第4回
夜の孤独が酢を求める
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糸井 |
僕はゲーム製作の仕事もやってまして、
今つくってるのは生きものを飼うゲーム。
生きものですから餌をやる。
その餌を生きものがどう判断するかという
人工知能プログラムをつくっていくわけですけど、
生きものが食べ物を選別するとき、
安全か安全でないかが最初の分岐なんです。
そして安全だと判断するいちばん簡単な基準が
「甘い」なんですよ。 |
山口 |
ああ、そうかもしれない。 |
糸井 |
で、子どもが好きなものって甘いですね。
そこから分岐して、さまざまな味を感じるようになる。
それで思ったのは、ものを食っているとき、
「甘い」を発見するのが
一種の推理パズルになっているんじゃないか。
刺し身を食って、うっすら甘味があると感じたとき、
「へぇっ」と喜ぶ。
つまり、安全基準のいちばんベーシックなものである
甘味を発見する旅を、
われわれは無意識にしてるんだと。 |
山口 |
甘味は哺乳類共通のドラッグかもしれません。
甘味が嫌いな動物、
砂糖に忌避的な動物っていませんよ。
逆に中毒になったりしますよね。
角砂糖もう一つくれと。 |
糸井 |
ボリショイサーカスの熊ね。
ただ、大人になると「甘い」をイヤがるというか、
バカにするでしょう。
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山口 |
表現でも、「あいつは甘いぜ」とか「大甘だとか」。 |
糸井 |
過剰がダメなのか。 |
山口 |
ヨーロッパだと、「甘い」は
プラスのイメージしかないですね。
「ユー・アー・ソゥ・スウィート」は
「ご親切な方ですね」。 |
糸井 |
人はいわゆる甘味じゃなくても、
甘いという言葉が到達する場所に
行きたいのかもしれない。 |
山口 |
何かポジティブな場があるんですよ、そこに。 |
里見 |
言うならば、涅槃。 |
糸井 |
すべてを許される地平というようなね。 |
山口 |
なんか、大変なことになってきましたね。(笑) |
糸井 |
精神的に弱いときって、甘味がほしくないですか。
僕はそういうの、ある。 |
山口 |
私もそうです。
食うと血糖値が上がっていく感じがわかる。 |
糸井 |
甘味って言葉を言い換えると、嬉しさ――。 |
山口 |
一種のアドレナリンみたいな。 |
糸井 |
こう話してるだけでも気分いい。 |
里見 |
黙って聞いてる私だって気持ちよくなってきた。 |
山口 |
甘味がドラッグだとすると、しばしば砂糖を
国家が統制・専売にする理由もわかる。(笑) |
糸井 |
こういう話をしてて、
あれが食いたくなったって気持ちになりませんか。 |
山口 |
よく夜中に何人かで仕事してて、突然、
「今、何が食いたい?」
って言い合ったりするじゃないですか。 |
糸井 |
その遊び、大好きです。
僕の場合、わりにソース系のものにいきたくなる。
ウスターソース系ね。
食いたくなる理由って、
単純に長年会っていない友達の顔を思い出して、
急に会いたくなったのと同じなんですが、
それだけに、これほど純粋なことは
ないんじゃないかと思うんですよ。
いくつかそういう持ち札みたいなものがあって、
冷やし中華もその一つ。 |
山口 |
冷やし中華、ありますねぇ。 |
糸井 |
酢と醤油が入ってて、カラシの香り。
キュウリとハムの香りまである。 |
山口 |
九州はマヨネーズ入れますね。
私、邪道だと思います。
でも、これが、食ってみるとうまい。 |
糸井 |
マヨネーズ、OKですよ。 |
里見 |
私はギョーザだな。
最近流行のオチョボ口で食うのじゃなくて、
東京の某ビジネス街にある店の、
バナナみたいにでかいやつ。 |
糸井 |
ギョーザもいいなぁ……。 |
山口 |
そういう、時ならぬ時に突然突き上げてくる欲望。
これに対応する産業が
コンビニエンスストアでしょう。
以前、セブン-イレブンで、
「夜中にいなりずしが食べたくなる」っていう
有名なCMがありましたね。
私、いなりずしもけっこう好きなんですよ。 |
糸井 |
今、登場したものって、全部ビネガー系ですね。 |
山口 |
ちょい酸っぱい系。 |
里見 |
ヒトは、子どもの味蕾が
だんだん一人前になってくる頃の、
ちょうど分岐点の時代に
ビネガー系の味がわかってくるんですよ。
「初恋の味カルピス」のもうちょっと前。
深層心理学的に言えば、その頃の記憶の残滓が
食欲をかき立てるんじゃないですか。 |
山口 |
それはフロイトも気がつかなかった理論ですよ。
いいですね、
「ビネガー期」「ソース期」とか(笑)。
「この患者のケースでは、
ビネガー期への退行が見られる」――なんてね。 |
糸井 |
その「退行してる」って感じもいいですね。
僕は、何かに過剰に酢を入れたときの喜びって、
すごく甘美なんです。
合成酢の独特の前にくる酸味。 |
山口 |
そうそう、ツンと前に出てくる。 |
糸井 |
挑戦してきてくれないとダメ。 |
里見 |
冷やし中華なんか、
そうでなきゃいけないでしょう。 |
山口 |
ギョーザ食うとき、ラー油と酢を混ぜるでしょう。
人と一つ皿で食うときなんか、
酢を入れるのにちょっとした緊張が走りますね。
「このくらい?」って相手の顔うかがって。 |
里見 |
1滴でも違ったら別の味になっちゃいますからね。 |
糸井 |
酢はかなり難しいですよ。 |
里見 |
カネのない若い頃に、
お酢を1滴たらすか3滴たらすかを
深刻に思い悩んだからこそ、
自分なりの味覚が決定できる。
だからこれは、非常に
神聖かつ意味深い行為なんですよ。 |
山口 |
じゃあ、酢は通過儀礼ということですね。
青春は酢だ!
またすごい話になってきた。(笑) |
糸井 |
青春の思い出を反芻したいときに、
過剰に酢に挑戦したくなる。
夜の孤独と酸味の関係、
そしてビネガー期への郷愁――相当いいですよ。
「甘酸っぱい」という言葉で青春を語るけど、
そこでの「酸」のもつ意味は大きいですね。 |
里見 |
「甘」の入るところが
日本人の味覚の特質なんでしょうね。
フランスのドレッシングなんて
酸っぱくて食えたものじゃない。
初手は仰天するもんなあ。 |
山口 |
あれ、日本人の場合だと、
砂糖をちょっと入れたくなりますね。
するとずっとうまくなる。 |
糸井 |
甘酸っぱい――青春の中に
安全を込めているんですね、甘味という。
島国っぽいなあ、発展の仕方が。 |
山口 |
いなりずしなんて、まさに甘酸っぱいですから。 |
糸井 |
見事ですねえ。さっきも言いましたが、
僕はウスターソースの独特の混合文化も好きだな。
昔、ソース工場の近所に住んでたんです。
捨てたタマネギの腐った匂いは最悪。
それを毎日嗅いでいたにもかかわらず、
ウスターソースは嫌いにならなかった。
焼きそばにかける薄い醤油っぽいソース、
あれはかなり好きです。 |
里見 |
ソースの好みにも自分の思い込みがありますね。
だから、なじみの薄いリーペリン
(イギリスのウスターソースの代表的ブランド)
なんか使われると、何じゃこれは、となっちゃう。 |
山口 |
ブルドックソースのほうがしっくりきますね。 |
糸井 |
広島のオタフクソースで出している
「焼きそばソース」、あれはいいですよ。
醤油に近くて。 |
里見 |
そうなんですか。 |
糸井 |
広島って、僕は
画期的な未来都市だと思っているんですね。
というのも、メリケン粉の産地でもない、
豚肉、イカ、キャベツの産地でもなくて、
それでお好み焼きを名物にしちゃったんですから。
原爆ですべてを失い、
歴史が中断したからだと思うんですが、
何もないところから、
お好み焼き文化を築き上げた。
そしてソースを一からとらえ直そうというときに、
お好み焼きに合う醤油っぽいソースを生み出した。
そこに広島の人たちの意地を見た気がする。
未来に向かおうとするとき、
各地方都市は広島に学ばなきゃいけませんね。
なまじな伝統をひきずって、
名産を生かすことばかり考えていると、
坂口安吾に笑われる。僕は今、
『日本文化私観』の境地に立ってるんです。(笑) |
里見 |
話をうかがっていて、
旧約聖書だったかの壮大な一節を思い出しました。
混沌より大地は生まれる――。 |
糸井 |
おおッ! |
里見 |
そして、広島にオタフクソースは生まれた。 |
糸井 |
お好み焼き文化の背景にあるもの、
それは冒険であり、復興のパワーであり。 |
山口 |
つまり、戦後ニッポンそのものだと。 |
里見 |
ウスターソースが好きだった
古川緑波の日記を読むと、
戦後出来のトンカツソースに対する呪いの言葉が
ものすごく出てくる。 |
山口 |
その後、中濃ソースなんていう、
半端なものも出てきました。 |
里見 |
すごいソース好きの人は、
自分なりのブレンドをするんだろうな。
中濃3にオタフク1とか。 |