日本文学研究者で、日本に帰化した、
92歳のドナルド・キーンさん。
日本人を知る旅の2回目です。



キーンさんの見た玉砕[3]

キーンさんが、
初めて本当の日本人に触れた、と
感じたのは日記だった。
ガダルカナル島で押収され、
ハワイに持ってこられたものだ。
ガダルカナル島は、
真珠湾攻撃以来、勝ち進んでいた日本軍が
アメリカの逆襲にあい
初めて大敗を喫した場所として知られる。
戦場には2万人を超える日本兵の遺体とともに
それぞれの日記が残されていた。

その多くは血に染まり、異臭を放っていた。
それでも無味乾燥な文書を翻訳する仕事に
うんざりしていたキーンさんは
日本兵の日記を次々と手にとる。
おそらくどこかのジャングルで、
あるいは塹壕のなかで殴り書きされた文章は
ひどく読みにくかったが、
その内容はキーンさんを夢中にさせるに
余りあるものだった。

6カ月にわたって激しい戦闘が続いた
ガダルカナル島で、
日本兵はアメリカ軍だけでなく
マラリアや飢餓とも戦っていた。
そうした過酷な状況のなかでの心情が
めんめんと綴られた文章に
キーンさんは感動さえ覚えたという。

日本人へのその共感は
アッツ島で“玉砕”を目撃したことで
ふたたび揺らいでしまう。
日本人とは何者なのか。
アッツ島から帰ったキーンさんは
ハワイの捕虜収容所で
今度は訊問官として日本人と向き合う。

「一応、決められた質問をしました。
 そしてそれが終わってから、
 『どういう音楽が好きですか』とか
 『最近、日本に面白い小説はありましたか』とか
 そういう話をしたんです。
 みんな友達になったんですよ」

キーンさんはそう振り返る。

それは訊問官の仕事を逸脱していたに違いない。
それでもキーンさんは、
日本人を理解しようとする試みを続けたのだ。
そんなある日、キーンさんは
捕虜収容所に蓄音機を持っていく。
親しくなった捕虜のひとりから
音楽が聴きけなくなってさみしいと
打ち明けられたためだった。



キーンさんは、音の響きがいい
シャワールームを会場に選び、
日本人捕虜30人ほどを集めて
レコードをかけた。
まずはホノルルのレコード店で
見つけた日本の歌謡曲。
そして日本人捕虜からリクエストのあった
ベートーベンの交響曲第3番『英雄』だ。

「もちろん前からよく知っている曲でした。
 でもあの時ほど素晴らしく聞こえたことない。
 蓄音機、シャワールームのなかで、
 あれはすごかったです」

ベートーベンの『英雄』を聴いて
あんなに感動したことはなかったという。

「どうしてその時、
 そんなに感動したんだと思いますか?」

「もう戦争はなかったです。
 友達と一緒にいるというような感じでした。
 同じベートーベンを聴いて、
 同じように素晴らしい音楽を聴いて、
 もう戦争がない、みな友達だったです」

長いインタビューを通して
この話をしたときほど
キーンさんの瞳が輝いた瞬間はない。
その時、キーンさんは
70年前のシャワールームに
タイムトラベルしていた。
目を細め、
遠くから聴こえてくるメロディーに
耳をすませていた。

捕虜収容所で開いた音楽会の帰り、
バスがなくなったキーンさんは
ヒッチハイクを試みて、
アメリカ人将校の車に乗せてもらう。
そして蓄音機を抱えている理由を聞かれ
キーンさんは正直に答えてしまう。
するとその将校は怒りをあらわにしたという。

「日本人が、わが国の捕虜に音楽会をしてくれると
 貴様は思っているのか?」

キーンさんは黙り込むしかなかった。

その後、キーンさんは沖縄戦に派遣され、
同じ学生でありながら戦争に駆り出された
日本人兵と出会うことになる。


(続く)

2015-05-08-FRI
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