第3回
人みなハジケる |
糸井 |
文化祭や体育祭とか、ああいうものは
明治以降、祭りに模して
つくっただけのことでしょう? |
森田 |
学校も集団である以上は、
その中のメンバーがはじける時期とか、
自分をアピールして
誰かから評価してもらえるような時期が
年に1回は必要なんです。 |
糸井 |
給食も、1日の中での祭りかも。 |
森田 |
そういう意味では祭りは1日の中にもあり、
年中行事として1年の間に
いくつか違う種類のものもあるんですね。
それで、あるものについては年に1回だし、
また何年に1回というのもあったり。 |
糸井 |
そうして大波小波をつくってる。 |
みうら |
バーゲンも祭りじゃないですか。
売る人は法被着てるし、福袋が出たりする。
人は行列して並ぶし。 |
糸井 |
あ、そうだ。 |
森田 |
祭りは、いつもと違った状態にすることが
大事な仕掛けです。
普段ないものがある、
普段よりもたくさんある、とか。
それが凝縮されている状態。
逆に言えば、「何もない」というのもあって……。 |
糸井 |
引き算の祭りですね。 |
森田 |
今は都会の日常が祭り化してますからね。
そんな中では、この期間は何もない、というのも
祭りになります。 |
糸井 |
断食祭りみたいなものですね。 |
森田 |
要は切り替えなんです。
それまでの日常を1回、ご破算にするわけです。
このとき、普段との対比をどうつけるかが
祭りのポイントになってくる。 |
みうら |
キャパクラの着物祭りとか。 |
糸井 |
「着物祭りだから行くか」ってね。
人って無理やり祭りみたいなものをつくらないと、
放っておけば
どんどんクソ真面目になるような気がしますね。 |
森田 |
ずーっと何もなしでいったら、
やっぱり飽きますし。
それに知らず知らずのうちに疲れというか、
ゴミも積もってくると思うんです。
それで1度放電して、
次にもう1回充電する期間がいる。
それ祭りだと、僕は思ってるんです。 |
糸井 |
エネルギーを……。 |
森田 |
ええ、再充填する。 |
糸井 |
そう言えば、
暴走族が“初日の出暴走"しますね。
僕、大晦日から河口湖に行ってたとき、
巻き込まれたことがあるんだけど、
あれも祭りなのかなぁ。 |
みうら |
祭りですよね。
ヤンキーも少なくなってることだし、
伝統行事として残しといたほうが
いいかもしれない。
どう残すかが問題だけど。(笑) |
糸井 |
「笑い」も、日常生活の
リセットボタンの役目をしてるよね。 |
みうら |
あ、『笑い祭り』ってあるんですよ、和歌山に。
僕、2年続けて行きました。
不思議なオヤジが登場してね。
赤い頭巾に赤・黄・青の
縞模様のチャンチャンコ、
どピンクのマフラーという
サイケな格好なんです。
白塗りの顔のほっぺには、
赤い絵の具で「笑」という字が書いてある。
それで突然、
「笑え! 笑え! ワハハハハハ」
って笑いまくるんです。 |
糸井 |
なんか、逆に怖いような。 |
みうら |
相当、怖いです。
オヤジと目が合うとヤバイって感じで、
こっちも「ワハハハハ」と笑うしかない。 |
糸井 |
「泣く」は?
みんなで大泣きする
号泣祭りなんていうのはないのかな。 |
森田 |
葬式で泣くけど、あれも一種の祭りですよね。
これまでの気分を変える。 |
糸井 |
結婚式も大きな祭りだけど、
ああいうのがないと、
人生で一度も主役になれないまま
死んじゃう人もいるからね。 |
みうら |
主役でも、とんまつりの場合はキツいですよ。
そこの村に長いこと住んでると、
いつか自分にその役がまわってきますからね。
ニョッキリ系の『つぶろさし』や
『笑い祭り』とか、たまりませんよ。
それをやりたくないから、
若い人が逃げて、
過疎になっていく村もあるような気がするなあ。 |
糸井 |
祭りがあるゆえに、過疎に?(笑) |
みうら |
愛知の『田県祭り』なんて
“オチンチンの祭り"と呼ばれてて、
御神体のチンチンを若いやつも担いでますけど、
もうヤケクソでね。
五穀豊饒を祈って
昔は田んぼの畦道をねり歩いてたんだろうけど、
今はコンビニもある公道で、
反対車線には車がバンバン、
こっちはチンチンでしょ。
やるせな〜い感じですよ。
それがイヤなら、逃げ出すしかないです。 |
糸井 |
「俺は東京へ就職するよ」と(笑)。
若者がみなそうなったら、
いつかその祭りは絶滅しちゃうね。 |
みうら |
うん。『ねぶた祭り』なんか、
今風なものをどんどん取り入れてるでしょう。
ピカチュウの山車なんか出てくるし。
だけど絶滅種の祭りは、
新しいことを取り込んでない。
ただただキープオン状態ですから、
若い人もついてこないのかもしれませんね。 |
森田 |
農村の場合、
農業そのものが定着してやるものですから、
コミュニティの祭りというと、
メンバーがその地域の人に限定されますよね。
また制限することで、
ほかとは違うということを
際立たせなきゃいけませんから、
誰でもいらっしゃい、ではいけない。
それも廃れていく要因の一つになってはいますね。
加えて今は農村型の地縁的ネットワークが、
どんどんなくなってきてるでしょう。
そういうコミュニティの変化が、
祭りの変化にもつながっています。 |
糸井 |
今の時代というか、
工業社会で生まれた祭りのかたちって
あるんですか。 |
森田 |
札幌で年々盛んになっている
『よさこいソーラン』なんかそうで、
エブリバディOK。
グループをつくれば参加できるのが特徴です。
これは、人が移動して、
そこでアソシエーションをつくり、
企業とか友だちという形でセットになって入る。
こういうのは、
工業社会以降の体制にマッチした、
新しい祭りのかたちだと思いますね。 |
糸井 |
『阿波踊り』もそうだ。 |
森田 |
時代の変わり目は、
人間関係のネットワークの組み方が
変わってくる時期でもあります。
学校であり、企業であり、クラブであり、
最近ではインターネットであり。
そして新しい集団ができると、
それを維持してくために祭りが必要になる。
みうらさんが子どもの頃、
地蔵盆というのがありましたでしょ。 |
みうら |
ええ、やりました。
子どもたちがおっきい数珠をまわすやつ。 |
森田 |
辻、辻にお地蔵さんがあって、
そこに子どもがゴザを敷いて座ってると、
大人が食べ物をくれるんですよね。
関西では、そこかしこでやってます。 |
糸井 |
何のためのものなんですか。 |
森田 |
子どもがちゃんと育つように
ということじゃないですかね。
それと、子どもは
人をくっつける接着剤になるでしょ。
子どもを介して地域の人たちがつながる。
僕は今、京都でも竹薮を開拓してできた
ニュータウンに住んでますけど、
そこでも地蔵盆をやってるんです。
住人同士、まだお互いによく知らない。
それで、親しくなるためにお祭りをしよう。
そのとき、子どもをダシにして
大人が寄り集まるという部分がありますね。 |
糸井 |
ああ、公園デビューみたいなもんですね。 |
森田 |
ただ、ニュータウンだから、
辻にお地蔵さんなんてない。
それでお地蔵さんはレンタルなんです。
神様にも貸し借りがある。(笑) |
(つづく)