ボクらは女将さんの後につき、
厨房を眺める配膳室にやってきました。
完成したばかりの料理がここに運ばれ、
ここからお客様のもとに向かって運ばれる、
レストランで働くすべての人が、
ここを中心にして働く「要」のようなその場所に、
大きな額がかかっていました。
大きな文字でそこに書かれていたのは、
全部で10箇条ほど。
お客様を不快にさせることのないよう、
「やってはならないコト」が簡潔に。
もう50年以上もずっとかわらず、
ここで働く者のココロをつないでいるのは
この約束事だけ。
あとは、臨機応変。
働く人それぞれが自ら気づいたコトに対して、
出来うる限り良い方法でそれに対処していくのです。
そして彼女は、分厚いノートを何冊も、
帳場の奥の棚から取り出しボクらに手渡す。
中にはビッシリ、いろんな人の手になる文字が
書きこまれていた。
ここで働く人ひとりひとりが、
「このようにお客様にしてさしあげたら、
およろこびになった」
というおもてなしの事例を書きこんで
みんながそれを読めるようになっていたのですネ。
一人ひとりが他のみんなのお手本である。
マニュアルはない。
けれどこうしたみんなの経験、知恵を共有することが
私たちのおもてなしを、
日々、すばらしいモノにしてくれる
唯一の方法なのだろうと思うのです‥‥、と。
そういう間もずっとボクらのかたわらの厨房の中では、
みんな総出で掃除をしている。
みんなが同じようにできるようになる。
それが目標ではあるのだけれど、
そうは言っても、一人ひとり個性があって、
私のように働きなさいと言っても
それはそれで無理なこと。
経験。
性格。
才能。
適性。
サービスだとか調理だとかには、
「感性」という伝えようにも伝えきれない
あやふやな要素がとても大切。
けれど掃除。
道具があって、やる気があって、
あるべきキレイな状態がわかっていれば
誰にでもできるようになるのが
その場をキレイに保つという作業。
だからみんなでやるんです。
互いが分かり合っているかを確かめ合うためにも
掃除をみんなで行う。
自分の役割を果たすだけでは
作り出すことのできない特別は、
こうして生まれるのじゃないかしらと
思うのですよ‥‥、と。
そういう女将は、こう付け加えます。
クラークさん。
ヒルマンさん。
生意気なことを申しました、
どうぞお許しくださいませ‥‥、と。
思い返してみれば、
女将と英国紳士が名前を告げあって
ずっと女将は彼らの名前を呼ばなかった。
すっかり忘れてしまっていたのかと思っていたら、
最後の最後。
許しを乞うため名前を呼んだ。
彼らはそれにまたビックリして、
なぜなのですかと聞いた理由がまた凄かった。
そのおはなしはまた来週。
ちなみに彼ら。
日本的なるこの曖昧を、完全に理解できたかというと
やはり西洋的なる役割分担と
計画運営に対するこだわりを、捨てることはしなかった。
けれどどうすれば、その西洋的と日本的を
融合させることができるか‥‥。
それが実際、お店を作るボクらの一番の課題になった。
やりがいのある、ステキな課題でありました。
なにより彼ら。
レストランの立地選びの1項目に、
「トイレの掃除を他人任せにしなくてすむよう
共用でなく、専用トイレを設置できる
場所でなくてはならない」
という、一風変わった条件を作ってニンマリ。
京都の旅は程よき旅であったわけです。
|