令和は世代間闘争の時代になるのか。
その2回目です。



世代間闘争の時代 A

「上の世代の人たちにこれだけは言いたい、
ってことある?」
こう問いかけると、男子学生が手をあげた。
「生きている時代が違うのに、
違いを認めていない気がする」
「どうしてそう思うの?」
「今はより早く自己実現できる時代になったのに、
高齢者は『もっと苦労してやれ』って
言うじゃないですか」

自分の考えを押しつけるのは辞めて欲しい
という声は何人もの学生から聞かれた。
さらに女子学生がこう続けた。
「SNSで老害、老害って言われていること。
私たちも同じように思っていることを
ちゃんと理解してほしい」

私は驚いた。
老害という言葉がネットで飛び交っているのだろうか。
「#老害(ハッシュタグ老害)」で
すごい広まっているんですよ」と彼女は言った。

ツイッターを見ると、確かにある。
お年寄りが起こした交通事故、
電車の中の振る舞いなどを
口汚く攻撃する書き込みが続く。
もともと、老害とは
組織のなかで長く居座ることで害を及ぼす
といった意味なのだけれど、
ネット上では、お年寄りが害になる
という意味で広まっているというのだ。

「SNSって弱者がものを言える場所なんです」
と男子学生が言う。
「これまでお年寄りにひどい目にあってきた若者たちが
声を上げられようになったんだと思う」

身体的な能力から言えば、
高齢者は弱者と言ってもいいはずだ。
しかし若者からしたら、
お金を持っている強者に見えるかもしれないし、
実際、社会で権力を行使し続けている高齢者もいる。

その学生にさらに尋ねた。
「今まで蓄積されてきたものが表面に出てきただけだと?」
彼はうなずいた。
「前提として、お年寄りが負担になっている
ということはあると思うんです」


ぼくは少し考えてから、言った。
「さっき話に出た逃げ切りじゃないけど、
上の世代はけっこういい目にあって、
下の世代が全部ツケを回されるみたいな。
そういう意識もベースにあるということかな?」
ひとりの女子学生がこう返した。
「そういったものも積み重なっていって、
なんとなく高齢者に対するヘイトみたいなものが
あるのかなっていう気が私はしています」
「ネット上でその高齢者ヘイトみたいなものを
感じるんだ?」
「正直、感じます。私は」

大学生たちからすると、
ぼくは祖父とは言わないまでも、
彼らの両親よりは年上だろう。
端的に言えば、ぼくも
高齢者と呼ばれる世代に近づいている。

そんなぼくが、かすかに動揺しているのを
見透かすように、別の女子学生が言う。
「SNSってネタなんですよ」
「どういうこと?」
「ちょっと変わったおじいちゃんが、
やらかしちゃいましたとか、そういう事件とか、
犯罪とかまでネタになる時代かなと私は思っていて。
もう全部ネタになっちゃうんですよ、
SNSにあげたら」

そうか、ネタなんだ。
ということはそれほど深刻に考える必要はないんだ。
わずかにほっとした気持ちになったけれど、
それもつかの間だった。
「でも、姥捨て山とか、昔あったじゃないですか、
そういうのが再来しても
おかしくないんじゃないかと思っていて」

姥捨て山、という言葉を、ぼくは頭のなかで反芻した。
そして少し考えてから続けた。
「それはSNSの時代だからこそ、
老害みたいな意識が広がる可能性があるということ?」
彼女はうなずいた。
「広まりやすいと思う」

老害という言葉がネットで拡散されることで、
そうした意識がボディブローのように
社会に染みついてしまう恐れがあるのでは、
ということなのだろう。

確かに「#老害」と書き込んでいるのは
全体の若者から見たら、ほんの一部だと思う。
でも「老害」という言葉を何気なく目にし、
それが高齢者に嫌な思いをさせられた
ちょっとした記憶と結びつくことで、
潜在意識の中に埋め込まれていく、
ということもないとは言えないのではないか。
私は深く考えこんでしまった。

(続く)

2019-06-03-MON
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