第4回 構造を知りたい
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糸井 |
隈さんご自身は、小さい頃、どういう家に
住んでいらしたんですか。
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隈 |
僕が生まれたのは横浜・大倉山のものすごく古い家で、
周囲にはどんどん家が建ち始めていました。
田園調布小学校に通っていたんですが、
高度経済成長時代の新しい家がバンバン建つ中にあって、
自分の家が古くて汚いのがすごくイヤだった。
そのときから、芝生の上のピカピカした家に対する
根強い反感が生まれた(笑)。
建築家になった人には、わりとボロボロのうちに
住んでいた人が多いらしいですよ。
家に対する何らかのコンプレックスがないと、
建築家にならないんじゃないかという説もあります。
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糸井 |
それ、わかりますね。
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隈 |
親父はたえず自分で家に手を入れていました。
材料を買い揃えてきて、僕も手伝わされる。
僕は親父が四十五歳のときの子供で、年とってる分、
他のお父さんのセンスとは違っている。
そのへんのお父さんは、ビニールクロス、
アルミサッシでいいんだけど、親父はこういう布を
張りたい、こういう板を敷きたいとか、ウルサイんです。
おかげで、材料を吟味するとか、
一つひとつ自分の美意識や哲学に合わせて
判断するみたいな習慣は、
僕も培われましたけど。
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服部 |
そういうお父さまの影響は多大なるものがあったでしょう。
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隈 |
ええ、小学生の頃から建築家になりたい
と思っていましたから。
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服部 |
そういう親が何かしている姿を見られる家自体、
今は減っていますね。何かするスペースがない。
だから手先の問題だけでも、若い世代って、
すごく不器用な人が増えている。
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糸井 |
大掃除をしなくなりましたよね。
僕は、大掃除をすることで家の形とか仕組みが
見えた覚えがあります。
畳をはがして、家なんてチャチなもんだ、
要するに骨組みじゃねえか、とか。
家ってソリッドなものに感じるけど、
僕が子供の頃に思っていた家って、ソリッドじゃなくて
ワイヤーフレームの感じでした。
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隈 |
そのソリッド感が二十世紀の建築の最大の悪だとも
言われています。コンクリートはソリッドで、
型枠を組めばどんな塊、形にもなる。
頭を働かせる部分がないんです。
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糸井 |
練り物、ですね。
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隈 |
知恵のない練り物だから、それで人間が建築に対して
持っている繊細な感受性みたいなものが、
すべて失われたんじゃないかと僕は思うんですよ。
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糸井 |
服部さんの家は、ワイヤーフレーム系ですね。
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服部 |
梁も天井もむき出しです。
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隈 |
木造は、こう組んで、このあとにこれを組み合わせて
こうなるというプロセスや、設計者の意図がものを見れば
全部わかる仕組みになっています。
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糸井 |
練り物系はそれがわかりにくい。
そうか、ジャイアンツは練り物系だ。
このくらいの分量のバッターをこれくらい集めると、
こんなに大きな建造物ができると考えているチームですよ。
だけど太い柱もいれば、細くても丈夫な梁だっている。
そういう設計思想がないから、
あのチームはダメになるんです。(笑)
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隈 |
練り物って、固まると成分がわからない。
コンクリートはモルタル、砂、水がどのくらいって
混ぜますけど、その分量の割合は外からは
判断できないです。だから、ブラックボックスなんですよ。
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糸井 |
今は、脱・練り物系の予感があって、
ユーザーにもわかるような構造みたいなものが
求められているんですね。
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服部 |
木造ですと、リサイクルできますね。
柱なんかもまた使ったり。
つくりなおすとき、日本の規格は一間(いっけん)とか
長さもほとんど決まっていますから、
それに合わせて考えれば、間取りも自由だし、
素人でもある程度、枠組みを考えられる。
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糸井 |
ブラックスボックスじゃない。
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服部 |
それと、今、私の家が築百年として、
あと百年くらい人が住むとすると、
二百年はもつわけなんですよ。
そういうふうに使いまわせる。
ただ、木造の課題は、木を育てないと
柱はとれないわけですね。一抱えくらいある木は、
育つのに二百年から三百年かかる。
まあ、古材バンクみたいなものもありますけど。
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糸井 |
古材バンク?
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服部 |
古い建物を解体したとき、利用価値のある廃材を
保存しておく……。
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糸井 |
はぁ、なるほどね。
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服部 |
うちに関しては、あとで反省点もたくさん出ました。
二階はもともと倉庫や養蚕のスペースだったのを、
部屋を区切って居住空間にしたんです。
そのうえ天井を張らずに屋根を
そのまま生かしたつくりにしたので、放熱ができずに暑い。
それから屋根の勾配を一部、緩やかに変えて、
これも暑くなった理由です。昔の茅葺きだと
放熱はすごくよかったらしいですけど。
それで思ったのは、快適な家づくりの基本に関する
知識を、もっと学校で教えてくれていたらということ。
屋根の勾配がこうだったらマズいよとか。
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隈 |
家庭科で教えるべきだよね。
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服部 |
家は幸せに過ごすための一つの道具なのに、
その使いこなしや成り立ちについては
何も教えられていない。
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糸井 |
教育、文部省の問題ですね。明治政府の時代から、
男は漂流してたんじゃないですか(笑)。
家をよく見てなかった。
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隈 |
建築が生産技術としてしかとらえられてなかったんです。
どの国も最初はそうだったけど、
ある時期から「建築」という独立した
一つの文科系的な学科になっていく。
ところが日本は依然として工学部の中の一部で、
明治の富国強兵のままです。
これは今や、世界では非常に珍しいことに
なりつつありますよ。
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糸井 |
そういえば、僕のやってるホームページの
女子高生ライターが、「なんで、座高を計るの」
と言うんですよ。たしかに身長、体重はともかく、
座高は謎だ(笑)。三人の先生に聞いたけど、
先生もわからない。
海外には日本のように児童の体格を
たえず測定しているシステムはなくて、
ある意味で世界遺産みたいなものなんですって。
こんなに継続的な記録はないというので、今は、
「頑張って続けましょう」ということになっている(笑)。
明治の文部省が慌ててつくったことで、無意味だったり、
時代とズレていたりすることは、
いっぱいあるんでしょうね。
(つづく) |