おいしい店とのつきあい方。

038 破壊と創造。その16
冷めないうなぎ。

ボクの外食コンサルタントのキャリアは学生の頃から。
当時、駆け出しのコンサルタントだった父の
鞄持ちをしていたことからはじまりました。
その会社は業界のくさ分けと言われる人が創業した会社で、
その人がボクの学校の先輩でもあったことから、
いろいろとかわいがって頂いたのでした。
外食産業の経営のいろはを教えてくれただけでなく、
粋なお店の楽しみ方も教えてくれた。
しかも実地訓練もふんだんに交えて、
ある意味、ボクという人間の
基礎の一部を作ってくれた人でもありました。

で、その人がある日、
おそらく世の中で一番艶っぽい店に
これから行こうと思うんだけど、
付いてくるか‥‥、と誘ってくれた。
そりゃ、ついていかない手はなくて、
仕事をほったらかしてオフィスを出ました。
時間は午前11時ちょっと過ぎ。
タクシーで15分ほど走りましたか、
オフィスビルが建ち並ぶ都心の一角に
控えめな門構えの一軒家が目的の場所でした。
家の表札のような木札に小さく屋号。
10個ほどの飛び石をわたった先に入り口があり、
そこは思った以上に大きなお屋敷。
廊下を何度か曲がった先の座敷に案内されました。

廊下に面したふすまを開けると2畳ほどの小さな前室。
前室のふすまの先には8畳の座敷、
座敷の向こうは庭が広がり、プライバシーは万全です。
華美ではないけれどしっかりとした造りの座敷で、
入り口の左手には床の間。
床の間の向かい側に襖があって、
果たしてそれは開けていいものなのやらわからず
「襖の向こう側もお部屋なんでしょうか?」
と案内してくれたお店の人に思わず聞きました。

「四畳半の続き間になってございます」
と襖をあけると、たしかにこじんまりとした畳の間。
今では滅多に使うことはございませんが、
奥には湯船のある浴室もございます‥‥、と。
檜の湯船にトイレも部屋には設えられていて、
まるで旅館の一室のよう。

先輩曰く。

「飲食店が料理だけを提供しているのではないことを
シンイチロウくんは知っているよネ‥‥」

こんな話がはじまりました。

「ロケーションやインテリア、
器だったりBGMであったり、
当然サービスであったりと
様々なものを飲食店は売っている。
それらの中にあって、有形にして究極のものが空間。
無形にして究極のものが時間‥‥、なんだね。
お客様が好きなように使える空間。
お客様が好きなだけ使える時間を
提供することができる店こそが究極の店。
ボクたちが今いるこの場所は、
そういう究極を味わうことができる場所。
大人のイマジネーションを働かせてご覧なさい。
誰にも邪魔されることのない
自由に使える座敷にお風呂があるなんて‥‥。
しかもここはうなぎ料理の専門店。
注文がはいってから鰻を割き、
丹念に焼き時間をかけて蒸し上げて、
そして再びタレをまとわせ焼き上げてやっと完成。
ゆうに一時間は完成までにかかってしまう。

続きの座敷の押し入れを覗いてご覧なさい。
そこにはいつもきれいに整えられた
清潔な布団が用意されていて、
予約のときにその旨を伝えておけば、
続き間に敷いておいてくれたりもする。
どうせこういう店の座敷は、
一日一度使われればそれで十分。
時間を気にするようなことはない。
『もしゆっくり時間をお過ごしになるのであれば、
お定食のうなぎを、
うな重にさせていただくこともできますが‥‥』
と、聞かれるんだよ。
うな重だとネ‥‥、
熱々のご飯の上に鰻の蒲焼きが乗っているから
なかなか冷めない。
お重の底にうっすら熱いご飯を敷いて、上に蒲焼き。
別の茶碗に白いご飯という組み合わせって、
粋なゴチソウだとおもわないかい。
『冷めるのを気にせず、お時間をお使いください』
っていう意味だからネ‥‥。

もしものときに言い訳のきく大人の時間。
なんと艶っぽくって色っぽい。
こういう店がある東京って
スゴいとシンイチロウくんは思わないかい。
ただこの店も今のままでは斜陽になるのがわかってる。
だから今日はね。
鰻ができるまでの一時間、どうすればいいのか
仕事の話をしなくちゃいけない。
気が重いよね‥‥」

そう、座敷の隅々を愛おしそうに見ながら言った
先輩のさみしげな顔。
いまでも忘れることができません。

2020-12-17-THU

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