糸井 |
横尾さんは、公開制作に限らず、
「人に見られる」っていうことについて、
けっこう若いときから意識して、
敢えて入ったりしてたと思うんです。
今は、見られるということについては、
ぜんぶイヤなんですか? |
横尾 |
見られるというより、
昔みたいに見せることは
必要なくなってきましたね。
テレビや雑誌の取材も、
対談なんかでは、
相手と会いたいために
出ることはあるけれども、
それは見せるためじゃないからね。
テレビは見られたいという欲望から
出ていたと思うね。
そのことで自意識がどう対応して
自分が変化するかということに
興味があったけど、
今はそんな目的はないですね。 |
糸井 |
横尾さんが若いときに
「恥ずかしさを知ってるから
ヌードになるんだ」
みたいなことをおっしゃって
セルフヌードを発表していたことを
覚えているんです。
あの時代にあの発言って、
ものすごいインパクトがあった。
その言葉に影響受けていたものだから、
「見られる」っていうことを
どう考えてきたのかなぁ、
と聞きたくなったんです。 |
横尾 |
やっぱり、
見られるとかいうことは
自意識の問題だよね。
自分の自意識に対して、
素直になって、
自意識をどんどんどんどん
徹底的に拡張していくのか。
あるいは自意識をコントロールして、
なるべくそういう意識を静めるとか。
もうそのどちらかしかないじゃないですか? |
糸井 |
今はどちらの方向に、ですか? |
横尾 |
どちらかというと、
自意識を出しきらないと
モノをつくれないんですよね。
だからできるだけ出しきるべきで、
自意識は欲望じゃなく、
本能だと思っています。
ただ、それでもむずかしいけど
衝突を避けちゃだめですね……
あの、他人との間の自意識の出し方は
何とかなるんです。
喧嘩もできるんですよ。
だって、イヤならもうその人間と
つきあわなきゃいいわけだし。
だけど、親子なんかになると、
親子への自意識の出し方って、
いちばんむずかしいよね? |
糸井 |
そうですね。 |
タモリ |
うん。 |
横尾 |
これが完璧にできれば、
もうあとは大して
問題ないんじゃないかな?って(笑)。
親子って、自意識を出す対象の
最後の砦みたいなもんだと思う。 |
糸井 |
夫婦以上ですよね、むずかしさは。 |
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(つづきます) |