第2回
歴史と天候
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糸井 |
いきなり根本先生のインパクトのある話から
始まりまして……。
今度は木村先生のご専門である
西洋史の面から伺いたいんですが、
歴史の中で天候と人間とのかかわりは
どうだったんでしょう。 |
木村 |
気温が上昇しているという話が出ましたが、
その昔、14、15世紀から18世紀くらいまでは
気温が低かったんです。
気温が低いとき、人間は動くんですよ。
要するに、気温が低いと作物ができない。
来年も再来年も不作かもしれないし、
1ヵ所にじっとしてては生きていけるかどうかわからない。
それで移動する。 |
糸井 |
動きが活性化するわけですか。 |
木村 |
実際にヨーロッパでは14、15世紀から
大移動時代が始まりましてね。 |
根本 |
そうすると、伝染病も流行ったりするわけでしょう。 |
木村 |
14世紀なかば、
ヨーロッパの人口の3分の1から5分の1が
黒死病で死にましたが、人が動いた証拠ですね。
17世紀も
「雨と雪と氷に覆われた」と言われるほど寒かった。
ロンドンのテムズ川が凍って、
その上で牛を焼いて食べたとかね。
この頃も人がやたらと移動します。
デカルトも動いて『方法序説』を書いてる。
そして、人の動きにともなって
16世紀くらいから森が切り開かれ、
道路が整備されて馬車も通るわけです。
そういう状況が18、19世紀まで続きました。
もちろんそれは気候の問題だけでは
ないかもしれませんが、
出発点が気温の低さ、悪天候で
小麦がよくとれなかったことは確かです。 |
糸井 |
天候によって、日常の生活も影響を受けますね。 |
木村 |
一方では旅をしますけど、
他方、1カ所で生活する場合、
家の中の居住条件をよくしようとします。
それまでは男女が愛し合うのは外だったんです。
なぜならヨーロッパでは
うちの中にベッドが一つしかなくて、
そこに家族全員が寝てた。
そんな状態じゃ愛の営みなんてできませんからね。
それで春から秋にかけて、
楡の木陰とか、干し草の下、あるいは麦畑の中とか、
そういうところで愛を営む。 |
糸井 |
冬はしない? |
木村 |
冬は禁欲期間です。
ところが17世紀、春や秋も寒くなったために、
戸外で愛の営みができない。
それでパニック状態になって(笑)、
部屋の中の改善が始まる……。 |
糸井 |
面白いなあ。 |
木村 |
窓は今まで吹きさらしだったのが、はめ殺しの窓にする。
その次にそれを動かすようになるんです。
だからガラス窓が必需品になります。
家の中というのは、肉を焼いたりすると
煙が充満して本当に不愉快なところで、
できるだけ外にいるようにしてたんですけど、
17世紀以降は、なるべくうちの中にいられるように、
改善されていくわけですね。 |
糸井 |
うちと外の間に壁ができた時代とも言えますね。 |
木村 |
それで、うちの中にいつもいると個室がほしくなる。
17世紀に個室はまだありませんが、
18世紀になると個室が増えてきます。
寝室なら寝室と、機能もはっきりしてくる。
生活革命ですね。 |
糸井 |
すごい変化ですよ。 |
木村 |
18世紀から暖かくなって農業革命が起こり、
小麦だけじゃなくて牧草の人工栽培が始まって
牛を大量に飼えるようになります。
同時に耕作用に使っていた牛を食べるようになった。
で、世の中全体も明るくなって、
啓蒙思想みたいなものも出てきたと言われてるんですね。
人と人との交流も活発になって、
飲んだり食ったりしながらいろいろ楽しい話をする。
つまり、開放的な生き方ができるようになるわけです。
それまでは城壁の中に防御的に生活していたのが、
金持ちは城壁の外に家をつくりましてね。
娘さんの部屋の窓の下で、若い男が愛の音楽を奏で、
それを聞きつけた親父が、
上から男に水をぶっかける(笑) |
糸井 |
アハハハ……。 |
木村 |
まあ、個々の女性に愛を語るようにもなった。
そういう意味で、生活の自由化が18世紀に始まり、
19世紀につながると考えられてきました。 |
糸井 |
それにしても、気温が低いときに、
人が移動するというのは面白いですね。 |
木村 |
寒いとき、気候のよくないときは、
人は西や南に関心をもつんですよ。
古い話になりますが、ゲルマン民族の大移動が
紀元3世紀から4世紀にかけてありましたね。
古気候学の研究によって、
当時、寒かったということが最近わかってきました。
ドイツの東の方にいたゲルマン人が、
寒冷化が強まったために西へ西へと行ったんです。
この民族の大移動が、
今日のヨーロッパ諸国のもとをつくった。
普通は西と南に動くんですけど、
一部の変わった人間は西北に動いて、これがイギリス人。
だからイギリスは今でも他のヨーロッパの人たちに
馴染まないでしょう。
ユーロにも参加しないでね。 |
糸井 |
たしかに。 |
木村 |
さらに古い話になると、古代ギリシャ時代も寒かった。
寒くてあまり耕作などに関心をもたなかったから、
オリーブ油とブドウくらいしかなく、
小麦は黒海周辺からの輸入です。
そして手はかじかんでるから、
あまり立派な建物なんかつくる気持ちにもならない。 |
糸井 |
寒いと、外の作業に時間をかけたくないですからね。 |
木村 |
それで粘土で家の壁をつくって、
屋根は木の枝か何かを
ひゅっと置いただけの住まいでした。
泥棒に入るには、泥の壁に棒で穴を開けて入る。
これが本当の泥棒だ。(笑) |
糸井 |
意味はそこから来てるんですか。 |
木村 |
私が勝手に言ったんです(笑)。
そういう簡単な暮らし方をしていて、
みんな、じーっとしてるんですよ。
それで哲学か何か考える。
だけど、あまりにじーっとしているのも寒い。
それで、ときどき走ったのがオリンピックの始まり。
ただ小麦がないものだから、体格は劣悪です。
だからミロのヴィーナスみたいな
美しい肉体をした像をつくって崇めてね。 |
根本 |
はあ……。
じゃあ実際は、ああじゃなかった。 |
木村 |
あれは理想像ですね。
古代ローマ時代はギリシャ時代とまた違っていて、
温暖な時代と言われています。
それで土木工事は盛んだし、
都市をつくったり大競技場をつくったりもした。
花とか穀物のつくり方を書いた本も出てくるし、
農業重視型の生き方をするようになるんです。
この当時は現実的な日常生活を重視する方向に
向かうものですから、詩とか哲学には向かわない。
こういうふうに古代ギリシャと古代ローマとは、
非常に典型的に分けられます。
気温が温暖か、そうじゃないか、ということが、
かなり人間の生活に影響を与えるということですね。
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