今、思い返してみれば、
それこそがバブルというコトだったのでしょう。
ボクたちが経営していたレストランを
売ってくれぬかという人が、
やってくるようになりました。

別にその場所を所有していた訳じゃありません。
大家さんから借りていた店。
インテリアや厨房設備をつくるため、
設備投資はしていました。
もうそのときには2年以上も営業していた。
おなじみのお客様もついていらっしゃったし、
お店の名前もかなり定着しはじめていた。
そうしたお店の営業価値に魅力を感じて、
売ってください‥‥、というのであれば、
耳をかしてもよかったのだろうけど、
ただただ、あなたが営業している
お店の場所が欲しくって‥‥、と。

しかも、ボクたちが投資したお金をすっかり回収した上、
もう一軒、新しいお店を作れそうなほどの金額を
提示する人たちがそのうち出てくる。
それもひとりや二人じゃなく。
しかもその気はないからと断ろうとも、何度も何度も。
気持ちは揺れます。
けれどボクらの店はボクらのモノであると同時に、
一緒に働いている人たちや、
このお店が大好きなおなじみさんたちの店でもある。
だからしばらく、ボクらはそうした誘惑に耳を貸さずに
それまでどおり、平常心で営業を続けていました。

ところがある日。
共同経営をしていたパートナーが、
ちょっと相談があるんだと。
彼は言います。
日本の経済はおかしいと思う。
何もかもが高くなる。
なにより、ボクらのこんなちっぽけな店に
あんな値段がつくというのが異常なコト。
実はボクの友人の中国系の人たちは
みんな日本の資産を処分しはじめてるんだ。
日本のお金をアメリカや、中国に移して
そこで事業をはじめる人が
これから増えると思うんだ‥‥、って。

そうかもしれない‥‥、
と実はボクもぼんやり思っていました。
レストランをオープンしたいと銀行に行っても
お金を貸してはもらえない人が、
土地を買いたい、ビルを買うんだと言って
同じ銀行に行く。
するとすんなりお金を貸りられた当時の日本。
金融業や不動産に関連した会社はみんな景気がよくて、
なのに飲食店にはなかなか働く人がやってこない。
汗して働くことがまるで格好悪いコトなんだ‥‥、
ってそんな風潮。
なんだかへんな日本になった。
そう思いはじめた時のコトでもありました。

ボクはココを一旦、売って
この商売を清算し、
台湾に戻って新たな投資をしたいんだ‥‥、
と彼は真剣な顔をしてボクに言う。
ボクも潮時だろうと、思いました。
ボクたちのお店を真似たレストランが、
東京という街に数軒できた。
それと同時にお店の名前が独り歩きして、
「グルメのための美食と贅沢のあるお店」
のように勘違いされることが
多くなってもきていたのです。
なにより本業のコンサルティングが
投資ブームに乗って忙しくなってもきていた。
せっかく仲良くなったお客様との別れはつらい。
けれど、揺らぐ気持ちで、
同じコトを繰り返すだけの営業をズルズルしては、
結局、お客様の大切な良い思い出を
台無しにしてしまうコトになりもするだろう。
そう考えて、ボクらは決断をするコトにした。
問題は、一緒に働いている人たちの
身の振り方をどうするか。
ただその一点がボクらの課題となったのです。





厨房の中に常時3名。
ホールに2名。
あとは随時、バイトを使って
運営していたお店であります。
ボクらは正社員の5人を集めて、
考えていることを説明し、
ひとりひとりがどうしたいかを聞くことにした。
台湾から来ていたシェフは、
国に帰って自分の店を持ちたいんだ‥‥、と。
二番手のシェフを務めていた同じく台湾出身の調理人。
彼は日本人の奥さんと、
二人で自分のレストランを開業したい。
3人目のシェフはまだまだ未熟で、
どこか有名な店で修行をしたいというのが、
厨房スタッフの将来設計。
一方、ホールの人たちは二人で喫茶店をやってみたいと、
そう言います。
みんなの夢が出揃いました。

修行をしたいと言う若い人には、
ボクが責任をもって修行先を探してあげるよ‥‥、と。
それ以外の人たちには、それぞれの夢を叶えるのに、
果たしていくらぐらい必要なのか‥‥。
開業費用を計算するのはボクの本業の一つでした。
ざっと試算し、その金額なら
お店を売ってボクらがそれぞれの取り分をとり、
残った分で十分、賄えそうに思えた。
それほどの値段が
ボクらの店にはついていたのですネ‥‥。
それを退職金にするから
みんな、自分の夢のお店を作ればいいじゃないと。
そういうボクらに、彼らはなかなか
「うん」と言わない。

彼らは言います。
自分たちは料理やサービスのコトは良く知っている。
けれど店の作り方や経営の仕方はズブの素人。
そんな自分たちが、金だけもらっても
すぐに無くしてしまうに違いない。
だから出来れば、自分たちと一緒に店を作って欲しい。
十分とは言えないけれど、蓄えがないではない。
自分の店なんだから、金を借りなきゃいけないのなら
当然、そうしたリスクもとりたい。
だから退職金より、
成功できる店を作ってもらいたいんだ‥‥、と。
たしかにそうだ、とボクらは思った。
お店を閉めようと勝手に決意をしたボクたちが、
残った彼らにすべきこと。
それは退職金を払うことじゃなく、
彼らがずっとシアワセに働く環境を
作ってあげるコトのはず。

パートナー氏はすぐにその場で台湾に電話をかけて
「店を一軒、台北で出したい人がいるのだけれど、
 よい物件を探してよ」
と、不動産業を営む彼のお兄さんにお願いをする。
そして、お店の候補地がでたら
一緒に台湾に行って決めようよ‥‥、と。

奥さんと二人で独立したいシェフにはこういう。
もしよかったら、奥さんをこの店に呼び
しばらく一緒に働けばいい。
ホールの二人がいい先生に
なってくれるに違いないから‥‥、と。
これからしばらくこの店は、独立のための学校にする。
ちょっと余分な仕事が増えるに違いないけど、
みんな一緒にがんばろうネ。
みんな頷き、みんなで強く手を握りしめ、
それは店舗売却オッケーのサインとなった。





そして早速、ボクらは行動を起こします。
ボクらの店を買いたいと
やってきていた人たちにアプローチして
「交渉をさせていただきますので」と。
いくつかの条件を提示しました。

・現在、働いている人たちの独立準備をするため、
 これから4ヶ月間、営業を続けさせていただきたい。
・チャイニーズレストラン用の物件と、
 喫茶店用の物件を2ヶ月以内に探していただきたい。
・売買契約を締結と同時に、
 売却金を支払っていただきたい。

こんな無理難題。
絶対に聞き入れられることなんてないだろう‥‥、
と思いながらも
ダメもとで何社かの担当者にその旨を伝え、
驚いたコトにそのうち2社が
それでも良いと返事をくれる。
ボクらの店は余程、
魅力的な物件だったのでありましょう。
その中でより条件のよかった会社と契約をする。
その翌日。
ボクらのレストランの口座には
気絶しそうなほどのお金が振り込まれていた。
さてそこから4ヶ月。
ボクらは互いの夢を叶えるために、
必死に働き必死に学んだ。
ボクらの戦い。
また来週の話です。



2011-09-08-THU


© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN