ほぼ日にとっても縁の深い
宮城県気仙沼市のラーメン屋さん
「中華そば まるき」店内の壁には、
ほぼ日の「おちつけ」掛け軸が飾られています。
繁盛店でひたすらラーメンを提供し続ける
じぶんに向けての「おちつけ」。
食欲がそそられる煮干の香りがする店内で、
ラーメンを待っている間に「おちつけ」。
この3年ほどの間、まるきさんのようすを
この掛け軸がいつも見守っていました。
東日本大震災や新型コロナウイルスなど、
先の見えない不安と向き合ってきた大将が
いま考える「おちつけ」のお話。
担当は、ほぼ日の平野です。
- ──
- 東日本大震災の後や、
新型コロナウイルスでの緊急事態宣言時など、
お店が開けない時期は不安もあったかと思いますが、
熊谷さんはどう乗り越えてきたのでしょうか。
- 熊谷
- 仕事ができないときは、おちつきませんね。
いちばんは震災の後です。
家もお店も津波で流れてしまって、
3月から8月の間、
まったく営業できない時期を過ごしました。
- ──
- その間は、避難所で生活されていたんですか。
- 熊谷
- うちの父母は避難所にいましたが、
妻の実家は無事だったので
娘と3人で泊まりにいかせてもらいました。
それから3ヶ月ぐらいお世話になって
住むアパートが決まったので、
そこに住みつつここのお店を作るのに
取り掛かっていたんですけど。
- ──
- いま営業されている
まるきさんの建物は被害はなかったんですか。
- 熊谷
- この一帯も津波の影響で半壊になっていて、
1メートルぐらいは浸水していました。
この建物は築40年ぐらいなんですが、
流されてきたクルマが
窓にぶつかってガラスが割れたり、
壁も水を含んでべこべこになっていました。
- ──
- そこまで被害が大きかったのに、
そのままお店として借りたんですね。
- 熊谷
- 補修工事にお金がかなりかかるので、
大家さんも壊すつもりだと言っていたんです。
でも、この場所が気に入ったので
わたしはどうしても借りたかったんですよ。
「自分で直すので貸してください」と頼みました。
内装はかなりボロボロで、
天井だけは無事だったのでそのままです。
壁紙も全部張り替えましたし、
床ももう一回モルタルを流して水平を取りました。
- ──
- まさに、一からの作り直しだったんですね。
そこから「まるき食堂」だったのが
ラーメン専門店の「中華そば まるき」として
ふたたび営業をはじめられた。
なぜラーメンだけにしたのでしょうか。
- 熊谷
- 震災前から「食堂」とはいっても、
ラーメンには傾倒していたんです。
でも、今ほどは突き詰められていませんでした。
東日本大震災が起きてから
避難所で炊き出しを目にする機会があって、
そこでラーメンの偉大さを感じたんです。
- ──
- ラーメンの偉大さ、ですか。
- 熊谷
- あるとき、東京から来た
洋食のシェフが集う炊き出しがあったんです。
わたしは気仙沼で洋食店をやっている
シェフとのつながりで、
料理を運んだり列を整理したりする
お手伝いをしていたんですよ。
- ──
- ということは、イタリア料理が
避難所の炊き出しに並ぶわけですよね。
- 熊谷
- でも、そのシェフの中にひとりだけ、
元イタリアンのシェフから
ラーメン屋さんに転向されたかたがいらして、
その場でラーメンを作ることになったんです。
洋食のシェフたちが腕を振るう
パエリアやミネストローネ、
洋風の牛肉コロッケにスペアリブなどが並ぶ中で、
そのおひとりだけが、ラーメン。
「食べたいところにどうぞ並んでください!」
と呼びかけたら、ラーメンの列だけ200人が並んで。
- ──
- すごいなあ、ラーメン!
それは衝撃を受けますね。
- 熊谷
- 避難所のおじいちゃんおばあちゃんが、
ここまでラーメンを求めていたとは‥‥。
でも、いろんな種類の料理があったから、
ラーメンは100食分しか用意していなかったそうです。
予備を含めて120~130食ぐらいあっても、
やっぱり途中でなくなっちゃいます。
ラーメンって名前を聞いただけで
「ああ、食いてえっ!」となるんですよね。
- ──
- 香りとか、湯気とか、手軽さとか、
ずるい要素がいっぱいありますから。
- 熊谷
- 父母が避難所にいたので、
何回も顔を出しに行っていましたが、
人によっては炊き出しで並ぶのをめんどくさがって、
「いいよ、おれはカップラーメンでいいから」
と列に並ばない人もいたんです。
でも、その日にラーメンがあるとわかるやいなや、
その日だけちゃんと並ぶんですよ。
ラーメンの吸引力はすごいなと実感しました。
- ──
- ラーメンを前にすると人は、
驚くほど素直になるんですね。
しかも、おいしいラーメンを食べると
元気が出ますもん。
- 熊谷
- ラーメンってイライラしているときや、疲れたり、
落ち込んだりという負の感情があるときに
食べたくなる側面もあるんですよね。
うちの常連さんでも、
疲れた表情でお店に来てから
ラーメンを食べてほっとして帰ることはあります。
- ──
- たとえば寒い日に食べたくなりますが、
寒いのもやっぱりストレスですよね。
ラーメンから、元気がもらえる感じはあります。
- 熊谷
- あ、わたしが煮干そばをやろうと思ったのは、
まさにそれで、元気が出るからなんですよ。
震災が起きてから2か月ぐらいの頃、
食べたいものやおいしいものなんて
滅多に食べられなかった時期に、
気仙沼から一関や水沢へ買い出しに出かけたんです。
そのついでに、現地のラーメン屋さんに
ふらっと入ったら魚出汁のラーメンだったんですよ。
それを食べたらめちゃくちゃ元気になれました。
- ──
- この味を求めていたんだと!
- 熊谷
- 「やっぱり、魚だよなあ‥‥!」って。
うちの食堂で作っていたラーメンは、
じいちゃんの代から煮干し出汁だったんですよ。
実はこの気仙沼では
煮干しを全面に押し出すラーメンは珍しいんです。
どのお店でもほんのりとは煮干しを入れていますが、
うちのラーメンは煮干しの香りがけっこう強烈。
それも影響したんでしょうかね、
「おれの好きなラーメンって煮干しなんだな」
と再認識することができました。
- ──
- まさに、ソウルフードなんですね。
煮干しラーメンで元気になれるのは
熊谷さんの育った環境だけなのでしょうか。
煮干しそのものにそういう効能があるとか?
- 熊谷
- 自分自身が煮干しをこんなに欲していたとは
思ってもいませんでしたね。
「あ、おれはこんなに煮干しを求めるのか」
「煮干しが好きだったんだな」って驚きました。
当時は震災のすぐ後だったので、
煮干し出汁のお味噌汁やラーメンが
食べられない時期が続いていたんです。
だからこそ、久しぶりに食べられた瞬間に
「はああっ!」って衝撃でした。
その店はクルマで1時間ほどの場所でしたが、
帰り道を運転しながら家に着くまでの間、
「ああっ、おいしかったなあ~」って
もうずっと余韻が続いていましたね。
- ──
- 久しぶりに魚出汁のラーメンを食べて、
幸福感が続いていたんですね。
- 熊谷
- そんな経験をしたので
「これで喜ぶのは、おれだけじゃない」と信じて、
煮干しのラーメンをまた作ろうと決めたんです。
たぶん、まだ食べたことのない人でもみんな、
潜在的に煮干しが好きなはずだろうと。
特に日本をはじめアジアに暮らす人達には、
みんなに共通しているんじゃないでしょうか。
- ──
- つまり、食文化として魚が染みついているから。
- 熊谷
- 科学的な根拠でいっても、
煮干しにはグルタミン酸とイノシン酸が
豊富に含まれているんですよ。
カツオ節だとほぼイノシン酸だけですが、
そこにグルタミン酸も含んだ煮干しは
病みつきにさせるんですよね。
- ──
- グルタミン酸と聞くと、
うま味調味料のイメージがあります。
- 熊谷
- グルタミン酸は、昆布とか醤油に
たくさん含まれているものですね。
だから、煮干し+醤油という組み合わせは
もう、たまらないですよね。
東北地方で煮干しといえば
魚特有の臭みがある種類なんですけど、
西日本の煮干しはいりこだしと言って
もっと透き通った、お上品な出汁ですよね。
うちでは、真イワシとカタクチイワシを使った、
ガツンとくるような出汁が
まるきのDNAなのかなって思います。
- ──
- スープがふわーっと口に広がっていく幸福感、
とってもよくわかります。
こどもでも大人でも、
「うわっ、うまそう!」って
本能的に好きなのがラーメンの魅力ですよね。
(つづきます)
2022-03-13-SUN
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