BOOK
男子も女子も団子も花も。
「婦人公論・井戸端会議」を
読みませう。

家を建てるあなた、建てない私
(シリーズ5回)

第1回 家ブームはどこから?

第2回 建築家は予言者

第3回
男は遠慮がちに住む
糸井 服部さんのお宅の住み心地はいかがでしょう。
服部 一年を通して寒暖の差が少ないですね。
夏はわりと涼しく、冬はわりと暖かい。
漆喰の壁はそういう性質があるらしいです。
それから、土間があることで放熱や吸熱をしてくれる。
糸井 もともと他人がつくった家を持ってきて、
つくった人の意図と自分の趣味が合わない部分は
ありませんでしたか。
服部 他人がつくったものではあるけど、
自分なりに直して使っていますから。
糸井 いじれるんですね。
服部 たとえば、冬、日向ぼっこをしたいときのための
縁側めいた空間を設けるとか、この先、
着物を着たくなったとき、それに応じた部屋があるとか、
自分がしたいなと思うことに合わせて、
それができる場所をつくったんです。
つまり、家の中で自分なりに完結するような楽しみ方が
できるんです。
糸井 行動の背景になるわけですね。
服部 さっき話に出た予言を自分でやって、道をつくっている。
そうして楽しんでいるんです。
僕は、女性原理のようなものが家をつくるときの
きっかけになるような気がしているんです。
服部さんのお話をうかがっていると、
家の中でこういう行為をするとか、所作というものが
すごく重要になっていますね。
服部さんのお宅みたいに、
非常にソフィスティケートされた
所作のための空間もあるし、気に入った下着姿で
くつろぐ女の子とワンルームマンションみたいな
組み合わせもある。
いずれにしても、所作に合わせて空間を演出する。
男って、なかなかそういうことは難しいじゃないですか。
家において、男は常に他者ですよ。
設計にもタッチしてこない。
打ち合わせはもっぱら奥さんで、最後までダンナには
会わなかったということもあるくらいです。
糸井 A男とB子が住んでたとすると、
家はどんどんB子の子宮の中みたいになる。
昔よく語られた例で言うと、
ドアノブとかトイレットペーパーのホルダーに、
カバーがついたあたりから、男は
「おれはこの家が好きなんだろうか」と思い始め、
だんだん「ここはおまえの家だから」という感じに
あきらめていくんですよ。
これは自分を語っているだけじゃなくて(笑)、
世の中、一般にそうだと思います。
隈さんのお宅はどうですか?
すごくニュートラルです。
まず、カバーとかそういうものとは縁遠い。(笑)
糸井 そこは建築家の家だから(笑)。
子供が生まれると、今度は子供と母親の家になる。
男と女のものにはできないんですかね。
服部さんの家だって、服部さんだけのものだっていう
気がするなぁ。
服部 すごく言い得ています。
実は、移築の顛末を書いた本でも、主人公は「僕」で、
夫の目から見た私の無軌道ぶり、あがきぶり
という形になっています。
糸井 それはご主人の心理を想像して書いているわけですか?
服部 そうです。気持ちをくみ取って。
糸井 現実には、家をつくるとき、ご主人の意見は
聞いてないんでしょう。
服部 聞いてないです。ただ反対はしなくて、
「いいんじゃない」って。(笑)
建築家にとっても、だんだん「女」というものが
必要とされてくるんです。
空間をつくるとか何か予言をするという行為は、
女性の助けを借りないと
できなくなってくるんじゃないかな。
実際、建築家は晩年になるにしたがって、
強烈に奥さんにリードされていく人が多い。
「マクベス夫人」のような存在がいないとダメなんです。
同性愛の建築家は、歳をとっても
どんどん一人で発想しますが。
糸井 なるほどね。僕が家を考えるようになった
もう一つのきっかけは、不況もあるんです。
僕の実感として、仕事の場面では今、すさまじい競争です。
ますます油断も隙もありゃしないという社会になって、
外でぐったり疲れますね。
自分がいられる場所はおそらくホームしかない。
下宿屋でもマイホームという形でも何でもいいけれど、
「おれの居場所」という原点になるものがないと、
ちょっと辛くて生きていけないぞ、というところまで
来ている気がします。
家は女の人のものだと思って、「おじゃまします」
と帰ってくる暮らしを僕はずっと続けてきましたけど、
「おじゃまします」じゃない居場所も
必要になってくるのかと……。
ただ、そこに縛られるのはイヤだけど。
僕が究極の家だと思うのはフィリップ・ジョンソン
という建築家の家。同性愛者として有名で、
九十いくつの今でもマクベス夫人の助けを借りずに
創作活動をしている類い稀な人です(笑)。
コネチカットにある彼の家は、中が丸見えのガラスの家、
レンガで閉じられた家、木造の普通のアメリカの家を
はじめ、広い敷地の中に何軒も建っていましてね。
そこを移動していて、定住していない。
永遠に仮設性を楽しんでいるんです。
糸井 ゾクゾクしますね。いいなぁ。男は聞いて納得しますね。
服部 旅人であり続けるって、いいですね。
今のケースは極端にしても、何かテクニックをもたないと、
何物にも巻き込まれない自分の空間を持つことは
できないような気がします。
糸井 僕がホームというか、これは拠点になるなと思ったのは、
自宅にコンピュータが入ったときです。
それまで書き物するのも、食卓かテレビの前の
小さなテーブル。それがコンピュータを置いたとたんに、
僕の机が生まれた。
パソコンという、通信で外につながるものを得て初めて、
僕は自分の拠点を獲得したんです。
服部 糸井さんの育ったおうちは、どういう形態だったんですか。
糸井 広くなくて、布団をたたんで、ちゃぶ台を出す。
江戸の長屋みたいなもんです。誰がどこにいるかは、
その時々の都合で決まる。
中学の途中からは個室が与えられたんですけど、
僕の出入り口は玄関じゃなくて、部屋の窓です。
夜中でも朝でも、家族に知られず外に出て、
帰ってきて……。原点はそこにあるかもしれませんね。
永遠に下宿人のような人生を僕は送っているんで(笑)、
別離とともにトランク一つで、というようなことは
平気なんです。そして今、コンピュータの周辺に
ささやかな僕の場所ができた。
コンピュータの出現は家にとって大きいです。
家の歴史をみると、外とつながる道具ができたときに
家ブームが起きている。
アメリカでは一九二〇年代初めに郊外住宅ブームが
起きましたが、それは自動車が爆発的に普及したから。
アメリカはもともと郊外のホームに
閉じ込められる都市構造にあるじゃないですか。
糸井 わざわざ離れたところ、離れたところに
都市をつくったんだそうですね。
だから自動車とかコンピュータとか、
外につながる飛び道具を発明しないと、
気分的にダメになっちゃうんですね。
ヨーロッパの都市構造は、都市の中である程度、
外部と接続しているから、そういう閉塞感って
あまりないですけど。
糸井 服部さんはおうちで仕事をなさっているわけですけど、
そういう点は?
服部 うちにもパソコンがありますから。
服部さんは外とつながる技術をお持ちだから
ホームを持ち得るわけで、逆に言えば、
外につながる手段をもたず、家にずっといたら、
気持ち悪くてしょうがないということなんですね。
ホームって、人間に対して抑圧的な
息の詰まる空間でもありますから。

(つづく)

第4回 構造を知りたい

第5回 家を持つ人、持たない人

1999-06-30-WED

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