第3回 男は遠慮がちに住む |
糸井 |
服部さんのお宅の住み心地はいかがでしょう。
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服部 |
一年を通して寒暖の差が少ないですね。
夏はわりと涼しく、冬はわりと暖かい。
漆喰の壁はそういう性質があるらしいです。
それから、土間があることで放熱や吸熱をしてくれる。
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糸井 |
もともと他人がつくった家を持ってきて、
つくった人の意図と自分の趣味が合わない部分は
ありませんでしたか。
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服部 |
他人がつくったものではあるけど、
自分なりに直して使っていますから。
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糸井 |
いじれるんですね。
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服部 |
たとえば、冬、日向ぼっこをしたいときのための
縁側めいた空間を設けるとか、この先、
着物を着たくなったとき、それに応じた部屋があるとか、
自分がしたいなと思うことに合わせて、
それができる場所をつくったんです。
つまり、家の中で自分なりに完結するような楽しみ方が
できるんです。
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糸井 |
行動の背景になるわけですね。
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服部 |
さっき話に出た予言を自分でやって、道をつくっている。
そうして楽しんでいるんです。
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隈 |
僕は、女性原理のようなものが家をつくるときの
きっかけになるような気がしているんです。
服部さんのお話をうかがっていると、
家の中でこういう行為をするとか、所作というものが
すごく重要になっていますね。
服部さんのお宅みたいに、
非常にソフィスティケートされた
所作のための空間もあるし、気に入った下着姿で
くつろぐ女の子とワンルームマンションみたいな
組み合わせもある。
いずれにしても、所作に合わせて空間を演出する。
男って、なかなかそういうことは難しいじゃないですか。
家において、男は常に他者ですよ。
設計にもタッチしてこない。
打ち合わせはもっぱら奥さんで、最後までダンナには
会わなかったということもあるくらいです。
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糸井 |
A男とB子が住んでたとすると、
家はどんどんB子の子宮の中みたいになる。
昔よく語られた例で言うと、
ドアノブとかトイレットペーパーのホルダーに、
カバーがついたあたりから、男は
「おれはこの家が好きなんだろうか」と思い始め、
だんだん「ここはおまえの家だから」という感じに
あきらめていくんですよ。
これは自分を語っているだけじゃなくて(笑)、
世の中、一般にそうだと思います。
隈さんのお宅はどうですか?
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隈 |
すごくニュートラルです。
まず、カバーとかそういうものとは縁遠い。(笑)
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糸井 |
そこは建築家の家だから(笑)。
子供が生まれると、今度は子供と母親の家になる。
男と女のものにはできないんですかね。
服部さんの家だって、服部さんだけのものだっていう
気がするなぁ。
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服部 |
すごく言い得ています。
実は、移築の顛末を書いた本でも、主人公は「僕」で、
夫の目から見た私の無軌道ぶり、あがきぶり
という形になっています。
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糸井 |
それはご主人の心理を想像して書いているわけですか?
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服部 |
そうです。気持ちをくみ取って。
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糸井 |
現実には、家をつくるとき、ご主人の意見は
聞いてないんでしょう。
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服部 |
聞いてないです。ただ反対はしなくて、
「いいんじゃない」って。(笑)
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隈 |
建築家にとっても、だんだん「女」というものが
必要とされてくるんです。
空間をつくるとか何か予言をするという行為は、
女性の助けを借りないと
できなくなってくるんじゃないかな。
実際、建築家は晩年になるにしたがって、
強烈に奥さんにリードされていく人が多い。
「マクベス夫人」のような存在がいないとダメなんです。
同性愛の建築家は、歳をとっても
どんどん一人で発想しますが。
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糸井 |
なるほどね。僕が家を考えるようになった
もう一つのきっかけは、不況もあるんです。
僕の実感として、仕事の場面では今、すさまじい競争です。
ますます油断も隙もありゃしないという社会になって、
外でぐったり疲れますね。
自分がいられる場所はおそらくホームしかない。
下宿屋でもマイホームという形でも何でもいいけれど、
「おれの居場所」という原点になるものがないと、
ちょっと辛くて生きていけないぞ、というところまで
来ている気がします。
家は女の人のものだと思って、「おじゃまします」
と帰ってくる暮らしを僕はずっと続けてきましたけど、
「おじゃまします」じゃない居場所も
必要になってくるのかと……。
ただ、そこに縛られるのはイヤだけど。
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隈 |
僕が究極の家だと思うのはフィリップ・ジョンソン
という建築家の家。同性愛者として有名で、
九十いくつの今でもマクベス夫人の助けを借りずに
創作活動をしている類い稀な人です(笑)。
コネチカットにある彼の家は、中が丸見えのガラスの家、
レンガで閉じられた家、木造の普通のアメリカの家を
はじめ、広い敷地の中に何軒も建っていましてね。
そこを移動していて、定住していない。
永遠に仮設性を楽しんでいるんです。
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糸井 |
ゾクゾクしますね。いいなぁ。男は聞いて納得しますね。
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服部 |
旅人であり続けるって、いいですね。
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隈 |
今のケースは極端にしても、何かテクニックをもたないと、
何物にも巻き込まれない自分の空間を持つことは
できないような気がします。
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糸井 |
僕がホームというか、これは拠点になるなと思ったのは、
自宅にコンピュータが入ったときです。
それまで書き物するのも、食卓かテレビの前の
小さなテーブル。それがコンピュータを置いたとたんに、
僕の机が生まれた。
パソコンという、通信で外につながるものを得て初めて、
僕は自分の拠点を獲得したんです。
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服部 |
糸井さんの育ったおうちは、どういう形態だったんですか。
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糸井 |
広くなくて、布団をたたんで、ちゃぶ台を出す。
江戸の長屋みたいなもんです。誰がどこにいるかは、
その時々の都合で決まる。
中学の途中からは個室が与えられたんですけど、
僕の出入り口は玄関じゃなくて、部屋の窓です。
夜中でも朝でも、家族に知られず外に出て、
帰ってきて……。原点はそこにあるかもしれませんね。
永遠に下宿人のような人生を僕は送っているんで(笑)、
別離とともにトランク一つで、というようなことは
平気なんです。そして今、コンピュータの周辺に
ささやかな僕の場所ができた。
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隈 |
コンピュータの出現は家にとって大きいです。
家の歴史をみると、外とつながる道具ができたときに
家ブームが起きている。
アメリカでは一九二〇年代初めに郊外住宅ブームが
起きましたが、それは自動車が爆発的に普及したから。
アメリカはもともと郊外のホームに
閉じ込められる都市構造にあるじゃないですか。
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糸井 |
わざわざ離れたところ、離れたところに
都市をつくったんだそうですね。
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隈 |
だから自動車とかコンピュータとか、
外につながる飛び道具を発明しないと、
気分的にダメになっちゃうんですね。
ヨーロッパの都市構造は、都市の中である程度、
外部と接続しているから、そういう閉塞感って
あまりないですけど。
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糸井 |
服部さんはおうちで仕事をなさっているわけですけど、
そういう点は?
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服部 |
うちにもパソコンがありますから。
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隈 |
服部さんは外とつながる技術をお持ちだから
ホームを持ち得るわけで、逆に言えば、
外につながる手段をもたず、家にずっといたら、
気持ち悪くてしょうがないということなんですね。
ホームって、人間に対して抑圧的な
息の詰まる空間でもありますから。
(つづく) |