白岩 | 小説をあまり読まない糸井さんは、 どういう本を読んでらっしゃるんですか? |
糸井 | あの、歳をとってくるとね あんまりハズレには会いたくない、 っていう気持ちになるんですよ。 |
白岩 | (笑) |
糸井 | だからといってハズレに会わない方法が あるかというとないんですけどね。 最近は、「観光」がひとつのテーマなので、 「観光人類学」っていうジャンルに まつわるものを何冊か ぱらぱら読んでるんですけど、 これが、あんまりおもしろくなくて(笑)。 |
白岩 | そうなんですか(笑)。 |
糸井 | うん。なんていうかな、 研究者どうしの独特のことばが やり取りされてるような感じでね。 |
白岩 | 「開いてない」んですね。 |
糸井 | そう、そう。 |
白岩 | 本に限らないことだと思いますけど、 「開いてる」か、「開いてない」かって、 すごく重要ですよね。 |
糸井 | 重要ですね。 簡単には説明しきれないんですけど、 間違いなく、重要です。 |
白岩 | 自分の書くものは絶対に開いてたいなと 思ってるんですけどね。 小説って、どうしても閉じがちなので、 どうしたら開けたものになるのかな っていうのをいつも意識してるんですが。 |
糸井 | ぜんぶ書かなきゃ、開けるんじゃないですか? |
白岩 | 「ぜんぶ書かなきゃ」? |
糸井 | うん。ぜんぶ書くから閉じるんですよ。 |
白岩 | あーー。 |
糸井 | だから、白岩さんの書く小説は、 開いてるんじゃないですか。 |
白岩 | そうですかね、そうなのか。 ぜんぶ書かないことが開いてるんだ。 |
糸井 | ぜんぶ書いちゃうときって わかったような気になっちゃうじゃないですか。 |
白岩 | うん。わかった気になってるときってあります。 |
糸井 | それだと、その、 手が伸びないと思うんですよ、両側から。 |
白岩 | 開いているからこそ、手が伸びる。 というか、手を伸ばせるってことは、 それが開いてるということなんですね。 |
糸井 | そうだと思うんです。 |
白岩 | そうか、そうか。 |
糸井 | たとえば、ぼくらの仕事でいうと、 ふつうにミーティングをしているとき、 「ころころ転がるネタ」ってあるんですよ。 ものになんないかもしれないけど、 「転がるネタ」ってある。 |
白岩 | はい(笑)。 |
糸井 | それはやっぱりいいんですよ。 簡単じゃないかもしれないけど、 そういうのばっかり出してれば なんとかなるんですよ。 |
白岩 | 食っていけますか、それは? |
糸井 | 食っていけますね。 |
白岩 | あ、そうですか。そうか。転がるものなあ。 なかなか個人ひとりの力では どうにもならないかもしれないけど。 |
糸井 | 個人でも、 開いているものはできると思いますよ。 たしかに、個人だと、 閉じたものも生まれやすいと思うけど、 |
白岩 | なんとなくわかります。 |
糸井 | あの、ぼくは雲が好きで、 雲の写真をよく撮ったりするんですけど、 「ぼくはこれから毎日、雲を撮ります!」 って決めた瞬間に、どこかが閉じますよね。 |
白岩 | あーー。 |
糸井 | たとえばぼくが雲をよく見るのって、 まず、東京の街を歩いていて、 看板とかウィンドウとか、 人為的なものにうんざりすることが 先にあるんですよ。 で、しょうがないから上を見ると、 そこでいつも雲が、自由に、なんかやってる。 |
白岩 | うん(笑)。 |
糸井 | その、「なんかやってる、雲」のおもしろさは ぼくのうんざりからつながった先にあって、 「雲の写真を毎日撮ります」だと、 やっぱり、ダメなんですよ。 それでも、気に入った雲の写真は 「ほぼ日」にぽつぽつ出したりしますけど、 毎日撮るぞって約束しちゃうと 自分と雲の関係は逃げちゃうんですよ。 |
白岩 | それは、まえに出てきた 「価値と無価値の話」に ちょっと近いんですかね。 |
糸井 | ああ、近いですね、近いですね。 価値にしちゃダメなんですよね、きっとね。 |
白岩 | でもそれ、概念的にはとらえられないし、 どうしたらいいんですかね。 |
糸井 | とらえらないけど、 こんなふうにして、 ここまでは口で伝えられますよね。 |
白岩 | そうですね、ここまでは。 |
糸井 | うん。ここまでは言える。 |
白岩 | ここまでは言えるけど、この先は言えない。 |
糸井 | 登場人物がカギカッコの中で、 このくらいのことしゃべってても 人は読んでくれますよね。 |
白岩 | うん。 |
糸井 | で、ぼく個人のことでいうと、 そのくらいのことを書くことが 自分の商売になってるんじゃないかなぁと思う。 |
白岩 | あぁーーー。 |
糸井 | このくらいのことは言えてるし、書いてますから。 |
白岩 | うん、うん。 |
糸井 | うまく書けなきゃ うまく書けるまでほっときますし。 そのあたりの姿勢を続けていることがね、 たぶん「ほぼ日」という広場に人を集めるという、 自分の仕事につながってるんじゃないかな。 |
白岩 | 「ここまでは書ける」っていうところまで 何度も行ってみるっていう感じなんですかね。 |
糸井 | 何度も何度も行くんでしょうね。 |
白岩 | 犬の顔を毎日毎日見るっていうのも、 近いのかもしれない。 なにか意味があってとか、 目的を設けてっていうわけじゃないですもんね。 |
糸井 | そうですね。だから、ぼく、 同じことを違う角度から言い直す っていうことをよくしてますよ。 それは、『小さいことば』シリーズっていう本を、 1年に1冊ずつ、ほかの人がまとめてくれるから 気づくんですけど、ぼく自身はいつも、 そのときはじめて思ったつもりで書いてる。 |
白岩 | でも、それでいいような気がしますね。 |
糸井 | それでいいんでしょうね。 とくに、商売だとか、プロだとか、職業だとか、 そういうことを気にしなければ。 そんなもんなんだろうと思うんですよ。 |
白岩 | うん。人間がふつうに生きてるということは。 |
糸井 | 昔の人たちが毎日を暮らしてるときも、 そんなふうなことだったんだろうなと。 |
白岩 | そうですね。 そっちの方が歴史としては長いですし。 それは、すごくいい話だな。 |
糸井 | まぁ、どう商売にしていくのか、 という問題はあいかわらず残りますけども。 |
白岩 | それも困った(笑)。 |
(続きます) | |
2009-08-05-WED |