ワイン好きのお客様。
一ヶ月に二度ほどのペースでやってきては、
良いワインを抜かれて帰る。
そのたび、新しいお客様を何人も、
おそらく接待で使われてらっしゃったのでしょう。
紹介かたがた連れてくる。
その日は、とても珍しくご家族連れでやってこられた。
落ち着いた雰囲気の奥様、
そしておそらくボクと同い年くらいの息子さん。
そしてその息子さんのフィアンセという
大人4人の会食で、ボクはいつものお礼にと、
ワインを一本、お飲み下さいとお持ちした。
エチケットを一瞥。
そしてこういう。
このワインは、サービスしていただくには
良すぎるワイン。
勿体ないから、別のもっとカジュアルなワインに
変えてくれるとありがたい‥‥、って。
いえ、いつもご利用いただいているから、
ぜひ、これを飲んでいただきたいのです、
とそういうボクにその人は言う。
当たり前によい店でならば、
このサービスをワタシも決して断らない。
けれど、この店ののように当たり前以上に良いお店には、
無理をしてほしくないのですよね。
無理をしすぎて、お店が無くなってもらっちゃ困る。
だから程よきワインを今日は一本、いただきましょう。
お客様から「無くなってもらっちゃ困る店」
とそういってもらえるシアワセに、まず感激して、
そして程よきワインを一本。
当時の、ボクらのお店で一番人気のあった、
一本7000円位のワインでしたか‥‥。
抜いてどうぞ、とふるまった。
そして食事はつつがなく。
お題をいただき、6000円ほどのお釣りを
銀のトレーに乗せてどうぞとテーブルの上にそっと置く。
そのお客様がこう言います。
サービスで頂いたワインがあまりにおいしく、
今日のお釣りを
その思い出のお代においてかえりましょう。
あなたからサービスして頂いたワタシから、
厨房の中の人へのサービス。
皆さんと、おいしいものを食べに行くときの
足しにでもしてくれれば、
お釣りも喜ぼうというものです‥‥、と。
そして彼は続けます。
今日、若いふたりに
ちょうどこう言っていたところなのです。
結婚は、親のためでもなく、
結婚をする相手のためでもなく、
自分のシアワセのためにするもの。
自分のシアワセのためにならない家庭なんて、
持っても仕方が無いものなんだよ‥‥、って。
レストランも同じなのかもしれないですよ‥‥、と。
たしかにお客様のことばかり考え、
必死になってるレストランは、窮屈でときに退屈なもの。
レストランはそこで働く人をシアワセにするためにある。
そう思ったら、もっとすべきコトがある。
そうそのときボクは気が付きます。
「ありがとうございます」とお釣りをいただき、
そのまま厨房に駆けこんで、
「みんなのためにといただきました」
とお釣りをビニール袋に入れて、
オーダー伝票を吊るすフックにぶら下げた。
まだ営業中で、厨房の中の作業もかなり忙しく、
けれど調理スタッフは感謝の気持ちを伝えたい。
そこで彼らは一斉に、天井からぶら下がる空の鍋を
オタマで叩き、ありがとうございましたの声に変える。
お店の中に鳴り響く、まるで教会の鐘のごとき感謝の音。
チップをくれた紳士は大きな拍手でそれに応える。
何事か? とビックリする他のお客様に、
「ちょっとめでたいコトがあったモノですから」
と言って回ると、みんな不思議と拍手をはじめる。
お店の中に響く拍手は、ボクらを祝福する拍手のようで、
それからボクは
「働く人をシアワセにするレストラン」のコトを考え、
みんなでそれを現実のモノにしていった。
その経験が、今のボクを作ってくれたと言っても
それは間違いじゃない。 |