第2回
建築家は予言者 |
服部 |
素朴な疑問ですけど、建築家って、
一部の有名な方々は別として、市井の方だと、
「私はこういう仕事をしています」
というのが見えにくいですよね。
建築家は自分の仕事をPRしちゃいけないとか、
そういう規制はあるんですか。
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隈 |
ぜんぜんないですよ。ただ、広告する建築家って、
いかがわしく見えるから、しないんじゃないかな。
それに建築家は、頼まれてやらないと
カッコつかない商売なんです。
自分から「設計させて」って言うのはどうも……という。
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糸井 |
「作家性」ということですか。
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隈 |
ええ、家は何十年も暮らすわけで、
「あなたにはこういう家がふさわしい」と言うのは、
「あなたは何十年でこういうふうになる」
と言う予言者みたいなものだから、依頼者に対して
特権的な立場に立たないと成立しないんです。
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服部 |
神というか、お告げというか。
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隈 |
そうそう。でも、実際には相手からお金をもらう
業者なわけね。業者でありながら、ある特権的な立場で
予言するような物言いをしないと成立しないという
二面性を持ってるわけです。
その場合、自分から広告なんかしたら、
その二面性がなくなってしまう。
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服部 |
面白いですね。
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隈 |
いわゆる住宅メーカーには二面性はなく、
業者に徹しています。
今、建築家の予言者的なポジションはどんどん危機に
さらされていましてね。
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服部 |
予言を聞かない人々が出てきた。
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隈 |
今まで建築家がしてきた予言というものが、
インチキっぽく思えてきたということじゃないかな。
そして、予言がインチキだっていうことを、
実は建築家自身がいちばんわかっているんです。
その証拠に、自分の家を自分で建てている人って
あまりいないんですよ。(笑)
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糸井 |
自分の家は難しいですか。
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隈 |
難しい。だから服部さんのように、
昔の家を持ってくる人が多いんですね。
日系アメリカ人で世界的な建築家になったミノル・ヤマサキ
という人は、古いアメリカの民家をひいてきて
自分の家にしていましたし、
日本でも新高輪プリンスホテルを設計した
村野藤吾という大建築家は、日本の古い民家を持ってきて、
自分でぐちゃぐちゃに手を加えていました。
ゼロから家を建てるという行為は、自分でやってると、
ものすごくウソっぽいんですよ。
自分の人生の可能性の中から一個選びとって、
あとは排除して建てるなんて、できない。
だけども、世間に対しては営業的に予言者の顔を
しなきゃいけないんです。
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服部 |
カリスマたるためのものを、実際のモノとして
見せてしまうのは、恥ずかしいって感じなんでしょうか。
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隈 |
そう、すごく恥ずかしい。
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糸井 |
バレちゃう。僕、物見遊山でサイババに
会いに行ったことがあるんですが、
どういう家に住んでいるかというと、
「ケーキの家」なんです、見た感じのイメージが。
お菓子のコトブキみたいな家というか。
で、ウサギやヤギといった白い小動物がいっぱいいる。
やたらメルヘンチック。
そこにE.T.みたいな顔をした背の低い男が、
オレンジ色の服を着て逆光の中から出てくるんですけど、
家を見たときに、ウソだな、予言なんかできないな
と思った(笑)。
“自分にふさわしい家とは何か”を
本人が知ってて住んでるとすれば、
あの程度までしかいかないんだというのが、
普通の人にはわかっちゃう。
ところが本当に困りぬいて集まってきた人には、
ケーキのような家が、「これこそ夢の世界だ」と思える
二重構造になってて、家って恐ろしいと思いました。
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隈 |
だから建築家が自宅を設計していたら、
家に来られるとアウトなんです。サイババです(笑)。
逆に、思い切って俗物的にするのが今の時代の予言者の
スタイルかなって気もします。
それを実践したのが麻原彰晃。
それまでの新興宗教は、本殿みたいなものを
超越的な建築物にしようとしたわけですね。
湯水のごとくお金をかけて切り妻七段何とか造りとか。
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糸井 |
お雛さまの段飾り。
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隈 |
そういう超越性を表現しようとすればするほど、
今はインチキだと思われる可能性が強い。
それに対して麻原は、あのサティアンみたいに、
倉庫にしか使わないような安い建築材料を組み立てて、
アンチ特権的な建築をやったんですね。
日常的なスタイルも、ファミリーレストランで
エビフライ食べたり、徹底的に俗物的なところを
見せていたわけでしょう。広告もそうじゃないですか。
豊島園の広告で「史上最低の遊園地」というコピーが
ありましたが、それが実は最高の広告になっている
という逆説があるわけで、俗物的なものの中にこそ
真実を感じるみたいな方向に移行しているのに、
建築家は、昔ながらの予言の仕方しかしていない。
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糸井 |
人類どうあるべきかとか、「べき」がないと予言は
できませんね。ところが今の人たちは、その「べき」
という啓蒙がイヤなんです。化粧品もそう。
女の人が高校卒業するとき、化粧はこうするべき
というのを化粧品会社が学校にタダで教えに
来るらしいですね。女性に学ばせておいて、
さあ、うちで商品を売ってますよ、
ということなんでしょうけど、今、化粧って
ストリートから来ちゃう。街を歩きながら、
あの人のがいいなと思って、
それが流行ったりするから、あの啓蒙パターンが
効果を持たなくなった。
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隈 |
そういう変化に、建築家は対応できないんです。
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糸井 |
なるほどね。実際に設計を頼まれたとき、
相手の要望をきいていたらキリがないと思いますが、
そのあたり、どう折り合いをつけるんですか。
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隈 |
恋愛と似ていて、この人とはうまくやっていける
という気分さえ相手に抱いてもらえれば、
要望を全部聞かなくてもいいようなものでね。
悪いことを言うのも大事です。
「これ、見た目はカッコいいけど、
水がぜったいに漏れますよ」とか。
この人は嘘を言わないと思わせることは、
予言者には必要なことです。(笑)
(つづく) |