BOOK
男子も女子も団子も花も。
「婦人公論・井戸端会議」を
読みませう。

家を建てるあなた、建てない私
(シリーズ5回)


家を建てるあなた、建てない私
(全5回)

自分の家を自分で建てる建築家が少ないのはなぜ?
男は自分の家でも“お客様気分”が抜けない?
家をつくった人、欲しくない人、他人の家を考える人、
三者それぞれの「家」使いこなし術とは

構成:福永妙子
写真:中央公論新社提供
(婦人公論1998年11月22日号から転載)


隈研吾
建築家・ 隈研吾
建築都市設計事務所主宰。
1954年横浜市生まれ。
79年、東京大学
建築学科大学院修了、
日本設計事務所、
戸田建設設計部勤務を経て、
85〜86年コロンビア大学
客員研究員。
作品に「森舞台:
登米町伝統芸能伝承館」
「亀老山展望台」など。
著書に『10宅論』
(ちくま文庫)他

服部真澄
小説家。1961年東京生まれ。
早稲田大学教育学部卒業後、
編集制作会社に勤務。
95年、長編国際謀略小説
『龍の契り』でデビュー、
ベストセラーに。
次作の『鷲の驕り』で
吉川英治文学新人賞を
受賞する。
最新刊は、自宅完成までの
顛末を描いたエッセイ
『骨董市で家を買う』
(中央公論新社刊)
糸井重里
コピーライター。
1948年、群馬県生まれ。
「おいしい生活」など
時代を牽引したコピーは
衆人の知るところ。
テレビや雑誌、
小説やゲームソフトなど、
その表現の場は
多岐にわたる。
当座談会の司会を担当。
婦人公論井戸端会議担当編集者
打田いづみさんは語る

今週、私は何時間、家にい(て起きてい)たか? 
指折り数えると、およそ19時間。
インテリアや居心地を追求するには、時間もなければ
性格も無頓着なので、結果「物置」みたいな部屋に
住んでいる。
それ自体に不満はないけれど、
「住まいはどこかその人の顔をしている」なんて聞くと、
少し落ち着かない。でもそう言えば、中高生の頃、
好きな人の家は必ず見に行ったナァ。
庭に池があると、ちょっと嬉しかったりして−−。
さて、ゲストの皆さんは、どんな“らしい”家に
お住まいなのでしょうか?

服部さんは、なんと骨董市で家を購入されたとか。
そして建築家・隈さんのご自宅は? 
一方、糸井さんは賃貸派宣言? 
服部邸完成のノウハウから隈さんの設計アドバイスまで、
「住宅情報」も満載です!

第1回
家ブームはどこから?
糸井 僕はこのあいだ五十歳になったんですけど、
家、ないんです。家賃を払って暮らしている人間で……。
家については考えないようにしてきたところがあって、
なぜかというと、それはお金について考えることでも
あるからなんですね。お金を考えると仕事はできないと、
これまでずっと思ってきました。
家にしても同じで、高いお金を払って家を買い、
それを守って生きていくより、風来坊でいいや
という決意をして生きてきた。
それが最近、お金のこともわかるべきところまで
わかったほうが面白いぞと思えてきて、
それと家というものについて、もう少し深く考える必要が
あるかもしれないという気持ちがシンクロしてきたんです。
たしかに今、家がまた注目されている時代のようで、
家に関して書いた本が最近、妙に売れてるんです。
それも、藤原智美さんの『「家をつくる」ということ』
のように、建築家以外の人が書いた本ね。
糸井 服部さんも、家をつくった顛末を書いた本を
お出しになったばかりです。
服部 一年前、福井の山奥にあった古民家を東京に
移築したんです。百年前の家を買って解体し、
材料をそのまま使って建て直すという。
糸井 もともと、こういう家に住みたいなというイメージが
あったんですか。
服部 生活の中に節目を入れたいと思いまして。
昔の節句というか……。
小さい頃、うちは北品川で貸間業をやっていましてね。
もとは料理旅館だったから、部屋がいくつもあったんです。
下町だったし、わりに昔の習慣が残っていた家で
育ちましたから、その追憶もあるんでしょうか。
これまでバブルのせいもあって、
毎日が「ハレ」のようになっていましたよね。
今はそのことが逆に日常−−「ケ」になって、
何も楽しめなくなっている。
それで、日々の暮らしの中で
折節(おりふし)みたいなものを取り戻したいなあと。
糸井 今、そういうときに必要な「場」は街にはないですもんね、
だから自前でやろうということになったんだ。
服部 以前、伝統工芸の取材をしていたときに、
地方の職人さんたちの古いお宅を
たくさん見る機会があって、太い梁、煤けた柱、
網代の天井といったものにひかれていったということもありますね。
糸井 服部さんは家をつくるために、
自ら激しく動かれた方ですけど(笑)、このあたり、
隈さんは、建築家の立場としてどう思われるんでしょう。
さっき建築家以外の方が書かれた本がたくさん出ている
と言いましたが、読むと、だいたい共通するのが
建築家に頼らないほうがいいぞということなんです。
藤原智美さんともお話したんですが、彼によれば、
建築家につくってもらうとだいたいひどい目にあう。
ハウスメーカーのほうがよほどユーザーのことを
考えているから、そういうところをうまく使いながら、
自分が主体になって家を建てたほうがいいと。
どうやら今は、建築家否定の家ブームのようです。
糸井 否定されてますか。(笑)
その奥にあるのは何かといえば、いままでデザイン
という領域で家をとらえてきたわけですが、
そういうデザイン中心主義そのものが
嫌悪の対象になってきた。
今、家の写真集も増えていて、住み手の女の子と空間とを
一体に撮ったものが流行っているんです。
デザイン的に見ると、「ヘッ」っていうような家ですよ。
だけどそれが持つ独特のリアリティは、
建築家が一所懸命につくった家もかなわない。
そこにみんなが関心を持っている。
これ、今の状況を象徴しているんじゃないでしょうか。
糸井 それは家だけじゃなく、いろいろな分野で、あいだに入る
専門家みたいなものが邪魔になってきた
ということなんでしょうね。
流通でいえば問屋さんが邪魔になって、
「直販」になっていく感じ。服部さんの場合もそうですか。
服部 手づくりこそしなかったですけど、そういう流れは
よくわかります。もともと日本の家を建てるのは、
「普請」といって、デザインどうこうというより、施主が
どういう部屋をいくつ欲しいということを言えば、
近くにいる職人がつくるというやり方でしたよね。
そういうふうな土壌はだんだんなくなってしまったけど、
考え方としては、その時代に戻ってきてるのかもしれない
という気はします。
うちの場合、今度つくった家は、
骨董商に音頭をとられたんですよ。
糸井 骨董商?
服部 骨董市を見に行って、家を買ったもので。
糸井 はぁ……。
服部 骨董屋さんが店先に古い家の写真をぶら下げて、
斡旋しているんです。
糸井 僕、初めて聞いた。
僕もです。
糸井 よその蔵を開けさせていただいて−−から始まれば、
蔵も売れないかなって思いますよね(笑)。
家もその流れですか。
それにしても、骨董商が扱うものの中で
いちばんデカい商品だ。
服部 解体から運搬、古材の養生、梁を刻んだりする加工や、
細部のしつらえに至るまで、その骨董商の人がずっと
かかわりました。
糸井 すごいなぁ、骨董商って。
ちなみに、どのくらいお金がかかりました?
服部 六十坪の家で、坪九十万円です。
新築なみのコストでやろうと思っていて、
予算より少しオーバーしましたが。
新築の木造系だと、坪六十から百二十万くらい。
(家の写真を見ながら)坪九十万円で
これが手に入ったのなら、安いかもしれません。

(つづく)

第2回 建築家は予言者

第3回 男は遠慮がちに住む

第4回 構造を知りたい

第5回 家を持つ人、持たない人

1999-06-22-TUE

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