映画館での出来事でした。

まだシネマコンプレックスが
郊外ショッピングセンターの専売特許だった時代。
東京の街中にある映画館は昔のスペック。
階段状の観やすい構造の劇場なんてほとんどなくて、
せいぜい、緩やかな傾斜が床についてる程度。
せいぜい、全席指定でユックリご覧いただけます
というコトくらいを売り物にしなくちゃいけないような
そんな映画館で、とても人気の話題作をみたときのコト。

単館上映のアート系の映画でした。
指定席をとるのがとても大変で、
何度も何度もトライして手に入れたのが極上の席。
劇場のちょっと後方。
しかも真ん中。
目の前にスクリーンが
ちょうど観やすい目線の位置に広がる、
それこそこれ以上の場所は無いって思える
シートを手に入れて、
あぁ、これで今日はたのしく映画が観れる。
しかもなんたる幸運。
ボクの前のシートだけ誰も座らず空いている。
ぐるっと周りを見渡すとほぼ満席で、
なんて今日はついてるんだろう。
劇場の中が暗くなり、
予告編がはじまった頃に
ボクの前の列がザワザワしはじめる。
見れば一人。
背の高い男性がこっちに向かってやってくる。
嫌な予感が走ります。
果たして彼は、ボクの前の席に着く。
呆れるほどに座高が高く、ボクの目の前に大きな頭。
しかも帽子をかぶっていて、
スクリーンのど真ん中、
下3分の1ほどの高さにまん丸の影ができてしまった。

もうガッカリです。
せっかく手に入れた最高のシート。
そこが一転、残念なシートになってしまった。
もう情けなくって、悔しくて。
思わず前に座った人の肩をツンツン、つついて一言。
「映画館では帽子を脱いでいただけませんか?」
と、不機嫌丸出しで彼に言う。
彼は軽く振り返りつつ、
「失礼しました。ではお言葉に甘えまして」
と、帽子を脱いだ。
そしたらおやまぁ。
帽子から自由になった彼の頭は、
アフロヘアとでもいいますか。
フワフワとした鳥の巣頭で、
だから首を傾げるたびにチラチラ揺れて
もう気になってしょうがない。
ボクの予約の手順に間違いがあったのじゃない。
ボクが予約した席に不手際があった訳でも当然無くて、
ただただ運が悪かった。
しかもその運の悪さが作った傷を、
自分のちょっとした一言で
ますます広げてしまった
どこにもぶつけようのない哀しさ。
もしもそのとき、この映画館に
一席だけでも空席があったなら。
たとえその席が一番前の、
一番端の席であってもボクはそちらを選んで、
席を変わって運の無さを慰めたかもしれないでしょう。
ボクの目の前のアフロさん。
うれしいことに、しばらくして帽子を深くかぶりなおし、
シートにできる限り浅く座って座高を低くしてくれた。
ありがたいかな、助けあい。

最高の席が訳ありの席になってしまう。
レストランでも当然、おきます。
夕日をひとりじめできるテラスのテーブルも、
土砂降りの日には
びしょ濡れになることをたのしめる人以外には
とんでもないテーブルになる。
隣に座る人を選ぶコトができないというのも、
レストランという半ば公の場所にいることの
宿命のひとつだったりもするでしょう。
そうした不運も、予備のテーブルがあれば
なんとかしのげることもある。
けれど、どんなに工夫しても、
どうにもならない不運に見舞われることもあります。
たとえばこんな見事な不運。





その日はすばらしい日になるはずでした。
すべてのお客様が顔なじみ。
満席という状態ではなく、
7割がたの客席に対して予約が入っているという状況は、
サービスも行き届く上、
厨房の作業も入念を忘れることなく
スピーディーに行える理想的な混み具合。
経営的には「満席」がありがたい。
けれどお客様にしてみれば
「ほどよき混雑」がおそらくたのしい。
ガラガラのレストランで食事するのは不安で寂しく、
超満席では自分の存在が埋もれてしまう。
ひとりひとりが主張ができて、
しかもそれらの主張が
決して虚しくなることがないほどよい状態。
それがその日で、夏のはじまり、
第三週の週の半ばの平日のコト。
おそらくフリーのお客様は
まずやってこないであろう自信があって、
だから気持ちは悠々自適。
しかも、すべてのテーブルが、
そこに座ったすべてのお客様にとって
最高のテーブルとしてご用意できた、本当にまれな一日。

ご予約の時間は7時ちょっと前から
7時半にかけて集中していました。
だからほんの少々、厨房の中は緊張します。
一度にお客様がいらっしゃると、
一度に料理を作り上げなくちゃいけなくなるから。
けれどその緊張感が、
よい商品を生むエネルギーのひとつですから、
今日も一日がんばりましょう‥‥、と。
珍しいほどに順調に、お客様がやってきて
時間通りにディナーははじまる。
火灯しごろからはじまったその日のディナーは、
順調に、そして粛々とすすんで
やがて通りの外灯がつきはじめる時間になります。

お店の外の明るさと、
照明をつけたお店の中の明るさの逆転がはじまる時間。
レストランが一番輝く瞬間で、
中に働くボクらにとって
心地良い緊張感につつまれるときでもあるタイミング。
さぁ、これからが本番だと気合を入れた瞬間。

パチン。

電気が切れた。




ヒューズが落ちてしまったのか、
と確認するもそこには何も異状はなくて、
どうしたことかと表をみました。
ついたばかりの外灯も今は消えてて、
まわりのお店も電気が切れてる。
停電でした。
あとで分かったコトでしたけど、
ボクらのお店があった地域に送電している
送電システムが過通電で
そこだけ停電してしまっていた。
まだ外は落ちたばかりの太陽の名残でぼんやり薄明かり。
昼の名残が店の中にもさしこんできて、
まだ真っ暗という状態にはなってはなかった。
けれどそれも時間の問題。
たちまち暗くなっていくのは目に見えていた。

お客様に説明します。
このままですと、
いつものサービスが提供できなくなります。
まことに申し訳ありませんが、
今、お帰りになるのであれば
お代は頂戴いたしませんので‥‥、と。
ありがたいことに、誰ひとりとして、
ならば‥‥、という人はいませんでした。
どうせ、今帰っても電車も動いてないだろうから。
ひとりで暗いところにいるよりも、
みんなでいたほうが安心だからと、理由はそれぞれ。
けれどそれからは大変でした。
完全に暗くなってしまう前に、
テーブルの上だけでも明るくする準備をしなくちゃ‥‥、
と、お店の中にあった
中国茶のポットを温めるための固形燃料を総動員。
耐熱ガラスのボウルにお水を張って、
そこに浮かべて火をつける。
窓のない、厨房の中はもっと大変。
調理用のガスをつければ
そこは明るくなって調理はできはするけれど、
冷蔵庫や冷凍庫の中の食材は使い物にならなくなります。
さぁ、どうしよう。
この状態でそれでもここに残ってやろうと、
おっしゃるお客様を、
よし、喜ばせるグッドチャンスだと
思うほかはありません。

さて、ご相談です。
こうして残っていただいた皆様の好意に甘えて、
今日は冷蔵庫、冷凍庫の在庫整理に
付き合っていただきたいのです。
お代は最初にお約束したお値段そのまま。
なにぶん厨房の盛り付け台が真っ暗で、
できた料理をいつも通りに盛り付けることも
ままならぬかもしれませんが、
それで良ければ精一杯の料理を提供いたします‥‥、と。
誰ともなく、拍手がおきます。
全て了解の合図でしょう。
しかもそれに続いて、こんなコトをおっしゃる方が。

それなら大きなお皿にドンッと盛ってくれれば、
ボクらでそれを分けましょうよ。
通路が暗くて、サービスするのも大変だろうから、
どうでしょう。
テーブルを寄せ集めて、
大きな一つのテーブルにすれば、
たのしく食事もできるでしょう。

再び拍手。
そして客席ホールの真ん中に、
固形燃料の明かりがともる大きなテーブルが出来上がる。
ユラユラ揺れるほのかなあかり。
次々、出来上がってくるいつもと違った
ダイナミックな中国料理の数々に、
ワイン、それから紹興酒。
料理の内容を説明しながら、
料理を取り分け、その取り分けられた料理のお皿が
手から手へ手渡されていくステキな景色。
料理のお皿がてわたされるのと同時に
笑顔も伝わっていく。
とてもおだやか。
そしてシアワセ。
サービスする側と、
サービスされる側がひとつにとけ合うような、
素晴らしい夜。
すべてのテーブルが
訳ありテーブルになってしまった夜は、
すべてのテーブルがひとつになった夜でもあった。

レストランとはみんなが笑顔で助け合いつつ、
みんなでシアワセになってく場所であるべきなんだ‥‥、
とその夜、ボクらは思い知る。
せっかくだから心置きなくたのしもう。
たのしむための協力と、
創意工夫を惜しみなく発揮しようとするお客様に、
「訳ありの席」はそもそも無いのだって、
そう実感したのがその夜、最高のゴホウビでした。
さて、来週。



2011-06-23-THU

© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN