ホットドッグは人生のトレーニング。

He is a big fan of yours!

店の主人が大きな声で、ボクに助け舟を出してくれます。
「彼はあんたのファンなんだ‥‥」。

怪訝そうな顔をして「以前にどこかであったかな?」と、
師匠はボクに聞いてきます。
先日、店の通りの向こうから。
見事な手際でホットドッグを食べるところを拝見して、
勝手にファンになったんです。
ファンというより、あなたは師匠。
そのコトをここのご主人にいったら今日、
ここで働いていればあなたに絶対、
会えるからといわれてそれで‥‥、
とここに至った事情を説明。
そういえば、彼にまだ
挨拶のひとつもしていなかったコトに気づいて、
「グッドモーニング・サー」。
彼はニコリと「グッドモーニング」。
片手をスッと差し出してウレシイことに握手を求める。
ボクも片手を出そうとした、そのとき、
「グーッ」と恥ずかしいほど大きな音が
ボクのお腹の方から聞こえる。

腹がなったのでありました!






考えてみれば朝からなにも食べてない。
ずっと緊張していたから、
その空腹に気づかなかったのでありましょう。
グーッのあとに、ギュルギュルグーッと
かなしげな音が続いて、
それが師匠の耳にも届いてしまったんでしょう。
クスッと彼は笑って大きな声で、
キッチンの方に向かってこう言います。

「君のパートナーは
 朝ご飯を食べていないみたいだぞ‥‥、
 私のホットドッグに今にもつかみかかりそうだ」と。
そして、ワハハと大きな声で笑ってボクの手を握る。

「もう忙しいコトもないだろうし、
 今日の仕事はこれで終わりにしていいぞ‥‥、
 ご苦労さん、ありがとう」
背中の後ろで声がして、振り返ったら店のご主人。
プレーンドッグを右手に2個。
空の左手をボクの腰の位置に突き出す。
腰に巻いてたつり銭入れのエプロンを、
ボクは外してオヤジに手渡し、
代わりにホットドッグを手にします。
熱々。
できたばかりのホットドッグの熱さが再び、
お腹を鳴らす。

1個はケチャップ。
もう1個には玉ねぎとピクルスをのせて、
食べる準備をしていきます。
隣で師匠は、ボクの手際をみながら
「あぁ、なんておいしそうなホットドッグ」
といいながら、小さく、
「You are a good pupil」と。
「よき弟子」と言われてボクはすっかり有頂天です。
彼はいつもの窓際のカウンターのところに向かう。
当然、ボクも彼のあとをついていき、
彼の隣でホットドッグをパクリといきます。

一口分ごとにケチャップやレリッシュをおき、
だから前歯が当たる場所には
邪魔するものがないソーセージ。
そしてパン。
それは驚くほどに簡単に、
唇も手も汚さずにプチュンと口にちぎれて飛び込む。
あぁ、これなんだ‥‥、と思いながら、
ボクは一口、また一口。
師匠もおなじように、一口、そしてまた一口。
そしてこんなコトをポツリポツリと、
ヒトリゴトのようにつぶやきます。

壁に向かってする食事は、一人で腹を満たす行為。
毎朝、そんなさみしい食事をするのはたまらんからネ。
壁ではなくて街に向かって食事をすると、
街を歩く人達と会話をしているような気にならないか?
あるいはレストランで食事をしているような
気持ちにもなる。
ひとりでいても寂しくならない。
そんな風には思わないか? と。

「なんか誰かに見られてるんじゃないかって、
 ちょっと落ち着かなかったりしますけど‥‥」

そういうボクに、彼はいいます。

「人に注目されない人生を、
 君が送っていいのだったら
 壁に向かって食べるコトを
 心地良いと思えばいいんだ」と。

実は彼。
ニューヨークではちょっと名前の通った
ジャズのピアニスト。
有名とは言っても知る人ぞ知る的アーティストで、
ジャズの世界に明るくはないボクが
知らぬのも当然のコト。
ステージでピアノを演奏することもある。
けれど、それよりレストランやパーティーなどで
演奏することの方が当然多く、
だから自分はステージの上で「見られる」よりも、
お客様を「見ながら」
ピアノを弾くことのほうが多いんだ。
だからいろんな人のいろんな姿を見ることが
仕事の一部になってしまった。
ときに人はあまりに無防備な姿を他人に晒す。
どんなにステキに装って、
どんなに立派に見える人でも
見なきゃ良かったと思わせられる姿を
私に見せるコトがあるんだよ‥‥、と、
彼はボクにこんな話をするのです。





例えば、ウェディングパーティー。
招待客はほとんどみんな、新郎新婦のコトを見ている。
自分は誰からも見られていない‥‥、
と思い込んで人はお行儀悪くする。
ステージに近いところに座っている人たちは、
新郎新婦に見られていると思うから
ずっと背筋が伸びていて、
まるでセレブリティーのように座っているけれど、
ステージから遠いところの人たちは
テーブルに肘をついて背中をまるめ、
まるで場末のバーの酔いどれみたいな格好をした
若い女性がいたりするんだよ。
誰にも見られていないと思っている、
彼らも実は、見られてる。
私達のようなその場の裏方。
ミュージシャンやウェイター、
その場が夢の世界でありつづけるよう
気配りすることを仕事にしている人たちが必ず見ている。
そのパーティーの主役は太陽。
その太陽の光がとどかぬ場所にある草木はしおれて、
テーブルの上につっぷしている。
主役が挨拶に立ち上がり、光がさしてきはじめると
枯れた草木はたちまち元気をとりもどし、
太陽に向かってニコニコ笑顔を作りはじめる。
そんな様をみていると、
人の裏と表をみているように感じて、寂しくなる。

ところがそんな中にもその太陽が
近くにあろうが、遠かろうが
同じ姿勢でスクッと背筋を伸ばして
たたずむ人がいたりするんだよ。
誰かの光を必要とする存在じゃなく、
自ら光を放てる人たち。
自分は誰かに見られているという緊張感を、
心地よさに変えることができる人たち。
私たちはそういう人にいいサービスや、
いい環境を作ってあげようと思うモノ。

一人で生活していると、
そんな緊張感をどんどんなくす。
有名と呼ばれる人が、
みるみるうちにキレイになるのは
人からいつも見られているから。
見られている自分を意識しないで生活し続けると、
人の顔は姿はどんどんみすぼらしくなる。
人から見られているコトを、
毎日一度、否応なしに意識する時間を私は持ちたかった。
それでこの店。
この場所で、毎朝、ホットドッグをこうして食べる。
ガラスに自分の姿がうつる。
ガラスの向こうには街がある。
誰がみているかわからないけど、
私は街と食事をしている。
そしてこうして、君のような若者と
ステキな出会いに恵まれた‥‥、
なんと幸せなことだろう。

そう言いながら、ボクの両手をにぎって
今度は私のピアノを聴きに来なさいと、ニッコリ微笑む。

ただ悔しいのが、今日みたいに甘いオニオンは
山ほどソーセージの上にのっけて、
ボタボタそれをテーブルの上にこぼしながら
食らいついてみたくなる。
それができない自分のルールが
ときに悩ましくなるんだよ。

そう付け加え、ガハハと大きく笑う師匠に、
「本当にそうしたくなったらそう言っておくんな‥‥、
 厨房の裏のオレの部屋を貸してやるから」
と店のご主人。
そしてボクに輪ゴムでグルンとまるめて留めた
1ドル紙幣の束を手渡す。
全部で20枚の1ドル紙幣の内訳は、
時給5ドルの2時間分と、
ボクが笑顔で稼いだチップが10ドル分だというのです。
ボクはとてもうれしくて、
けれどそこから1ドル紙幣を5枚引き抜き、
ホットドッグ2本の代金と、
残りはチップにしてください‥‥、と。
そしてその日の朝が終わった。
その15ドルはボクがニューヨークを帰るまで、
ずっとグルンと丸まったまま、
ボクの部屋のキッチンカウンターの上に
吊るして飾ってありました。






さて、立ち食いをめぐるシリーズ、これで完結。
ニューヨークを舞台にしたおはなしは、
次回からも続きます。

2012-04-05-THU


© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN