きょうはオバマ大統領の
ノーベル平和賞受賞で思い起こしたことです。
時間があったらおつきあいください。



帰還兵たちの悲惨

オバマ大統領のノーベル平和賞受賞は、
世界に驚きを持って迎えられた。
歓迎した人もいれば、首をかしげた人もいるだろう。
オバマ氏が掲げた理想への応援歌だと考えた人もいれば、
まだ何もしていないのにと
不思議に思った人もいただろう。

世界で巻き起こった、
こうしたかしましい反応や論評がどうであれ、
現実にはアメリカは今もふたつの戦争を抱えている。
イラクに駐留する12万人の米軍は
段階的に撤退される動きが始まっているが、
その一方でアフガニスタンには2万人を増派し
6万8千人規模にすることを
すでにオバマ政権は決定、
これでは足りないという現場の声を受けて
さらに米兵を送り込むかどうかで
オバマ大統領は揺れている。

これまでにイラクとアフガニスタンをあわせると、
5200人以上の米兵を戦場で死なせている。
そればかりではない。
アメリカに帰った兵士の悲惨さはほとんど見えてこない。
私は華やかなノーベル平和賞の報に接して、
思いをめぐらせる中で、
これまで会ってきた多くのアメリカ兵たちを
思い起こしていた。

ひとつの数字を見てほしい。
40万人。
これは現在ホームレスになっている、
あるいはホームレスを経験した元アメリカ兵の数だ。
兵士たちは軍を去った後、
戦場で経験したことを忘れるために
麻薬やアルコールに溺れてしまう。
あるいはPTSDと呼ばれる精神疾患を発症して、
社会に復帰できなくなってしまう。
その結果、ホームレスになってしまうのだ。
戦場でなんとか生きのびたからといって、
社会で生きのびられるとは限らない。 

ロサンゼルスにも
3万人近いホームレスの元兵士がいる。
彼らは道端で暮らし、
こうした兵士たちを救うNGOが
配給する食糧などで日々をしのいでいる。
私がNGOのメンバーと一緒に
ダウンタウンを回ったときも、
大勢の元兵士たちが独特のにおいを発して
歩道や脇道のあちこちに寝転がっていた。

NGOのメンバーが、ひとりの元兵士に話しかける。
「あなたはベトナムの帰還兵?」
「そう、1972年に行ったよ」
NGOのメンバーは時間をかけて元兵士の気持ちをほぐし、
彼らが運営する更正施設に入るよう説得していく。
「どこか別のところに行きたくないか?」
するとホームレスの元兵士がおびえたように言う。
「ベトナムには帰りたくない」
「ベトナムには絶対連れていかない。約束する」
今にも逃げ出しそうな様子だった元兵士も、
最後には厚生施設に行くことに同意した。
彼らは施設に入ると
同じ境遇の仲間たちと共同生活を送り、
酒と麻薬をたって、社会復帰を目指すのだ。

この施設にひとりの日系人がいた。
アランという名のこの元兵士は、
9・11同時テロの5ヶ月前に陸軍に入り、
2003年に始まったイラク戦争に行く。
1年後に帰国するものの、
精神的な障害に悩まされるようになった。
「銃やヘリの音が聞こえると、戦場に戻ってきたと思い、
 ベッドの下に手を伸ばして
 マシンガンを探してしまいます。
 そのあと辺りを見回して
 自分がアパートにいることを悟るのです」

悪夢にうなされるようになったアランさんは、
酒、マリファナ、さらには覚せい剤にも手を染め、
アパートを追い出されてホームレスになった。
アランさんは、施設の生活を通して、
戦場での出来事を一日も早く忘れてしまいたいと訴えた。

同じロサンゼルスで出会った別の元兵士は、
さらに激しい感情に揺さぶられていた。
チャット・ライバーさんは、角刈りで精かんな顔つき、
ランボーのような肉体をあわせもっていた。
彼はアフガニスタンとイラクという
ふたつの戦場を経験し、
エリート集団である特殊部隊の一員として、
ビン・ラディン容疑者を追う任務にも
ついたこともあった。
ところが目の前で親友の兵士が殺されたのをきっかけに、
精神のコントロールを失っていったという。

「感情というものがなくなりました。
 あなたを殺すことも、あなたの友人を殺すことも、
 私にはなんの違いもありません。
 気がつくと人を殺そうとしているのです」
私をまっすぐ見て、彼はそう言った。
その無表情は、恐怖を感じるほどだった。

ライバーさんは帰国後、
街で見知らぬ人を突然、殴り倒したり、
パーティーで体が触れたという理由だけで
その相手のこめかみに銃をあてて、
引き金を引いてしまったこともあった。
彼は定期的にカウンセリングの治療を受けているものの、
戦場での激しい緊張から逃れられないという。
「気がつくと、夜中に軍服を身に着け、
 顔にカムフラージュのためのペインティングをして、
 銃とナイフを持って外に出てしまうのです。
 そして住宅街に入り込み、
 民家を偵察して回っているのです」

正規の訓練を受けた兵士ですらこうなのだから、
一般の市民が突然、
戦場に駆りだされたときの精神的なダメージは
想像を超えたものだろう。
イラク戦争の特徴のひとつは、
州兵や予備兵と呼ばれる一般市民が
多く戦場に派遣されたことだ。
プロの兵士の不足を補うためで、
こうした『市民兵』は、
全体の3割から多いときは半分近くを占め、
これまでに少なくとも
25万人以上が戦場に行っている。

州兵は、本来は災害救助などが主な任務で、
月に一度、簡単な訓練を受けるだけの
素人と言ってもいい。
州兵に登録した時には、
まさか戦争が始まるとは思ってもいなかった、
そんな人々だ。
ワシントン州の州兵だった
リチャード・ウォーパッドさんは、
開戦直後にイラクに派遣され、
フセイン元大統領を拘束した
30人ほどの部隊の一員として
その現場に立ち会った。
「フセインは、病気のように見えました。
 栄養失調のようでした。フセインを拘束したとき、
 我々は飛び上がって喜んだものです」
ウォーパッドさんは手柄を誇るでもなく、
消え入るような声で言葉を発した。
ひどく痩せていて、
見るからに神経質そうな表情を浮かべていた。

彼は1年間イラクで過ごしたあと帰国、
建設労働者の仕事に戻った。
しかし、彼自身は以前のまま、
というわけにはいかなかった。
階下で小さな物音がする。
ウォーパッドさんは体をビクッと震わせて、
あわてて横を向いた。
近くにいた友人の女性が、
子どもをあやすような口調で言う。
「ドアの閉まる音よ。大丈夫、深呼吸して。
 迫撃砲のように聞こえたの?」
「そう、遠くで‥‥」と言って、
ウォーパッドさんは、
細い顔に不釣合いなほど大きく目を見開いていた。

やはりインタビューの最中のことだ。
遠くを列車が通ったのだろう。
かすかに汽笛の音が聞こえる。
その瞬間にウォーパッドさんの表情は一変して、
言葉を飲み込んだ。
目を見開き、大きく息をして、目をつぶる。
そしてゆっくり深呼吸をくりかえし、
懸命に気持ちを落ち着かせようとしていた。
「イラクに行く前と、自分は変わったと思いますか?」
と私は訊ねた。
「完全に別の人間です」
「どう変わったのでしょう?」
「気が休まることがなくなりました。
常に戦場にいる状態が続いているのです」

帰還兵たちの悲惨は、
もちろん精神的なものだけではない。
イラク戦争はかつてアメリカが経験したことのない事態を
ひきおこしている。
死者の数に比べて、
負傷者の数がはるかに増えているのだ。
ジョージア州にある米軍のリハビリセンターで、
負傷兵たちと話す機会があった。

マーク・ウィルキンズさんはイラクで装甲車を運転中、
道路で爆弾が爆発し、右足の膝から下を失った。
「ひどくショックでした。まるで夢のような感覚で、
 本当の出来事とは思えませんでした」
ウィルキンズさんは、妻と3人の子どものために
一日も早く仕事に戻りたいと、
懸命にリハビリを続けていた。
ウィルキンズさんは
イラク戦争の負傷者の典型的なケースだと、
デニス・ホリンズ医師は言う。
「負傷の多くは、爆弾の破片によるものです。
 このため兵士の骨が砕け、
 かなりの数の兵士は頭をやられてしまいます。
 また爆発で手足を失うのです」
最新の防護服のおかげで、手足をすべて失いながら
命だけは助かるというケースが増えているという。

トマス・ヤングさんはイラクで、
車で移動中に攻撃をうけた。
銃弾が脊髄を貫通、胸から下が不随となった。
「突然、全身が動かなくなり、銃を落としました。
 何の感覚もなかったのを覚えています」
ヤングさんのようなケースは
過去の戦争では死亡していたと医師はいう。
「脊髄を負傷した兵士は、
 過去の戦争では亡くなっていたものです。
 ところが今は死なずにすむかわりに、
 不随となって
 自分の力だけで生きることはできません。
 頭を損傷するケースでも同じことが言えます」

医療の進歩のおかげで
命を救うことできるようになった。
これもイラク戦争で負傷者の数が増えている
大きな理由だ。
これまでイラクで亡くなった米兵は4356人。
これに対して負傷した兵士は
3万1500人(09年10月現在)にのぼる。
死者の7倍以上が負傷している計算で、
過去の戦争に比べてその割合は、はるかに多い。
彼らは救われた命と引き換えに、
その後の長い人生を引き受けなければならない。

ヤングさんはドイツとアメリカの病院でリハビリをうけ、
2005年の8月に高校時代の後輩と結婚した。
「正直に言うと、
 妻や母がいなければ自殺していたと思います」
家には、軍から贈られた勲章が置かれていた。
私がその勲章に気づくと、彼は吐き捨てるように言った。
「こんな勲章、欲しくなんかなかった‥‥」

ノーベル経済賞を受賞した
コロンビア大学教授らの試算によると
将来にわたってアメリカが負担する
イラク戦争のコストは3兆ドル、
およそ270兆円を超えるという。
この中には負傷兵への手当てなども
もちろん含まれる。

アメリカは20世紀に入って、
ほとんど絶え間なく戦争を続けている。
第一次大戦に参戦してから、
20世紀中に戦闘や爆撃をした国の数は19にのぼり、
アメリカ兵の死者は43万人に達している。
さらに21世紀に入ってからも、
アメリカは引き続きふたつの戦争を進行させ、
イラク戦争では10万人以上のイラク人が
亡くなっている。

オバマ大統領は“戦争大国”の流れを
断ち切ることができるのか。
それともブッシュ大統領の負の遺産を、
そのまま“オバマの戦争”にしてしまうのか。
今がその分岐点だろう。
ノーベル平和賞にふさわしい大統領かどうかは、
歴史が決めることになる。

ロサンゼルスの更正施設で、
ホームレスになった元アメリカ兵の言葉を紹介して
きょうのコラムを終えようと思う。
彼は更正施設の合唱団の一員として、
アメリカ国家を歌ったあとでつぶやくように言った。
「アメリカは他国にいつも手を差し伸べる。
でも多くの場合、
その国はアメリカが来ることを望んでいないし、
問題をかえって大きくしてしまうんだ」

(終わり)

2009-11-01-SUN
前へ このコンテンツのトップへ 次へ