Y字路談義。
横尾忠則・タモリ・糸井重里が語る芸術?

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何か言わないといけない

 横尾忠則さんの「Y字路」の絵はこちらからご覧ください。
  (更新毎に、追加していきます)

横尾 夫婦はもともと他人だからいいけど、
子どもは別れるわけに
いかないじゃないですか。

かといって、一方が相手を
こう押さえこんでしまうわけではない……
子どものほうも、それなりに
対等にぶつかりあうじゃないですか。
糸井 昔の親子関係だったら、
「親が偉くて、子どもは偉くない」
という型にはめて関係を持てたけど、
今はそういうことないから
むずかしいですよね。
横尾 うん。
その関係に情を入れるとだめなのね。
情はなるべく入れない。
糸井 へぇー。
横尾 情の問題を解決しておかないと、
「内面の表現」とか言い出すんだよね。
あれもおかしいよね。

だって、絵なんて外面しかない。
内面なんかないわけ。
生半可な情が出てきて、
変なことを言ったり、
したりするんですよね。
タモリ 内面なんて、
どうだっていいわけですよね。
横尾 うん。どうだっていいわけです。
だから、ぼくは
「Y字路はフォルムだ」っていうんです。
糸井 なんか、それって
敢えて挑戦的に言ってますよね。

きっと、自分でも
「ふたつに分かれてゆく道」
への興味みたいなものを
感じているかもしれないけど、
人に何かを言われるよりは
「フォルムだ」
と言いきっちゃったほうがいいって思って
言ってますよね。
横尾 でも絵はイメージよりも
フォルムが優先なんですよね。
人はイメージを優先したがるけど。

フォルムがきちんと描けていな絵は
ついイメージについて語られてしまうから。

Y字路については、
「夜の風景は、
 子どものころ懐かしい感じだ」とか、
「電気が暗かった時代を思い出す」とか。
谷崎潤一郎の『陰影礼賛』を
ひきあいに出す人もいれば、
「人生の岐路に立たされている」とか。
ほとんど同じことばかり言われるんです。

「消失点が2つある」とか
おっしゃる人もいっぱいいるんだけど、
現実のY字路に出会ったときは、
そんなふうにはとらえませんよね?
糸井 ええ。
いま、例に出た発言は、はやい話が
「これは、何かに似ていますよね」
という指摘でしかないですから。
タモリ みんな、
何も言わないっていうことが
イヤなんじゃないのかな?
糸井 (笑)あ、そうだ。
横尾 確かに、やっぱり、
何か言うことによって自分を主張したり、
その道の人はお金をもらっているわけだからね。
  (つづきます)

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「Y字路」
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2004-07-23-FRI


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