糸井 | 清水さんの話を聞いてると、人が、 「オレは才能がないから」とか言って あきらめちゃってる話っていうのは、 たんに「そこの道に行かない」という話を しているだけのように思えてしまいますね。 言っちゃ悪いけど、清水さんは、 「キミは、スケート選手になりなさい」って、 誰も言ってくれないような 子だったわけでしょ。 |
清水 | はい。 |
糸井 | ちっちゃくて、細くて、喘息で。 |
清水 | あまりにも身長が小さかったから、 親が、成長に問題があるんじゃないかと思って 医大に連れて行ったくらいだったんです。 そこで、頭のサイズとか測られたりして(笑)。 ほんとに小さかったから。 |
糸井 | なのになぜ、あきらめずに、 その道を行けたんでしょうね。 |
清水 | いろんな要素があったと思います。 |
糸井 | 楽しかったんだ。 |
清水 | はい。 どんどん、どんどん、記録が縮んでいく。 父親から植えつけられた反抗精神というか、 「まわりにこういうふうに言われて、 悔しくないのか。見返してやろう」 みたいなことも大きかったですし。 もちろん、小さいころは それで世界を目指そうという意識は まったくなかったんですけど。 |
糸井 | 世界を意識しはじめるのは いつごろからなんですか。 |
清水 | 中学校くらいからですね、 そういう気持ちが芽生えてきたのは。 先の目標を設定して、 そこから逆算してあきらめずに ひとつひとつのぼっていくというか。 たとえば、高校を選ぶにしても、 そこに入るにはどうすればいいかという 段階が逆算できるので。 |
糸井 | つまり、自分で行けそうなところまで あきらめずに進んでいくというか。 |
清水 | 強引にでも。ギリギリの範囲で。 |
糸井 | ギリギリでも、目指して進んでいくんだね。 ちょっとずつ、世界が見えるところまで。 喘息でありながらね。 それは、いま喘息の人が知ったら、 勇気が出ると思うなぁ。 |
清水 | そうなるといいんですけど。 いま思うと不思議なんですけど、 昔は、自分が喘息であることは 人に言いたくなかったんですよね。 |
糸井 | いや、ぼくは経験があるから、 言えないという気持ちはわかりますよ。 やっぱりコンプレックスですもん。 人と違うことって、 感心されるのも、同情されるのも、いやですよ。 若いときは、そういうところでは 多少、ひねくれてもいますし。 |
清水 | やっぱり、身近な友だちが喘息だったり、 共感できる部分を持つ人がまわりに増えてきて、 少しずつ変わっていったんですよね。 |
糸井 | 妙に、うれしいんですよね。 喘息仲間を増やすのが。 歴史上の偉大な人物で 喘息だった人を見つけると ほんと、うれしかったですね。 「喘息の作家は、文体にそれが表れる」 とか聞くと、わかるような気がしたり。 |
清水 | あ、わかります。 以前、ぼくがそのことを言ったら 周囲にすごく不思議がられたんです。 やっぱり、喘息の人どうしじゃないと わからないのかもしれないですね。 |
糸井 | においに対する敏感さとかね。 田舎は田舎のにおいがするし、 それが雨上がりの水分と いっしょになってたりすると 目つぶってても、自分がどこにいるか わかるような気がするんですよね。 ああいうのは、喘息ならではの感覚ですよね。 |
清水 | 不思議ですよね。 そういうのは、やっぱりあるんですね。 |
糸井 | 空気感みたいなものは、絶えず考えてますね。 いいことも、悪いこともあるんでしょうけど、 損ばっかりじゃないというのは、 いまになって思いますね。 |
清水 | いい方の感性に絶対関係ありますよね。 |
糸井 | だと思うんですよね。 でも、治る苦労のほうは、 近道を通ったほうがいいと思うんですよ。 ぼくはとくに自分が薬で治った立場ですから、 みんなに、早くいい薬にめぐりあってほしい という気持ちが強いんです。 こういう対談を引き受けるのも、 ひとりでも多くの喘息の人が、 つらい回り道をせずにすめばいいと思うからで。 |
清水 | それは、ぼくも同じ気持ちですね。 いまはほんとうにいい薬が出てきていて、 持続時間も長いですし、ばらつきも少なく、 コントロールしやすくなっているんです。 そういうことを多くの人に 知ってもらいたいというか、 若い世代、とくに子どもだちに つらい思いをさせたくないんです。 そういった治療法で、状態が安定してくれば、 子どもたちが持ってる考えも変わってきますし、 たとえばスポーツがやりたいと思ったときも 可能性が広がっていきますから。 |
糸井 | あと、ぼくが喘息の人、 とくに若い人に伝えたいこととしては、 わがままになる練習をしたら いいんじゃないかなぁと思うんです。 喘息の人って、まわりの人に 気をつかいすぎるような気がするんですよ。 だから、人に気をつかわない練習を少しずつして、 図々しくなることで気持ちを軽くして 治していけるといいんじゃないかなと思います。 親ってね、子どものことを思うばっかりに、 引っ越したり、家を建て替えたり、 すごく苦労するじゃないですか。 もちろんそれは大切なことですけど、 もしも、子どもがそういうことに対して 「お父さんはぼくのために‥‥」って重く感じたら、 じつはそれはけっこうつらいんですよね。 少なくとも、ぼくはそうだった。 治さなきゃ! みたいに過剰に思っちゃうんです。 |
清水 | そうですよね。 |
糸井 | かといってほんとに放っとかれても 子どもは困るんですけど。 でも、「過保護に見えないような保護」って 絶対あるのでね、そこは親の修行が要りますね。 清水さんも、いずれ親になったらわかりますよ。 |
清水 | ああ、はい(笑)。 喘息は遺伝が多いですからね。 |
糸井 | ぼくも自分の子どもに 「あ、出るかな」と心配したこと、 何回もあります。 けっきょく、大丈夫でしたけど。 |
清水 | ああ、そうですか。 |
糸井 | 今日は、お会いできてうれしかったです。 さっきも言いましたけど、 清水さんが自分の喘息を公表してくれたことって、 ぼくにとっては大きな勇気になったんです。 |
清水 | ぼくも糸井さんから そういうコメントをいただいて、 糸井さんも喘息だったというのをお聞きして、 すごいうれしくて。 こういう活動をすることによって、 励みになったという声もいただきましたし、 公表したことは、よかったなと思いましたね。 |
糸井 | みんながこれを読んで、 こんなふうにできるんだって 思ってくれるといいですね。 |
清水 | ありがとうございます。 これからもよろしくお願いします。 |
糸井 | こちらこそ。 |
(清水選手との話はこれで終わりです。 お読みいただき、ありがとうございました) |
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2007-11-01-THU |
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