきます。
食いしん坊に生まれた業に感謝する日々です。

大切な人の死は、
食べるということ、
料理に対して向き合う、その向き合い方、
今まで当然と思っていたことを
見直すきっかけになりました。

最後の晩餐に何を食べよう‥‥。

誰でもそんなことを考え、
そういう話題で盛り上がったことが
あるのじゃないかと思います。
ボクの考える最後の晩餐は、華麗にして優雅なるもの!

晩餐の場所は麻布十番の
クチーナヒラタのメインダイニングだなぁ‥‥。
メニューはおいしいものを集めよう。
ハンガリー産のフォアグラを
バター代わりにバゲットに塗り、
ブルネッロ・ディ・モンタルチーノをまず開ける。
ワインのあてに福臨門の皮付きの豚肉の窯焼きをつまみ、
お腹がほどよくあったまった頃合いで
クチーナヒラタの青唐辛子のパスタを食べる。
メインは維新號の、土鍋で煮込んだフカヒレの姿煮。
そんなわがままが叶うのならば、
この世に思いを残すことなくあの世にいける。
そんなふうに思ってました。

ある予感に向けてゆっくりとやってくる死がある。
終わりの予感があるのならば、
最後の晩餐の準備なり、予行演習なりも
できるかもしれない。

けれど突然やってくる死もある。
終わりが突然ならば、
最後の晩餐なんてどんなに思っても叶わぬこと。

そういえばボクの父の最後の晩餐は
大粒のイチゴひと粒でした。

父は重度の糖尿病持ちで、透析治療をしていました。
空腹状態で透析をはじめるから、
終了する頃にはもう腹ペコ。
食事をするために治療室の一階下にある食堂に降りる。
エレベーターを使うと遠回りになるからと、
勇んで階段を駆け下りて
最後の3段を踏み外して脊椎を損傷してしまいました。
しかも食道が途中で外れてしまって、
長い間、点滴で命をつないでいた。
お医者様の懸命の努力で、
流動食から徐々に形のあるものを
食べられるようになったときには、
本当によろこびました。
なにしろ食べることが好きな人でしたから。
「食べられる」ということは「生きている」証なんだと、
自分の手で料理を食べながら
しみじみ言っていたのを思い出す。

けれど脊椎の機能が戻ることはなく、
起き上がることができぬ体になりました。
最後の晩餐には卵を抱いたワタリガニを
腹いっぱい食べるんだ‥‥、と、
かねがね言っていたほどワタリガニが大好きで、
季節になると内緒で母に届けさせ、
食べてはお医者様に叱られていました。

病院で寝たきりでいるということは、
体の中の状態は完璧に健康であるということでもあって、
お医者様からは
「もしかしたらサカキさんより
長生きされるかもしれませんよ。
体の問題は私たちが完璧を心がけますから、
あとは生きる気持ちを持ち続けてくれることが大切ですよ」
とも言われていた。

けれど仕事ができるわけでない。
人と会って話をするのが好きな人だったけれど、
それもままならず、なにより大好きだった
「食べる」ということが制限され、
生きる気力をなくしたのでしょうネ。
大粒のイチゴを手にして
病室の小さな窓からさしこんでくる太陽の光に透かして
「キレイだなぁ‥‥、命が宿っているみたいだ」
と言いながらおいしそうに食べて、
それから、食べるものを受け付けなくなった。

最後の晩餐と思い続けていた
ワタリガニではなかったけれど、
自らの意思で最後の食べ物を選んだ人生。
案外しあわせだったのかもしれないね‥‥、
と母と会うたび話したりしました。

この食事が、もしかしたら
最後の晩餐になるかもしれない‥‥、と、
毎食、思いながら食べるようになりました。
だからといって、毎食、最後の晩餐にふさわしい
贅沢なものを食べているというわけじゃない。
どんな料理でも、
ボクの人生の最後の食事にふさわしいように
おいしく、たのしく食べてやろうと真剣に食べる。
食べる心構えが変わったように感じるのです。

そして真剣に食べ続けることで、
「食べる」ということは
おそるべき「破壊行為」なんだと気づきました。
ボクたちは日々、
食事のたびに破壊行為を繰り返している。
それは一体どういうことか?
来週からのお話とさせていただきたく存じます。

2020-09-03-THU

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