第5回
勝負する家庭料理
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山口 |
日本には、そば屋とか寿司屋とか、
いろんな食い物屋がありますけど、
食い物屋のありようが特異なんですね。
外食と内食とが
こんなに完全に分かれている文化も珍しい。
フランスだと、家庭で食ってるのは
料理屋のメニューのいちばん単純なもの。
逆に言えば、家庭料理を高尚かつ微妙にしたものが
料理屋のメニューで、これは中国もそうです。 |
糸井 |
つまり同じ価値系列の中にある。 |
山口 |
ところが日本ってちょっと違う。
家でそばは打たないし、
家で寿司を握る人もいない。 |
糸井 |
外食と家での食事に関しては、
僕も山口さんとは別の意味で
注目してることがあるんです。
うちのカミさん、料理はわりと上手なんですが、
困ったことに、嫌いなんです。
理由は単純で、家でつくるものが
外で食うものに負けたくない。
だから料理が「仕事」になっちゃう。 |
里見 |
それで"断筆宣言"なさったんですか。 |
糸井 |
それはないですが、「やるときはやる」、
つまり男の料理になるんです。
今の女の人は外に食いに行く機会が多い。
そうすると、
「とりあえず、これでしのいでね」みたいなものを
家で亭主に出せなくなる。
とくにダブル・インカムの家庭って
そうじゃないかな。 |
山口 |
かもしれませんね。 |
糸井 |
外と内のレベルが同列。
潮流の淡水と海水が一緒になった
汽水域みたいなのが家庭になっちゃってますから、
家でつくると勝負になる。
うちの場合で困るのは、
自分一人のためにつくるときはうまくできるのに、
相手も食うとなると過剰に緊張するんですね。 |
山口 |
なるほど、現代的な症例ですねえ。 |
糸井 |
もう一人食うというだけで、うちは夫婦どちらも、
失敗が内省的になるんですよ。
ソース焼きそばは僕がたまに
自分でつくりたいメニューだけど、
あれ、実は難しい。
水分の蒸発のさせ方とか。
三度、大失敗してます。
相手は「いいんじゃない」と言いますけど、
僕は悔しくて、そのあとナイター見てても
ぜんぜん楽しくない。
そんなことありません? |
里見 |
「きょうはモヤシの量が多かった」
とカミさんに言われて、
素直に「はい」と反省することはよくあるな。 |
糸井 |
僕は涙が出ますよ。
久々に恋人に会ったときに早漏になった、
そんな悲しさ。
でも「愛はあるんだよ」という。 |
山口 |
愛はある。だけど結果が出せない(笑)。
なんだかハイブラウな話だなあ。
食べるという行為が、共同幻想的な世界から
対幻想的な世界の問題になっている。 |
糸井 |
食えばいいだろうだけじゃ
すまなくなってきた不幸です。
勝負の食生活。 |
山口 |
そりゃ不幸かもしれない。 |
糸井 |
「うちこそうまいんだ」という
最高の家庭料理を求めようとしたら、
エラいことになる。コストも高くつくし。 |
山口 |
私もときどきカレーを10杯分くらい
一度につくって、あと冷凍しとこうと思うんだけど、
結局、3000円かかったりしますからね。
1杯300円なら、外に食いに行けばよかったって。 |
糸井 |
ファミリーレストランは家庭と外食の汽水域を
新たに立ち上げましたね。
100人中65人が納得するものを、
あの値段でつくり続けるんですから。 |
山口 |
たった360円のハンバーグがあります。
卵ものっててね。家庭のコストですよ。 |
糸井 |
すごいです。 |
里見 |
でも、そのあおりを食って、
ドンブリに指突っ込んで出す親父がいるラーメン屋だとか、
おでこに絆創膏貼ったオバさんがやってる
定食屋みたいなのが、
どんどん少数民族化していくのは、とっても淋しいね。 |
糸井 |
まったくそうです。 |
里見 |
巷のそば屋のカレーライスだって、
まずいからうまいんだから。 |
糸井 |
「まずうま」っていうジャンル、ありますね。 |
里見 |
ところがファミリーレストラン系に
押されてくると、
「まずうま」がしだいに圧迫されて、
やがて「まずうま」という言葉そのものが
禁忌の用語になるんじゃないかという気さえする。 |
糸井 |
そうやって消えつつあるものと、
新たに立ち上がってきているものの
両方が存在する最後の時代に、
僕らは生きているんですね。
まだ、まずうまのカレーは食えますもん。 |
山口 |
これからは、家だから、
大変なものをつくらなきゃいけない
ということになるでしょうね。
家ですき焼きするなら思いきり張り込もうぜ、
とか。
人の家に行って、
「飯食っていけ」と言われるでしょう。
それで夕べつくったクリームシチューなんか出てくると、
怒るよね。(笑) |
糸井 |
そう考えてみると、人間にとっての「内」って
どんどんなくなりますね。 |
山口 |
それを侵害と考えるか、発展と考えるか。 |
糸井 |
歴史には逆らえないってことなんだろうなあ。 |
山口 |
コンビニのおにぎりでも、
今、すごい種類がありますよね。
私も基本的に歴史の流れには逆らわないほうだから、
ツナマヨまでは認めているんですけど。 |
里見 |
ああ、缶詰のツナにマヨネーズ。 |
山口 |
けっこうイケるもんだから、
私は罵り罵り食ってるんですけど、
罵ることを忘れちゃいけない。
食文化というのはダーウィンじゃないけど
淘汰を徹底的にしないとダメです。
ざるそばは明治時代からだけど、
そばにノリかけるのが、今やすっかり定着した。
カレー南蛮なんか最たるものでしょう。 |
糸井 |
ツナマヨには、最初にスタートしたときの
「これでいいんだ!」という心意気が感じられますね。
あっ、それも思えば
酸味ってものが救ってます。 |
山口 |
なるほどね。じゃあ有望だ。 |
糸井 |
話は変わりますけど、
有栖川宮公園に桑の木があって、
落ちてる実を拾って、洗って食うと、
すごくうまいんですよ。 |
山口 |
うまそうですね。 |
糸井 |
こういうのは喜びです。タダだし。
僕にとって食うことは、極端に言えば
どうでもいい。その「どうでもいい」と
「ものすごく食いてぇー」がイコールなんです。
つまり、何の気なしに食って、
たまたま当たったときに、
「嬉しいーっ」ていう感じが
いちばん楽しいんですね。
それですべてのモトがとれた気がする。
「南無阿弥陀仏」のひと言で成仏するみたいな。
いいなあこの立場、って思う。 |
山口 |
私は外国に行って食えなかったものが、
まだ一つもないんです。
そこの文化圏の人たちが
うまそうに食ってるんですから、
まずいはずがないというか。 |
里見 |
それが、「ワインはシャトー・マルゴーでなきゃあ」
だけじゃねえ。
これではなかなか成仏できない。
涅槃の逆の……。 |
山口 |
無間地獄ですか。 |
糸井 |
やりたくないことをやってたり、
ストレスが多いといった現世苦しい人たちは、
手近でわかりやすい価値観のところに
料金使ってポーンと行っちゃうんでしょうけど、
僕ら、現世苦しくないですから。
だから拾い食いもできる。 |
里見 |
内田百は
「穴にこそ蓮根の美味がある」
と喝破しています。 |
山口 |
虚に通じる。 |
糸井 |
その境地になりたいですねえ。 |