坊さん。 57番札所24歳住職7転8起の日々。 |
こんにちは! 栄福寺というお寺の坊さん、 白川密成(しらかわ・みっせい)と申します。 (栄福寺は四国八十八ヶ所お遍路さんのお寺です) 24歳で住職になった2001年から2008年まで、 ここ「ほぼ日刊イトイ新聞」のこの場所で、 「坊さん。—57番札所24歳住職7転8起の日々。—」 という連載を230回させていただきました。 前回、2010年にも、 ひょっこり顔を出させていただいて、 その時は「坊さん。」が、 ミシマ社という出版社から 『ボクは坊さん。』という、 1冊の本になったというご報告でした。 じつは、今回の再登場は、 自分でもちょっと驚いたニュースが、 あって皆さまにもお伝えします。 それはすでにご存じの方もいるかもですが、 「ほぼ日」の「坊さん。」からはじまり、 その連載がもとになった、 『ボクは坊さん。』という1冊の本が、 10月全国公開予定の映画になったのです! http://bosan.jp (C)2015映画「ボクは坊さん。」製作委員会 (C)2015映画「ボクは坊さん。」製作委員会 だれが出演するの? だれが監督を? どんな経緯で? というお話しも聞きたい方も多いと思います。 ただ今回、「ほぼ日」に再登場するにあたって、 「どんなお話しを、みなさん聞きたいですかね?」 とほぼ日の斉藤さんにご相談したところ、 「ミッセイさんが、ここまで、 どんな風に“自分の場所”を作ってきたか? ということを聞きたいかもしれません‥‥。 そもそもほぼ日での連載のスタートから。」 と声をかけられたのが、今でも耳に残っています。 僕自身、正直に言うと、 「自分の場所が作れた」とは思っていません。 むしろ、「この15年、ずいぶん、さぼっちゃったな」 と思ってしまうことも多いです。もっとできた、と。 でも、僕はどこか、 「素直さ」「ストレートさ」を仕事の中で出そう、 とするところがたぶんあって、 そのことだけで、「坊さん」という ある意味で特殊な役割の中で、 すこしおもしろい雰囲気を出せているのかな、 と思うこともあります。 なので、 映画の話も後々ご紹介するとして、 僕のことを知らない読者も多いと思うので、 まずはこの「ほぼ日」でどんな風に連載がはじまったか、 書いてみようと思います。 ** 僕は24歳で住職になりました。 学生時代に高野山大学という仏教系の大学で、 勉強したり、仏道修行(!)をしたりしていたので、 「お寺の住職になることは、できる人」 にはなっていたのですが、 大学卒業後は 地元の本屋さんに就職していました。 本も好きでしたし、本屋はもっと好きでしたから。 しかし24歳の6月19日(それは偶然、僕の誕生日でした) 住職であった祖父の末期癌が判明し、 急遽、退職をさせていただき、 お寺の仕事を引き継ぐことになったんです。 そして、その年の10月末に祖父は亡くなりました。 ひとりっきりではじまった、 はじめてのお葬式、法事、寺の行事、村の人との会話、 お寺にトイレを作りたいこと、 お寺グッズを作ってみたいこと。 まるで自分の人生の中でロールプレイングゲームが はじまったように (そういうタイトルの連載回もたしかありました)、 めまぐるしく、 僕の人生は「坊さん」という役割を舞台に グルグルとまわりはじめました。 それは、もちろん自分の人生の中で、 「おもしろく、楽しい」時期でもあったのですが、 同時に 「どうしたらいいんだろう。これでいいのだろうか」 と思わず立ちつくすことの多い時期でもありました。 僕は、「坊さん」という役割を、 前例通りに「こなす」だけでなく、 やはりどこか「正直に」「ストレート」に 係わりたいと思っていたからです。 ひと言でいうと、自分自身もそうですし、 誰かにとっても「おもしろい」と感じてほしかった‥‥。 それが「坊さん」という 伝統的で一風変わった仕事の中であっても。 その中で、 学生時代から、愛読していた、 「ほぼ日」という存在が自分の中で、 「ちょっと違った存在」になっていったんです。 「ほぼ日」で連載したり、紹介されたりする話が、 「みんな自分自身の場所で、 まっさらから自分の頭で考えて、 おもしろかったり、苦しかったりする中で、 声を出そうとしている」 そう強く感じました。 そのことが、今、「坊さん」という場所に立った自分にも、 ただ「ウェブサイトを読んだ」ということを超えて、 生活のひとつのシーンの中で 大きな勇気をもらった気がしたのでした。 そして「この場所」を作ってくださった糸井重里さんに、 お礼のファンメールをひと言、書きたくなったんです。 メールソフトを立ち上げて、 自分のことを簡単に書き、 先ほど書いたようなことを書き進める内に、 僕はあることを思い始めます。 「こんな話、もしかしたら ほぼ日読者の人たちも“連載”として、 読むと面白いかも」 そんなことを思い始めた僕は、 糸井さんへのメールの最後に、 「こんな連載なんてどうでしょうか?」 という意味のことを書き添え、 メールのタイトルにも(企画提出アリ)と書き加えました。 すると素早く糸井さんから返信をいただきました。 読み物の連載の多かった当時のほぼ日の状況も あったと思うのですが、 僕の想定している文章を何度か読んでいただき、 「ほぼ日」で、 「坊さん。」の連載をスタートすることになったのです。 最初に文章が掲載された時、 僕は大阪出張中だったので、 ほぼ日が更新される午前11時頃に ネットカフェに跳び込んで、 連載スタートを確認し、 それをプリントアウトして 何度も眺めていたのを覚えています。 今、振り返って、 はじめてメールを出したのが、 いつ頃だったのかメールを検索してみると、 僕がはじめてメールを書いたのが、 2001年の11月24日。 連載開始は12月4日。 祖父が亡くなって1ヶ月も経たないうちに 僕は「動き始めていた」だなぁ、と少し、驚きました。 (C)2015映画「ボクは坊さん。」製作委員会 ミッセイ (つづきます。) →その2 へ
|
2015-09-11-FRI
ホーム |