そのときボクは、はるか昔に京都で出会った、
あの女将さんの最後の言葉を思い出します。
お客様の名前は、お客様の持ち物と一緒でございます。
だからそれを軽々と、口にすることなど
サービスをする私どもには恐れ多くて。
滅多なコトでは名前を呼ばぬ。
ココロの中で名前を呼べば、それで気持ちは伝わるモノ。
それでも名前を口に出し、謝る、あるいは感謝する。
そのときにだけ、私どもは
お客様の名前を呼ばせていただきます。
そういい彼女は、最後の最後に
「クラークさん、ヒルマンさん」
と謝罪の言葉の最後を〆た。
ボクはそれからボクらの店でも、
無闇矢鱈にお客様の名前を呼ばず
ココロの中で名前を呼ぶを、
サービステーマにしておりました。
ただ一度だけ。
目が見えぬお客様をおもてなししたいという
お客様がいらっしゃって、
どうサービスをすればいいのか? と言ったらその人。
普通の人と同じようにサービスしていただける方が
ありがたいです‥‥、と。
ただなるべく、耳元で名前を
やさしく呼んでさし上げると安心されると思いますよ。
どういうコトかと、ボクは実際、
目隠しをして食事をためす。
普通のサービス。
二人でテーブルを挟んで行う普通のディナー。
目が見えぬということはたしかに不便で、不安なコトで、
けれど慣れると案外なんとかなるものだった。
ただ一点だけ。
「右手にお茶のポットを置きます」
というそのヒトコトが、誰の右手がわからない。
「お熱くなっておりますので」と言った最後に、
「サカキ様」とそっと名前を添わせてくれると、
目の前に誰かの顔がボンヤリ浮かんで見えるのですよね。
なるほど、そうかと。
その日、ボクはそのお客様がやってきて、一番最初に
「お待ちしておりました、
ワタクシ、サカキと申します」と。
挨拶をしたら、自然と彼女がニコリとなって
「ユリと申します、よろしくお願いいたします」って。
ボクはユリさんに何か伝えたくなることがあると、
必ずユリさんと名前を呼んだ。
そのたび、彼女はボクの方に顔を向け、
ニッコリとして頷いた。
2時間程の食事の果てに、
ユリさんがボクにこういいます。
「こんなに安心できた食事は、
ひさしぶりにいたしました、
どうもありがとうございます、サカキさん」って。
うれしかった。
人の名前は人を安心させるため、呼ぶべきなんだ‥‥、
とそのとき確信した次第。
名前を呼ぶコト自体が良いサービスと勘違いするお店は
「名前をお呼びできる」というシアワセの本質を、
知らないお店なんだろうなぁ‥‥、
って思いもしました。
勉強でした。
さてさてそろそろ、ボクらのお店が終わりを迎える。
その顛末をご披露しましょう‥‥、また来週。
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