第1回
今どきの祭りは…… |
糸井 |
みうらさん、
今年はもう祭りを見に行きました? |
みうら |
あ、明日、
『髭なで祭り』というのに行くんですよ。
今年一発目。
千葉県の佐原なんですけどね。
午後1時半から。
とにかく髭をなでるぐらいしか
情報はありません。 |
糸井 |
『髭なで祭り』
……先生、ご存じでした? |
森田 |
いや、知りません。
髭のなで方で勝負でもするんでしょうか。 |
みうら |
僕も本で初めて知ったんですけど、
どうも酒を飲ませ合っては
自分の髭を
(チャールズ・)ブロンソンのように触って、
みんなで“マンダム状態”になる祭りみたいです。
「最近は付け髭になってきた」
とも書いてありましたね。 |
糸井 |
面白いのかなぁ……。 |
みうら |
まあ本には「滑稽」と書いてあるんで。
「滑稽」は僕、
とりあえず見に行くことにしてますから。 |
糸井 |
ヘンな祭りばかり、
次々と見に行ってますよね。 |
みうら |
はい。
トンマな祭り――“とんまつり”と
呼んでるんですけど、
「おいおい!」とか「どーかしてるよコレ!」と
ツッコミたくなるような祭り、
そういうのをこの目で見たいんですよ。 |
糸井 |
とんまつり鑑賞。 |
みうら |
とにかく、すごいんですから。
奈良・明日香村で見た『おんだ祭り』なんて、
天狗とお多福のお面をつけた二人が、
神社で夫婦和合の
リアルな行為を披露するんですよ。
それもノリノリ。
ハッキリ言ってシャレになんないです。
最後には、天狗が
自分とお多福の股間を紙で拭いて、
その紙を観客に投げつける。
それを観客は喜んで奪い合ってた。
「拭くの紙」で「福の神」というオヤジギャグね。
どーかしてるでしょ? |
糸井 |
いや、たまらんですねぇ。 |
みうら |
一応、五穀豊饒を祈る、
種付けの儀式っていうことらしいです。 |
糸井 |
米が増える、子どもが増える……、
生殖がらみの祭りって、多いのかなあ。 |
みうら |
バチが当たった人が直してもらう、
みたいなのもありました。
『蛙飛行事』といって、
神仏を冒涜した人間がカエルに変えられて、
お坊さんの説教で人間に戻してもらうという……。
でも、主役のカエルは着ぐるみ丸だし。
ピョンピョン飛ぶのかなぁーと思ってたら、
ズリズリ這ってるだけでした。 |
糸井 |
中身、人だもんね。 |
みうら |
人間に戻るときも、
張りぼてのカエルの頭を取って、
おっちゃんの顔だけあらわれて、
おいおい、まだ体は人間に直ってないぞ!
みたいな状態で。 |
糸井 |
ツッコミたくなるね。
先生、お祭りって、
もともとどういう意味があるんですか。 |
森田 |
農村の祭りは、一つは「予祝」ですね。
あらかじめ、
いろんなことがうまくいくようにと。
お米がたくさんとれますように、
虫や洪水などの被害が出ないように、
などと祈念する。
もう一つは、
みうらさんのお話にもあったように、
何か悪いことが起こったときに
「直す」という意味ですね。
先祖を粗末にしてたから、
祀ることをしなかったから、
悪いことが起きたんだと。
それで、そういうのをちゃんとしよう、
というのが恒例になった。 |
糸井 |
分類しきれない、
「これ、どーすんのよ」
みたいなのってありました? |
みうら |
頭に鍋ををかぶるのがあるんですよ。
滋賀県の『鍋冠祭り』。
平安時代からやってるらしくて、
「女の人が交わった男の数だけ鍋をかぶる」って
本に書いてある。
「枚数を誇る」と。
誇っちゃいないだろう(笑)。
なんでも、それで一人前になったのを
判断したそうなんです。
でも、今は小学校低学年の女の子が
鍋を一つだけかぶって、
ねり歩くことになってる。 |
森田 |
でも、「鍋かぶってどうする!」っちゅうのが
ありますよね。 |
みうら |
鍋に、なんかあるんですかね。 |
糸井 |
鍋だけに、
「たくさん食べられてよかったね」って、
食につながってるような気もするし……。 |
みうら |
昔は何枚もかぶったということは、
今、渋谷のセンター街あたりでそれやったら、
すごい数の鍋かぶって
首グラグラいわしてる女の人たちが
並んだりするわけです。
それを、お稚児さんで
鍋1枚にすり替えてる。
どこかで、ちょっと
「おいおい!」が出たんでしょうね。 |
森田 |
たぶん最初はいろんなアイデアから、
まぁ鍋もかぶってみた。
二つかぶったやつがおったら、
そいつがウケたとか。 |
糸井 |
「いいな」と。 |
森田 |
そう、「いいな」って感じで。
そのうち、
「でもそれじゃあんまり……」というので、
今のかたちになったんでしょう。
祭りって、ずいぶん変わってきてるんですよ。
よく、
「昔はこうじゃなかった。今どきの祭りは」
と言いますね。
だけど昔だって、
そのときどきで「今どきの祭りは」って
必ず言われてたと思うんです。
変わり続けていて、江戸時代で
いったん固定するものが多いんですけど、
当初のかたちからするとどんどん変わってます。
行進のコースから、やってる内容から。 |
糸井 |
それって未来的な感じもしますね。
変化していくこと自体に価値がある。 |
森田 |
そうですね。
僕が初めて本格的に研究したのが
『長崎くんち』で、
これは江戸時代に
諏訪神社を再建して始まった祭りです。
今は“自分たちの祭り”というかたちに
なっていますが、
もともとはキリシタンから
町を奪還する意図をもって、
幕府が企画したものだったんです。
調べてみると、
最初に祭りをやるべしとなったとき、
どうやるかというので、
大分で行われていた祭りの形式をモデルにしたり、
当時、流行ってたものを
もってきたりしてましてね。
試行錯誤しながら、
30、40年ほどでかたちができてくるんですけど、
その後もけっこう変化してるし、
現在も出しものが、どんどん変わってます。 |
糸井 |
そんなに変わってますか。 |
森田 |
ええ。
本踊りより、船を引っぱたり回したほうが
華やかだというので、
それに変わるとか、あそこで評判いいから、
それを取り入れてみようとか。 |
糸井 |
文化祭みたいだ。 |
森田 |
同じようなもんですね。
伝統的な祭りといえども、
歴史を調べると変化もあるし、淘汰もある。
そしてやっぱり、ウケる系統のものが
残っていくんです。 |
(つづく)