第1回
舌戦スタート!
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糸井 |
好きな食い物を自分で判別できるか、
これが僕の積年の課題なんです。
たとえば全員が口を揃えて
「これはうまい」
と言うと、
「うん、うまいね」
と答えてしまう。
でも本当にそうなのか。
無理に好きだと思い込んでいるものも、
実はあるような気がするんです。
それで「俺はこれが好きらしい」
と判断する方法はないものか、
ずっと考えていたんですよ。 |
山口 |
「うまさの哲学」ですか(笑)。
それで、答えは出たんですか。 |
糸井 |
自分なりに結論を出しまして、
「いつまでも口の中で噛んでいられるもの」が
好きだと決めたんです。
口の中で完全に咀嚼され、
液状になってもまだ飲み込みたくなかったら、
本当にそれが好きだと言える。
そういう方式ですが。 |
里見 |
私が若いころ尊敬していた、
文芸畑では神様的存在の方がいまして。
旅にお供すると、
その大先生はホテルの朝食で
必ずグレープフルーツを注文した。
「こんなうまいものはないよ、きみ」と。
それが輸入が自由化されて、
値段がめちゃくちゃに安くなったら、
とたんに見向きもしなくなっちゃった。 |
糸井 |
手に入りにくいことが、「うまい」の基準だった。 |
里見 |
それで、その偉大なる先生に対する
私の迷妄は消え失せた。
こんな程度の男であったのかと(笑)。
つまり、うまいまずいを
絶対的な味覚で決めるんではなく、
値段で規定する人もいるんです。
私もその部類に属する人間で、
「1000円にしちゃ内容充実」
と思ってはじめて
「うまい」
と味蕾が認識するんです。 |
糸井 |
そういえば里見さんは10年くらい前に、
「B級グルメ」という言葉を生み出されていますが。 |
里見 |
あの頃、家族を養うお父ちゃんの立場として
猛烈に腹が立ったのは、女性誌に、
「この料理、1万円はお安いわ」
なんて書いてある。
それ読んで、冗談じゃないって思った。
お父ちゃんにとって1万円は大金です。
なんでみんな、こんなに金に糸目をつけず
鉄面皮にも喉元三寸の快楽にふけるのか。
そういう不健全グルメに対抗し、
そこらへんにある普通の食い物を
楽しく賞味せんという意味で
「B級グルメ」を提唱したんです。 |
糸井 |
大衆的味覚……? |
里見 |
これは私の持論ですけど、
上半身であれ下半身であれ、
粘膜の快楽を過度に追求する者は
ヘンタイと呼んで然るべきです。
一方、己がヘンタイであると十二分に自覚しつつ、
なおかつヘンタイでありたくないとする
私の心の葛藤が、
健全と不健全を区別する境界として、
1000円ラインを設定したんですよ。 |
糸井 |
外食歴30年の山口さんは? |
山口 |
まあ、性もそうなんでしょうが、食についても、
「私の好み」なんか信じちゃいけないんです。
十人十色のようにみえて、
実はこのくらい社会的、文化的な影響を
モロに受けてる分野もないんですから。
そう考えると、味の話をするのはムナしい。
人間にとって口腔粘膜の快楽とは何か、
という話ならできますけどね。 |
里見 |
値段の規定を取り払って申し上げると、
私はだんだん「長いもの」が好きになってきた。 |
糸井 |
長いもの?! |
里見 |
要するに繋がっているものです。
それも、できれば連鎖してほしい。 |
山口 |
というと、やっぱり麺ですか。 |
里見 |
はい。
インドの神秘的身体論で言うところの「チャクラ」、
ヒンドゥー語の「混沌世界」にも似た「気」が
長い麺に具現されているからです。 |
糸井 |
チャクラまで出てきますか。(笑) |
山口 |
深いですねぇ。哲学ですねぇ。 |
糸井 |
じゃあ、叩くとズルッと出てくる羊羮なんかは? |
里見 |
あれも「チャクラ」の一種かもしれないが、
限界がある。
何ら無限を予感させるものがない。 |
糸井 |
断続はいけないんですね。 |
里見 |
断続? いけません。
パスタのペンネなんていうのは、
先を尖らせて「チャクラ」を志向しているくせに、
情けないほど短小でしょ。
だから私に言わせれば実に堕落した麺なんです。
その対蹠的な姿形で、いつまでも
切れないようなズルズル長い中国の長寿麺。
ああいうものが好きなんです。
長くて繋がってさえいれば、
味はもうどうでもいいんだ。 |
糸井 |
どうでもいいって。(笑) |
山口 |
胃カメラ的世界ですね。
胃カメラの不快とそばズルズルの快楽は、
メビウスの輪のように繋がっている。 |
糸井 |
食い物話は猥談に似て、
「ずっとやっていたい」という感覚が
いちばん気持ちいいんだと思うんですよ。
僕の「飲み込みたくないもの」も、
里見さんの「繋がっているもの」も、
終わりがない予感という点で共通していますね。
俗に言うレズビアン的快楽。 |
里見 |
ありきたりの異性愛では味わえぬ、
絶妙至純の境地。 |
糸井 |
それにしても、食べ物に
「長い」という尺度ははじめて聞いたな。
背くらべにいきなり体重を持ち出されたようで。 |
里見 |
でも、長いものって気分いいでしょう。
だってそばの香りや味を楽しむのであれば、
玄そばをむいて、
そのまま食っちゃえばいいわけです。
三角のそばの実を長くして食った先哲の知恵を
もっと深く感じとらなきゃいけません。 |
糸井 |
はい。(笑) |
里見 |
長いものを飲み込むことによって
永遠と繋がりたい……。 |
糸井 |
不老不死というような。 |
里見 |
ええ。
そういった原初的な感覚がわれわれにはある。 |
糸井 |
解剖学の三木成夫さんの本を読むと、
舌は発生的に手と同じだったらしいですね。
要するに捕食するための筋肉であり、
熱いか冷たいか、安全かどうかを調べる
センサーでもある。
そういうふうに舌も手であると考えたとき、
舌の役割は大きいですよね。
で、「長いのがいい」というお話で、
たしかにそうだなと思うのは、
舌がいつまでも対象に触れていられる、
これは至福ですよね。 |
里見 |
至福の極致です。 |
糸井 |
預金通帳を握りしめている
バアさんのような喜びがある。(笑) |