タモリ |
小学校の3年生ぐらいのころのことを、
いまでも思い出すんだけど、
教室で誰かの書いた文章を読んでいて、
先生が
「さて、この作者は
何を言いたかったんでしょうか?」
と聞いたんです。
え? 言いたいことは
すべてここに書いてあるじゃない……
そういう質問は、
今でも、不思議に思うんです。
我々の世代が、
なんか言わなきゃいけないと
感じているのは、
教育からもきているのかもしれない。
作者は、別にそれほど言いたいとは
思っていないかもしれないし。
たとえば、ただ、
おもしろいものを書きたいだけで。 |
糸井 |
もともと、
数百字でまとめられないから
長く書いたんだろうし。 |
タモリ |
そうそう。 |
糸井 |
だから、絵描きはもっと困りますよね。
「何が言いたかったんでしょうか?」
と聞かれてしまうと。 |
横尾 |
いや、困らないよ。
だって、絵で思想を表現するなんて、
そんなバカなことはしないじゃないですか。
中にはそんな人がいたり
プロパガンダとして
考えてる人もいるんだけれども。
「何を表現するか」なんて、
そんなこと、もともと
何も考えていないわけですよね。
絵なんて遊びみたいなものでしょう。
遊びに表現なんかないのと同じだから、
そういう意味ではラクですよ。 |
糸井 |
そこまで気持ちよく
「絵は考えを表現するものではない」
と言えるようになるまでには、
やっぱり、横尾さんでさえも、
そこに至るまでの歴史があったでしょうねぇ。
きっと、ちょっと
堪えてた時代があったんじゃないですか? |
横尾 |
それはそうですよ。
「何を表現すべきか」なんて
コンセプトを真剣に考えていたねえ。
現代美術の最先端って、
コンセプチュアルアートじゃないですか。
やっぱり、そこではそれなりに、
絵を発表する理由とか論理が、
求められていたから。 |
糸井 |
いちばん偉いのは
コンセプトとされていたんですよね。 |
横尾 |
うん。
だけど、もともと、そういう
「コンセプト」なんていうものを
絵画に持ちこむこと自体が
間違ってると思ってるから。
コンセプトなんて求める必要がないんだよ。
映画を生理的と考えればいい……
だって、体や生理っていうのは、
別にコンセプトもなにも
持っていないじゃないですか。 |
糸井 |
うん、うん。 |
横尾 |
頭はコンセプトを持っちゃうけど、
体っていうのはさ、もうぜんぜん、
熱いとか冷たいかとか痛いとか痒いとか、
コンセプトでもなんでもないですよね。
ところが、頭というのは、ともすると
「あ、12時だ。おなかがへった」
とか考えたりする。
ほんとにおなかがへったかどうかも
わからないのに、そう考えるというのは、
コンセプトですよね。 |
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(つづきます) |