「街」のよきところ。
それはひとつひとつの店が
お客様を独り占めしようとしないところ。
一軒一軒が独自の特徴をもちよって、
互いのお客様を融通し合うことで街がにぎわっていく。
「はしご」って習慣も
そういう「街」という場所があればこそ。
‥‥、という話を数週間前にしました。
若い人たちがお酒を飲む習慣をなくしはじめている。
そればかりか経済的な理由から、
お酒は店でなく家で飲むものという風潮にもなってきた。
それでも「はしご」はまだまだ堅調。
飲み屋を何軒もはしごするというような人は
少なくなったけれど、
飲んだ〆にラーメン、といったはしごは
今でも普通に行われている。
粋な飲み屋さんが集中する街のラーメン店は儲かる、
と言われています。
飲んで食べたいラーメンは、
脂が強くてコクがあり塩気がパリッときいてるラーメン。
とんこつ系のラーメンなんてピッタリでしょうね。
細めの麺がスルスルお腹の中にはいって、
飲んで疲れたお腹にやさしく蓋をする。
来てくれるお客様が食べたいものがわかった商売は
間違いの少ない商売です。
しかも飲んで気持ちが大きくなってる。
少々強めの値段をつけても
居酒屋やバーで使う金にくらべれば安く感じる。
稼ぎ時は夜だから、昼夜逆転になっちゃうけれど
手堅い商売。
ボクのお客様にもそのやり方で成功した人が何人かいる。
ところが彼らが今。
口を揃えて、最近、本当に大変なんだと言う。
「うちのお店は飲んで〆る店。
なのに飲む人たちが減ってしまった」と。
コロナの影響。
しかもニュースでずっと
『夜の街』は危険だと連日報道されて、
街を歩く人さえ少なくなった。
はしごを前提に出来上がっている街は、
店と店がつながることでできあがる街。
だからそのつながりのひとつが機能しなくなってしまうと、
街全体が動かなくなる。
鎖が、ひとつ壊れてしまうことで
役目を果たさなくのと同じ。
かつて、それぞれの店が責任をもって集客し、
しかもそれを独り占めしなかったからこそ潤った「街」が、
その性格故に苦労する時代になった。
数週間前には思いもしなかったことが起こってしまう今。
知識は常に更新されるべきものであり、
けれど知恵はずっと蓄積されるもの。
ここではなるべく知恵を紹介しようと思います。
本論前の小さな寄り道でした。
さて、本題。
「館」。
特に百貨店という館の中の飲食店は、
営業再開以降もほぼかわらぬ状態で営業できている。
街場の店の多くが、テーブルを間引いたり、
テーブルとテーブルの間に衝立をたてたりと
飛沫感染を防げるようにと工夫をしている。
そのほとんどが仮設めいていて、
しょうがないからとりあえず対応しました、
というふうにも見えてどこか痛々しい。
百貨店のテナントで、
そういう対応をしているお店はほとんどない。
理由は簡単。
「館」独自の店舗の設計基準があるのですね。
もしものときの避難路の確保であったり、
贅沢な時間を体感していただくための
最低限のテーブルの広さを確保しないと許可がおりない。
誰の許可かと言うと、百貨店の設計監理をしている部署で、
彼らの許可がないと新設はおろか
改装工事にも着手できない。
ボクらが店を作ったときも厳しかったなぁ‥‥。
街場の店を年に何百軒と作っている設計士も、
頭を抱えるほどにその基準は厳しくて、
普通ならば100席とれるスペースに、
そのルールを守ると80席も作れない。
これじゃぁ、儲けるのも難しいですね‥‥、
と愚痴を言ったら
「それに見合う値段をおつけになればいいんですよ」
と事も無げに言われた。
たしかにコストがかかるのであればそれを価格に転嫁する。
それが商売の原理原則。
ここ10年近く流行っていた
「コストをかけずに店を作り、コストをかけずに運営する」
という経営スタイル。
デフレ時代の新しい飲食店のあり方なんだと
もてはやされていたやり方が、
今、大変な苦労を強いられ、
コストをかけるべきところにはかけ、
それに見合うサービスと商品力で
お客様の支持を得るという、
昔ながらのやり方が受け要られているという今の状態。
もしかしたら悪くないのじゃないかと思う。
時代は変わる。
また来週。
2020-08-13-THU