河野 |
震災のときに土蔵も杉桶も流されて‥‥。
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糸井 |
ええ。
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河野 |
たくさんの方に、助けていただきました。
正直に言うと私、恥ずかしい話、
お醤油なんて、どうでもよかったんです。
それどころじゃなかったので。
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糸井 |
そうか‥‥。
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河野 |
でも、いちばんはじめに
ずっとうちの蔵を撮り続けてくれていた
地元のテレビ局のカメラマンが
私たちを助けてくれたんです。
「河野さん、いまは動けないだろうけど、
俺、お宅の樽を見つけたんだよ。
中身、流されてなくなってるんだけど、
あんたに言われる前に、
内側にこびりついてる微生物をこすりとって
知ってる先生のところに
培養してくれって送っといたから。
ちょっと落ち着いたら、
その画(え)だけ撮らしてほしい」って。
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糸井 |
‥‥すごい。
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河野 |
その放送を見た釜石の微生物研究所の先生が
「八木澤商店のもろみ、
たしか、うちにもあったはずだ」って。
その研究所も津波で流されているんですけど
ガレキの中を探してくれて
密閉容器に入ったうちの「もろみ」を4キロ、
無傷で見つけ出してくれたんです。
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糸井 |
そんなに、たくさん。
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河野 |
うちのお醤油、
アミノ酸の組成が特徴的だったんです。
ふつう、一般的なお醤油の場合は、
アミノ酸の中でもグルタミン酸、
つまり「うまみ成分」が突出するんですけど
八木澤商店のもろみの場合、
アミノ酸の「種類」が、他より多くて。
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糸井 |
それが、八木澤商店の味になってたんだ。
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河野 |
そうなんです。そのことについて
大学と共同研究しようとなっていたから、
その研究所に置いてあったんです。
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糸井 |
運が、よかったですんね。
見つかったことも含めて。
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河野 |
こっちが忙しいのをわかっているので
4キロをそのまま、
盛岡にある岩手県工業技術センターに
運び込んでくれました。
すると今度は県が予算をつけてくれて
八木澤商店に
4月から入社する予定だった研究員を
岩手県で1年間、延長雇用しますと。
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糸井 |
本当に、みんなが助けてくれたんだ。
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河野 |
その研究員を「延長雇用」する目的は、
「八木澤商店の微生物の保全」です。
予算をつけて、
新たにもろみを仕込んでくれたんです。
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糸井 |
おお。
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河野 |
4キロのもろみは拡大培養されて
160キロのもろみとなって
完成した新工場に帰ってきました。
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糸井 |
そこから、2年。
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河野 |
はい。
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糸井 |
河野さんが、陸前高田のみんなのために
あちこち動きまわってたころには
もろみのことは
他に委ねていられたっていうことですね。
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河野 |
そうなんです。
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糸井 |
奇跡みたいな話ですね。
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河野 |
本当に、ありがたかったです。
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糸井 |
震災後の八木澤商店が
「まずは、社員の雇用を守ろう」と
考えたときって
何で食っていこうかなんて
何のあてもないままスタートして、
何とかするって気持ちだけで
みんな、集まってくれたんですよね。
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河野 |
はい、そうです。
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糸井 |
売るものがまったくない状態で。
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河野 |
ええ。
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糸井 |
八木澤さんの味付ぽん酢の
「君がいないと困る」って人気だけど
震災後、
あれだけ売れると思ってました?
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河野 |
味には、絶対の自信があったんです。
でも、品質本位であるがために、
どうしても「賞味期限」が短くなる。
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糸井 |
ええ。
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河野 |
具体的には
「製造日から3カ月」なんですが
それくらいの商品ですと
1カ月くらいで
売り切ってしまわなければならない。
だから、小売店さんからは
「品質がいいのはわかるんだけど
うちには置けないよ」
と、言われ続けていた商品でした。
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糸井 |
そうだったんだ。
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河野 |
でも、通販とか直接販売で買ってくださる
全国のお客さまのおかげで、
震災後の出荷本数が
多いときは震災前の「5倍」になりました。
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糸井 |
それは‥‥助かりましたね。
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河野 |
糸井さんのおかげもあるんです(笑)。
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糸井 |
いや、だって、たしかに
「おいしい、おいしい」とは言ったけど、
本当においしいですから。
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河野 |
ありがとうございます。
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糸井 |
でも、そうやって仕事をつなぐことで
お醤油ができるのを、待っていられた。
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河野 |
そうなんです。
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糸井 |
潰れそうになったり、とかは‥‥?
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河野 |
ありがたいことに、ありませんでした。
取引のある金融機関の支店長が
「絶対に潰さない」
と約束してくれたことが、大きいです。
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糸井 |
そこにもまた、「応援団」が。
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河野 |
むしろ苦しかったのは、
社員がストレスで辞めていったときです。
新しい工場は建ったけれども、
社員は辞めていきます‥‥というのは。
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糸井 |
誰も「辞めるな」って言えないですしね。
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河野 |
工場を隣の一関に建てると決めたころには
陸前高田には
復興再建の仕事が、たくさんあったんです。
だから、
「俺たち、誰をしあわせにしたいと思って
がんばってきたんだっけ?」
というところがわからなくなったとき、
いちばん、きつかったですね。
<つづきます> |