hobo Nikkan itoishinbun





第7回 小さくても、喘息持ちでも
糸井 清水さんの話を聞いてると、人が、
「オレは才能がないから」とか言って
あきらめちゃってる話っていうのは、
たんに「そこの道に行かない」という話を
しているだけのように思えてしまいますね。
言っちゃ悪いけど、清水さんは、
「キミは、スケート選手になりなさい」って、
誰も言ってくれないような
子だったわけでしょ。
清水 はい。
糸井 ちっちゃくて、細くて、喘息で。
清水 あまりにも身長が小さかったから、
親が、成長に問題があるんじゃないかと思って
医大に連れて行ったくらいだったんです。
そこで、頭のサイズとか測られたりして(笑)。
ほんとに小さかったから。
糸井 なのになぜ、あきらめずに、
その道を行けたんでしょうね。
清水

いろんな要素があったと思います。
環境であったり、まわりの友達であったり。
少なくとも、タイムを縮めていくという
時間との戦いが楽しかったんですね。
自分の性格に合っていた。

糸井 楽しかったんだ。
清水 はい。
どんどん、どんどん、記録が縮んでいく。
父親から植えつけられた反抗精神というか、
「まわりにこういうふうに言われて、
 悔しくないのか。見返してやろう」
みたいなことも大きかったですし。
もちろん、小さいころは
それで世界を目指そうという意識は
まったくなかったんですけど。


糸井 世界を意識しはじめるのは
いつごろからなんですか。
清水 中学校くらいからですね、
そういう気持ちが芽生えてきたのは。
先の目標を設定して、
そこから逆算してあきらめずに
ひとつひとつのぼっていくというか。
たとえば、高校を選ぶにしても、
そこに入るにはどうすればいいかという
段階が逆算できるので。
糸井 つまり、自分で行けそうなところまで
あきらめずに進んでいくというか。
清水 強引にでも。ギリギリの範囲で。
糸井 ギリギリでも、目指して進んでいくんだね。
ちょっとずつ、世界が見えるところまで。
喘息でありながらね。
それは、いま喘息の人が知ったら、
勇気が出ると思うなぁ。
清水 そうなるといいんですけど。
いま思うと不思議なんですけど、
昔は、自分が喘息であることは
人に言いたくなかったんですよね。
糸井 いや、ぼくは経験があるから、
言えないという気持ちはわかりますよ。
やっぱりコンプレックスですもん。
人と違うことって、
感心されるのも、同情されるのも、いやですよ。
若いときは、そういうところでは
多少、ひねくれてもいますし。
清水 やっぱり、身近な友だちが喘息だったり、
共感できる部分を持つ人がまわりに増えてきて、
少しずつ変わっていったんですよね。
糸井 妙に、うれしいんですよね。
喘息仲間を増やすのが。
歴史上の偉大な人物で
喘息だった人を見つけると
ほんと、うれしかったですね。
「喘息の作家は、文体にそれが表れる」
とか聞くと、わかるような気がしたり。
清水 あ、わかります。
以前、ぼくがそのことを言ったら
周囲にすごく不思議がられたんです。
やっぱり、喘息の人どうしじゃないと
わからないのかもしれないですね。
糸井 においに対する敏感さとかね。
田舎は田舎のにおいがするし、
それが雨上がりの水分と
いっしょになってたりすると
目つぶってても、自分がどこにいるか
わかるような気がするんですよね。
ああいうのは、喘息ならではの感覚ですよね。
清水 不思議ですよね。
そういうのは、やっぱりあるんですね。
糸井 空気感みたいなものは、絶えず考えてますね。
いいことも、悪いこともあるんでしょうけど、
損ばっかりじゃないというのは、
いまになって思いますね。
清水 いい方の感性に絶対関係ありますよね。
糸井 だと思うんですよね。
でも、治る苦労のほうは、
近道を通ったほうがいいと思うんですよ。
ぼくはとくに自分が薬で治った立場ですから、
みんなに、早くいい薬にめぐりあってほしい
という気持ちが強いんです。
こういう対談を引き受けるのも、
ひとりでも多くの喘息の人が、
つらい回り道をせずにすめばいいと思うからで。
清水 それは、ぼくも同じ気持ちですね。
いまはほんとうにいい薬が出てきていて、
持続時間も長いですし、ばらつきも少なく、
コントロールしやすくなっているんです。
そういうことを多くの人に
知ってもらいたいというか、
若い世代、とくに子どもだちに
つらい思いをさせたくないんです。
そういった治療法で、状態が安定してくれば、
子どもたちが持ってる考えも変わってきますし、
たとえばスポーツがやりたいと思ったときも
可能性が広がっていきますから。
糸井 あと、ぼくが喘息の人、
とくに若い人に伝えたいこととしては、
わがままになる練習をしたら
いいんじゃないかなぁと思うんです。
喘息の人って、まわりの人に
気をつかいすぎるような気がするんですよ。
だから、人に気をつかわない練習を少しずつして、
図々しくなることで気持ちを軽くして
治していけるといいんじゃないかなと思います。
親ってね、子どものことを思うばっかりに、
引っ越したり、家を建て替えたり、
すごく苦労するじゃないですか。
もちろんそれは大切なことですけど、
もしも、子どもがそういうことに対して
「お父さんはぼくのために‥‥」って重く感じたら、
じつはそれはけっこうつらいんですよね。
少なくとも、ぼくはそうだった。
治さなきゃ! みたいに過剰に思っちゃうんです。
清水 そうですよね。
糸井 かといってほんとに放っとかれても
子どもは困るんですけど。
でも、「過保護に見えないような保護」って
絶対あるのでね、そこは親の修行が要りますね。
清水さんも、いずれ親になったらわかりますよ。
清水 ああ、はい(笑)。
喘息は遺伝が多いですからね。
糸井 ぼくも自分の子どもに
「あ、出るかな」と心配したこと、
何回もあります。
けっきょく、大丈夫でしたけど。
清水 ああ、そうですか。
糸井 今日は、お会いできてうれしかったです。
さっきも言いましたけど、
清水さんが自分の喘息を公表してくれたことって、
ぼくにとっては大きな勇気になったんです。
清水 ぼくも糸井さんから
そういうコメントをいただいて、
糸井さんも喘息だったというのをお聞きして、
すごいうれしくて。
こういう活動をすることによって、
励みになったという声もいただきましたし、
公表したことは、よかったなと思いましたね。
糸井 みんながこれを読んで、
こんなふうにできるんだって
思ってくれるといいですね。
清水 ありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。
糸井 こちらこそ。
 
(清水選手との話はこれで終わりです。
 お読みいただき、ありがとうございました)
2007-11-01-THU
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