BOOK
男子も女子も団子も花も。
「婦人公論・井戸端会議」を
読みませう。

家を建てるあなた、建てない私
(シリーズ5回)

第1回 家ブームはどこから?

第2回 建築家は予言者

第3回 男は遠慮がちに住む

第4回
構造を知りたい
糸井 隈さんご自身は、小さい頃、どういう家に
住んでいらしたんですか。
僕が生まれたのは横浜・大倉山のものすごく古い家で、
周囲にはどんどん家が建ち始めていました。
田園調布小学校に通っていたんですが、
高度経済成長時代の新しい家がバンバン建つ中にあって、
自分の家が古くて汚いのがすごくイヤだった。
そのときから、芝生の上のピカピカした家に対する
根強い反感が生まれた(笑)。
建築家になった人には、わりとボロボロのうちに
住んでいた人が多いらしいですよ。
家に対する何らかのコンプレックスがないと、
建築家にならないんじゃないかという説もあります。
糸井 それ、わかりますね。
親父はたえず自分で家に手を入れていました。
材料を買い揃えてきて、僕も手伝わされる。
僕は親父が四十五歳のときの子供で、年とってる分、
他のお父さんのセンスとは違っている。
そのへんのお父さんは、ビニールクロス、
アルミサッシでいいんだけど、親父はこういう布を
張りたい、こういう板を敷きたいとか、ウルサイんです。
おかげで、材料を吟味するとか、
一つひとつ自分の美意識や哲学に合わせて
判断するみたいな習慣は、
僕も培われましたけど。
服部 そういうお父さまの影響は多大なるものがあったでしょう。
ええ、小学生の頃から建築家になりたい
と思っていましたから。
服部 そういう親が何かしている姿を見られる家自体、
今は減っていますね。何かするスペースがない。
だから手先の問題だけでも、若い世代って、
すごく不器用な人が増えている。
糸井 大掃除をしなくなりましたよね。
僕は、大掃除をすることで家の形とか仕組みが
見えた覚えがあります。
畳をはがして、家なんてチャチなもんだ、
要するに骨組みじゃねえか、とか。
家ってソリッドなものに感じるけど、
僕が子供の頃に思っていた家って、ソリッドじゃなくて
ワイヤーフレームの感じでした。
そのソリッド感が二十世紀の建築の最大の悪だとも
言われています。コンクリートはソリッドで、
型枠を組めばどんな塊、形にもなる。
頭を働かせる部分がないんです。
糸井 練り物、ですね。
知恵のない練り物だから、それで人間が建築に対して
持っている繊細な感受性みたいなものが、
すべて失われたんじゃないかと僕は思うんですよ。
糸井 服部さんの家は、ワイヤーフレーム系ですね。
服部 梁も天井もむき出しです。
木造は、こう組んで、このあとにこれを組み合わせて
こうなるというプロセスや、設計者の意図がものを見れば
全部わかる仕組みになっています。
糸井 練り物系はそれがわかりにくい。
そうか、ジャイアンツは練り物系だ。
このくらいの分量のバッターをこれくらい集めると、
こんなに大きな建造物ができると考えているチームですよ。
だけど太い柱もいれば、細くても丈夫な梁だっている。
そういう設計思想がないから、
あのチームはダメになるんです。(笑)
練り物って、固まると成分がわからない。
コンクリートはモルタル、砂、水がどのくらいって
混ぜますけど、その分量の割合は外からは
判断できないです。だから、ブラックボックスなんですよ。
糸井 今は、脱・練り物系の予感があって、
ユーザーにもわかるような構造みたいなものが
求められているんですね。
服部 木造ですと、リサイクルできますね。
柱なんかもまた使ったり。
つくりなおすとき、日本の規格は一間(いっけん)とか
長さもほとんど決まっていますから、
それに合わせて考えれば、間取りも自由だし、
素人でもある程度、枠組みを考えられる。
糸井 ブラックスボックスじゃない。
服部 それと、今、私の家が築百年として、
あと百年くらい人が住むとすると、
二百年はもつわけなんですよ。
そういうふうに使いまわせる。
ただ、木造の課題は、木を育てないと
柱はとれないわけですね。一抱えくらいある木は、
育つのに二百年から三百年かかる。
まあ、古材バンクみたいなものもありますけど。
糸井 古材バンク?
服部 古い建物を解体したとき、利用価値のある廃材を
保存しておく……。
糸井 はぁ、なるほどね。
服部 うちに関しては、あとで反省点もたくさん出ました。
二階はもともと倉庫や養蚕のスペースだったのを、
部屋を区切って居住空間にしたんです。
そのうえ天井を張らずに屋根を
そのまま生かしたつくりにしたので、放熱ができずに暑い。
それから屋根の勾配を一部、緩やかに変えて、
これも暑くなった理由です。昔の茅葺きだと
放熱はすごくよかったらしいですけど。
それで思ったのは、快適な家づくりの基本に関する
知識を、もっと学校で教えてくれていたらということ。
屋根の勾配がこうだったらマズいよとか。
家庭科で教えるべきだよね。
服部 家は幸せに過ごすための一つの道具なのに、
その使いこなしや成り立ちについては
何も教えられていない。
糸井 教育、文部省の問題ですね。明治政府の時代から、
男は漂流してたんじゃないですか(笑)。
家をよく見てなかった。
建築が生産技術としてしかとらえられてなかったんです。
どの国も最初はそうだったけど、
ある時期から「建築」という独立した
一つの文科系的な学科になっていく。
ところが日本は依然として工学部の中の一部で、
明治の富国強兵のままです。
これは今や、世界では非常に珍しいことに
なりつつありますよ。
糸井 そういえば、僕のやってるホームページの
女子高生ライターが、「なんで、座高を計るの」
と言うんですよ。たしかに身長、体重はともかく、
座高は謎だ(笑)。三人の先生に聞いたけど、
先生もわからない。
海外には日本のように児童の体格を
たえず測定しているシステムはなくて、
ある意味で世界遺産みたいなものなんですって。
こんなに継続的な記録はないというので、今は、
「頑張って続けましょう」ということになっている(笑)。
明治の文部省が慌ててつくったことで、無意味だったり、
時代とズレていたりすることは、
いっぱいあるんでしょうね。

(つづく)

第5回 家を持つ人、持たない人

1999-07-03-SAT

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