高橋宗正+糸井重里 対談

写 真 に 何 が で き る ん だ ろ う ?
そう、くやしく思いながら
仲間と75万枚の被災写真を洗って展示した
写真家・高橋宗正さんの話。

東北の震災で被災した「写真」を
きれいに洗って複写して、
持ち主のもとに返却している人たちがいます。
写真家の高橋宗正さんと、その仲間たちです。
写真仲間やボランティアの学生さんなど
みんなで「75万枚」もの写真を一枚一枚、
泥を落としてデータ化しました。
東京からはじまって海外で展覧会も開きました。
彼らの活動は一冊の本にもなりました。
でも、高橋さんが
この活動をはじめたひとつのきっかけは
震災直後に抱いた
「写真に何ができるんだろう?」という思い。
もっといえば
「‥‥何も、できなかったんじゃないか?」
という「くやしさ」でした。
プロジェクトを進めていくなかで
その思いは、どう変化していったんでしょうか。
本を真ん中において
糸井重里と、対談していただきました。
第4回
もう一回、新人になる。
 
糸井 洗浄と複写が終わっては見たものの‥‥。
高橋 もう、地元の友だちとかもできてたんで、
「このあと、どうしよっか?」
みたいなことを、ずっと話してたんです。
糸井 よそでは「お焚き上げ」みたいなことも
やっていたけれども。
高橋 ぼくらは、それは嫌だなって思っていて、
つまり「取っときたかった」んです。

そのためには、「やっぱり展示かな」と。
糸井 うん。
高橋 そうすることの目的やメリット、リスク、
まあ、いろいろ考えたんですけど、
やはり「展示」をして
みんなに見てもらうことで募金を集めよう、
ということにしたんです。
糸井 場所はどうしたんですか、展示の?
高橋 この一連の活動は、結局
『津波、写真、それから』って本になるんですけど、
その本を出してくれた
東京の出版社の「赤々舎」が
当時、ギャラリーを持ってたので、そこで。

相談したら「使っていいよ」っていうので、
無料で、ありがたく。
糸井 よかったねえ。
高橋 あの写真洗浄、手伝ってくれた友だちが
「ちゃんと自分の目で見て、
 手で触って、作業させてもらってよかった」
って、みんな言うんです。

ちょっと言葉にしづらいんですけど、
何かが「伝わってる」のが、わかったんです。
糸井 いや、そう思う。
高橋 だから「みんなに見てもらう」こと自体には
絶対に意味があると思えたんです。

でも、たとえば東京で展示して、
東京の人たちに感動しましたって言われても
山元町にとっては
どういうプラスの意味があるんだろう‥‥と。
糸井 だから、お金を集めようと思った?
高橋 そう。ただし、ぼくらに集められる額なんて
たかが知れてると思いました。

何か町の足しになるとか、そんなのは難しい。
糸井 うん。でしょうね。
高橋 そのときに、友だちが言い出したんですが、
山元町の仮設住宅にも
「町内会費」みたいなものが、あるんです。

回覧板を刷るコピー代とか、
みんなで作業したときの、お茶菓子代とか。
糸井 なるほど。そこの足しにしようと。
高橋 そう。

当時、自治会長さんみたいな人のところに
そういう負担が
少しずつ、積み重なっていたんですね。

数万円とかなんですけど、
そこに役立てりゃいいんじゃないかって。
糸井 わかりやすいですね。
高橋 それくらいだったら
ぼくらの集めるような額でも、いけそうで。
糸井 いいねえ、その使い道は。
高橋 展示会場に募金箱を置いときつつ、
1000円のポスターを3種類つくりました。

1000円のうちの3割は
印刷代や運営費などの経費に使うんだけど
残りの7割を寄付に回したんです。
糸井 うん。
高橋 そしたら結局、100万円ちかく集まって。
糸井 おお、すごいね。
高橋 当時、各地の写真洗浄プロジェクトについて
ディスカバリーチャンネルが
ドキュメンタリー番組をつくっていたので
「乗っからしてもらおうぜ!」って
みんなで盛り上がって(笑)、
英語できるやつに企画書を翻訳してもらって
結果、アメリカでも展示ができました。
糸井 海外へ行ったのは、そういう経緯だったんだ。
高橋 はい。で、ロサンゼルスで展示をしていたら
ロサンゼルス・タイムズとか
ニューヨーカー、ニューヨーク・ポストとか
あっちのメディアが、
好意的に取り上げてくれたんですよ。

だんだん話が広まっていって、
各地を転々と展示して回ることになりました。
糸井 同じ写真が、ぐるぐる回ったの?
高橋 いえ、なにしろ量が多かったものですから
別のセットを作れたんです。
糸井 具体的には、どこへ行ったんですか?
高橋 ロサンゼルス、ニューヨーク、
メルボルン、北海道、サンフランシスコ、
もう一回東京、ローマ‥‥。
糸井 それ、いちいち行ってたの?
えらいことだねえ、それ。
高橋 はい。

2011年いっぱいで写真を洗って複写して、
2012年は、そんな感じで行ったりきたり。
糸井 お金はどうしてたんですか?
高橋 いや、そこなんですけど(笑)、
2011年は、平日はカメラマンとしてはたらいて
週末は酒も飲まずに
写真を洗ってばかりいたら、
あんまり、お金を使わなかったんですよ。
糸井 ああ、なるほど。
高橋 そしたら、
気づかないうちに、お金がわりと貯まってて。

なんか、2011年の暮れあたりには
「あれれ? 貯金が150万ぐらいあるけど?」
「どうした、俺?」みたいな(笑)。
糸井 おお(笑)。
高橋 展示の企画が持ち上がったときには
「まあ、100万円なくなるまではがんばろう」
と思って、やりはじめました。
糸井 高橋さん、カメラマンとしては
もう、ふつうに「食えて」たんだと思うけど、
そこで一回「新人」に戻ってますね。
高橋 そうそう、そうなんです!
勉強になったことが、たくさんありました。
糸井 いや、それ、長い目で見たらすごく貴重だよ。
食えてから、もう一回「新人」やるって。
高橋 ほんと、そう思います。

でも、1年間ぐるっと展示をやった結果、
2013年の年明けぐらいには、
残高が「2万円」くらいになってました。
糸井 ‥‥ちゃんと減ったんだ(笑)。
高橋 そこで「大丈夫か、俺?」と‥‥(笑)。
糸井 いや、たまってるよ、「心」には。
高橋 そうですかね?
糸井 うん、絶対、たまってると思う。

<つづきます>
2014-06-04-WED
 
このコンテンツのトップへ 次へ
 
感想をおくる ツイートする ほぼ日ホームへ
撮影:阿部健   協力:IMA

(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN
 
※これがなんの予告だかぜんぜんわからない、
 という方は、こちらをクリック。