すりガラスの窓がついた扉をあけて「こちらへどうぞ」。

部屋の中は以外に小さい。
丸い円形のテーブルが2つ。
それをとりかこむように
すわり心地の良さそうなアームチェアが並んでる。
10人ほども入ると
窓のない空間ながら、
高い天井に小さなシャンデリアがぶら下がる。
手元は暗い。
古色蒼然とした雰囲気であることはわかるのだけど、
薄暗く、こりゃ、随分、
辛気臭いところに通されたぞ‥‥、とボクらは思った。

ウィリアムが「失礼します」と壁に向かって膝をつく。
そしてカッカッと何かを叩くような音がして、
火花が続く。
ぼんやり部屋が明るくなってくるのです。

暖炉の明かり。
パチパチ、薪がはぜる音と一緒にユックリ、
部屋の中が明るくなって様子がみえる。
どこか不思議な部屋でした。
板張りの床。
木製の重厚な椅子の座面と背中は革張りで、
テーブルの上には大きな灰皿。
英国風の書斎のような重厚な造りの部屋で、
なぜだか壁にベルベットの生地がビッシリ、
張り込まれている。
影になったところは黒く、
暖炉の明かりで照らされたところは深紅。

クリムゾンルームと私どもは呼んでおります。

ブランデーを片手に、
葉巻をたのしみたいというお客様が
少なからずいらっしゃいまして、
その方々のためにご用意させていただいている部屋。
シガールームなのでございます。
葉巻。
パイプは時間を静かに、ユックリ過ごすお供にピッタリ。
つまり、ブランデーのような飲み物との相性もよい。
ブランデーの最高のおつまみ、
「サムシング」は実は葉巻でございます。

ただ、どうしても匂いが強く
他のお客様にご迷惑がかかってしまう。
ですからこうして。
このベルベットという素材。
ありがたいことに、匂いを吸い取る
役目を果たす繊維でして、
葉巻やパイプ煙草の匂いがこもらぬようになっている。
そう説明しながら、彼は壁の一部を手のひらで押す。
カチッとラッチが上がる音がして、
壁がパカッと開く。
中は空洞。
棒が一本、そこにハンガーがぶらさがっていて、
隠しクロゼットのようになっている。
ご自身のジャケットに葉巻の匂いがつくのを
好まぬお方は、こちらにお預かりすることもできますし、
このスモーキングジャケットを
お貸しすることもございます。

クロゼットの中にたしかに
数着のベストやジャケットが用意されてる。
どれも素材はベルベット。
赤に緑、紫に青と色鮮やかで分厚く
しかも、毛足が長く、
艶々として色っぽい生地で仕立てられた
ユッタリとしたジャケットで、
たしかに葉巻の強い匂いを
これなら吸い取ってくれそうに見え、
こんなもてなしもあるんだなぁ‥‥、と。




ブランデーに葉巻を一服、いかがですか?
煙草が吸えなくても、大丈夫。
肺に煙をいれるのでなく、
煙を口に含んで香りをたのしむ。
くゆらせるだけでいいのです。

と、ウィリアムに勧められて、
ボクらは生まれて初めて、葉巻を味わう。
それがおいしかったかどうかは微妙。
誰一人として、葉巻を嗜む趣味を
そののち持つことはなかった‥‥、
つまり、あまり好ましいとは思えぬ煙っぽい味。
エマに至っては、頭が痛くなってしまうからと、
数回口に煙を含んだっきり、
「私は外でひとりでのんでいるからね」
と部屋を飛び出し戻ってこない。

「大概、ご婦人は葉巻やパイプたばこの匂いを
 好まぬようでございまして‥‥」
と、彼女をおいかけ部屋を出る。
ジャンとボクは、クリムゾンルームに2人っきりで、
右手に葉巻。左手にクルボアジェのグラスをもって、
ただただぼんやり。
会話が特別あるわけでなく、ただただぼんやり。
自分の右手の先に点った、葉巻の灯。
口に含んで吸うと真っ赤に火がおこり、
そっとそのまましておくと色は沈んで
白い煙が細く上がってゆらゆら揺れる。
その表情が温かい。

まるで指先に暖炉がひとつ
灯っているみたいでキレイだね。
時間が経つのを忘れてしまう。
葉巻って、なんだか
時間を燃やしているみたいな気がする‥‥、
オモシロイね。
と、ジャンに言ったら、ジャンが答える。

何よりシアワセなのは、
エマのおしゃべりが今、この空間にないコトだね。
彼女の話を聞かなくていい。
彼女の話に答えなくていい。
何も考えず、何も喋らず、
にもかかわらず1人じゃなくて、
こうして同じ時間を誰かと一緒にぼんやり過ごせる。
葉巻とブランデーの組み合わせって
スゴイじゃないか‥‥、と彼は言う。




そういえば、アメリカのホームパーティーに
お呼ばれするということは、すなわち
「奥さんかガールフレンドと一緒に行く」
というコトを意味するのです。
だから食卓での話題は、
女性もたのしめるようなモノであることが大前提。
たとえそれが、ビジネス絡みの
パーティーであったとしても、
女性の前で仕事の話をすることは
粋ではないし、嫌われる。
食事を終えて、ホストがいいます。
場所を変えて、ブランデーに煙草はいかが? と。
その言葉の本当の意味は
「男性同士で話をちょっといたしませんか?」
というコトで、書斎があれば
そこがボーイズトークの場所になる。
そうでなければリビングルーム。
すわり心地の良い椅子に座って仕事の話や、
フットボールの話に花を咲かせるわけです。

これからバーにやってきたら、
ボクは葉巻を吸ってくるよ‥‥、って言えばいいんだ。
どんなときでも女性を大切にしなくちゃいけない
ジェントルメンが、つかの間、
女性からの自由を獲得するための、
これは素晴らしい発明だよね‥‥、
と、それからしばらくボクらは静かに葉巻を燃やす。
30分ほどもいましたか。
そろそろエマが寂しがるかもと、
ボクらは部屋を出ることにした。

ウィリアムを呼んで、
ほとんど減っていない葉巻の
燃えた部分をカッターで切り、
今日の思い出にとポッケに入れて
エマが待ってるカウンターに行く。
「お待たせ」ってジャンが言うと、エマがいいます。

どうせ、私がいなくて静かでいいね‥‥、
なんて言いながら飲んでたんでしょ? と。

図星に無言のボクたちに、彼女はニッコリ。
私はウィリアムから、いくら飲んでも酔っ払わない、
魔法のカクテルのコトを教わっていたの、と。
彼女の手にはブランデーの入った
ショットグラスではなく、
スッと背の高いグラスが1個。
中には淡い黄色の液体。
その正体は、さて来週のおたのしみ。


2012-06-14-THU


© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN