ニューヨークにやってきて3ヶ月目くらいの頃でしたか。
住まいもできて、とある会社で
インターンとして働き始めることもでき、
ボクは日本に手紙を書いた。
ご心配をおかけしました。
仕事もはじまり、まだどうなるかわかりませんが
しばらく一生懸命ここでがんばってみようと思う。
とそんな内容に住所、それから電話番号。
社交辞令的に、一言、最後に。
ご近所にお寄りの節は、
是非お立ち寄りくださいな‥‥、と。
そんな手紙を出したことも、
ほとんど忘れてしまった頃に、
突然、電話が鳴ったのです。
母からでした。
ヨーロッパに行くことになったの。
イタリア。
スペイン、ポルトガル。
リスボンからは成田の直行便がないのよネ。
考えてみれば。リスボンってヨーロッパの西の外れ。
ニューヨークのご近所じゃない?
だからちょっと顔を出すわ。
迷惑だったら、そのままトランジットで
成田便にのっちゃうけれど、どうかしら‥‥、って。
素直に顔を見たいといえばかわいらしいのに‥‥、
って憎まれ口をたたきながらも、
JFKで会って最初に泣いたのは、ボクの方でありました。
お腹がすいたわ‥‥。
機内食は全然食べる気がしなかったのよ。
何を食べたい? って聞くボクに、
あなたが一番好きなお店で私は食べたい。
そうお答える母。
そういうコトなら、母をつれていきたいところがあった。
母の荷物をホテルのフロントに放り込み、
タクシーにのりセントラルパークの東側。
マディソンを北に上がって
83丁目の交差点を左に向かう。
目の前にはメトロポリタン美術館。
こんなところにレストランがあるのという母を尻目に、
ズンズン、中に入っていきます。
入場料をふたり分。
それと引き換えにブリキで出来た
ピンバッジのような入場チケット替わりをもらって、
それをシャツの襟につけます。
セキュリティーのゲイトをくぐり、
お世辞にも人気があるとは言えぬ、
だから人影まばらな古代地中海美術コーナーの、
通路をまっすぐ歩いて進む。
すると右手にエレベーター。
大きな、おそらく美術品を搬入するようにも
できているのでありましょう。
天井の高いちょっと広めの
ベッドルームが上下に動いているかのような、
エレベーターに二人で乗り込む。
エレベーターの中には学芸員がひとりのってて、
どちらへ? と聞く。
ルーフトップガーデンへ‥‥、と。
そう言うと、彼女はニッコリ笑いながら、
「R」と刻印されたボタンをそっと押し、
ユックリ、大きな重たい箱が
上に向かって上がっていきます。
ポーンっと丸い音がして、扉が開くとそこは屋上。
「エンジョイ」という彼女の声に背中を押されて表にでると、
コーヒーの匂いがやさしくボクらを包みこむ。
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