糸井 |
震災と写真についてのことでいうと
自衛隊や警察や消防の人たちが
震災直後から
「それは、ていねいに扱うんだ」といふうに
決めていましたよね。
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高橋 |
ああ、そうみたいですね。
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糸井 |
それ聞くと、ちょっと涙が出るんです。
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高橋 |
ぼくの友だちのお父さんが
当時、被災地の消防署長だったんです。
で、その人の話を聞いていたら
「どうしてはじめから
そういう方針をとったんだろう?」
ということが
なんとなく、わかってきたんです。
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糸井 |
ほう。
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高橋 |
つまり「写真」というかたちをとっていれば
仮に、そこに写っている人たちが
亡くなっていたとしても、
生き残ったご家族や友だちや知人の手に
戻るかもしれないんです。
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糸井 |
なるほどね。
あの当時、あの現場にいた人たちには
パッとわかったんでしょうね、そのことが。
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高橋 |
そうだと思います。
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糸井 |
相馬市の市長さんって
もともとお医者さんだったそうなんですが、
そういうジャッジが
ものすごくリアリスティックだったんです。
つまり、まだ可能性が残っている場所と
そうでない場所というのが
わかるわけですけど
「もう可能性のない場所」で
「まだ大丈夫なはずだ!」って大声を上げるのは
ある意味で簡単なんです。
でも、そうすることによって
「まだ可能性のある場所」へ注ぐちからが
削がれてしまう‥‥と。
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高橋 |
なるほど、なるほど。
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糸井 |
震災が起きた夜のうちに
たくさんの「棺桶」を頼んだんだそうです。
必ず、足りなくなるのがわかっていたから。
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高橋 |
ええ。
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糸井 |
そのことが、おかしなふうに伝わったら、
責められたかもしれませんよね。
「死んでるっていうのか!」って。
だけど、当時、震災の現場にいた人たちは
ちからを振りわけなければならなかった。
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高橋 |
当時は、法律を含めて、いろいろと
気にしてらんないことが、ありましたよね。
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糸井 |
つまり「お父さんの仕事」なんです。
「そんなのは、わかってるんだけど
こうしなきゃなんない」
というような、
歯を食いしばってやらなきゃならない仕事が
いーっぱい、あったんですよね。
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高橋 |
うん、うん。
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糸井 |
写真のことも、それと同じで
「もしかしたら亡くなっているかもしれない」
という現場の実感が、
そういう扱いをさせたんでしょうね。
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高橋 |
ぼく自身としては、
「なんで、写真をほしがるんだろう?」
ということについては
いまになって
やっとわかるところもあるんですが‥‥。
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糸井 |
ええ。
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高橋 |
ひとつだけ、
はっきりとわかっていたことがあって。
それはつまり、津波に流されてしまったり、
帰ってこない人がいるわけですけど
写真一枚あったら
それでお葬式をあげてやれるんだ‥‥って。
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糸井 |
実際的な「必要性」があったんですね。
あの‥‥震災直後、体育館に
写真といっしょに位牌だとか、賞状だとか、
集められていたじゃないですか。
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高橋 |
はい、ランドセルなんかも。
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糸井 |
つまり‥‥
人って、そういうものの集積なんだね。
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高橋 |
そうなんだと思います。
結局、んー、なんて言ったらいいのかなあ、
「記憶が、その人のすべて」
みたいなとこって、あると思うんです。
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糸井 |
ああ‥‥。
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高橋 |
現在の仕事とか役割とかが
みんなそれぞれに、あると思うんですけど
そういうのがぜんぶなくなったときには
「記憶」しか残らないというか。
で、写真自体が
その「記憶」に近い作用をしているような。
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糸井 |
そうかもしれないね。
でも、ここまで話を聞いてきて、
もしもぼくが
「写真洗浄と複写、やろうぜ」という段階で
知ったとしたら、
「終わるの?」って聞いたと思う(笑)。
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高橋 |
実際、2か月くらいで終わらせる予定が、
1年ちかくかかりました。
現場でも
「これって‥‥終わんないんじゃないの?」
みたいな空気もありましたし(笑)。
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糸井 |
ああ、そうなんだ。
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高橋 |
むしろ、その点については
地元のほうがシビアだったりするんです。
「こんな細かいところまでやってたら
終わんないんじゃないの?
捨てちゃったほうがいいと思うよ」
みたいな。
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糸井 |
そうですか。
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高橋 |
ぼくたちは、
捨てるということは、できないと思っていて、
かといって
「お焚き上げ」みたいなことも
ぼくらの感覚としては、ちょっとちがうなと。
処分するのは嫌だけど
それに替わるいいアイディアもなかったんで、
ひとまず「もうダメBOX」って箱に
ダメそうな写真を
ボンボン、放り込んでいったんです。
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糸井 |
ええ。
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高橋 |
洗浄と複写の作業がひと区切りついて、
さて返却作業だというとき、
「もうダメBOX」に何万枚も溜まった写真を
「さあ、どうしよう?」となりました。
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糸井 |
うん。
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高橋 |
そのときに、やっぱり思い浮かんだのは、
ぼくは、写真のことをずっとやってきたから
「展示をする」ってことは
ひとつ、
ぼくにできることなんじゃないかなって。
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糸井 |
なるほど。
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高橋 |
もちろん、写真を地元から持ち出すってことの
ハードルの高さも、わかってました。
だってそれって、
結局「見世物にする」っていうことですから。
<つづきます> |