たしかにカクテルという飲み物には
厳格にして細密なレシピが用意されている。
計量カップやシェイカー、スプーンを使って
一杯のカクテルを作る様子といえば
あたかも、理科実験室のごときではある。
けれど、そのレシピにも書かれていないコトがあり
例えば温度。
例えばちょっとした間合いであるとか、
それは作り手の判断に委ねられている、
つまり「塩梅」というモノがある。
音楽の世界には楽譜があって、
けれど演奏者の解釈によって、
あるいは聴き手の期待にあわせて、
奏でられる音楽が絶えず異なるのと同じコト。
もし先ほどの、ジン・アンド・ビターズを
何杯も、それだけお飲みになるお客様が
いらっしゃったといたしましょう。
まず最初の一杯は冷蔵庫の中で
適度に冷やしたジンを使ってお作りする。
それがジンの風味を心置きなく味わうことができるから。
2杯目はちょっとビターズの量を増やして差し上げる。
ジンの個性的な香りを
より印象的に味わうコトができるから。
3杯目。
お客様のグラスを口に運ぶペースがユッタリとなり、
お酒につかれてきたかもしれぬ‥‥、
と思ったときには、今日みなさまにお出しした
キリッと冷たくしたジンを使ってお作りすることになる。
火照った体にその冷たさが心地よく、
けれど後から心地良い酔いがやってくる。
そろそろお帰りになる頃合いではございませんか?
という、合図。
それでもまだ‥‥、とおっしゃる方には
ぬるいジンでお作りします。
バーテンダーは、お客様に
「お帰りください」とはいえぬモノ。
お客様が「ああ、酒がまずくなった」と思われて、
はじめてお帰りいただけるモノ。
本当は、お酒がおいしくたのしいままで
お帰りいただくコトが本分。
けれどときにお酒を過ぎてしまわれる方には、
申し訳なく思いつつ、おいしくはないお酒を作って
お召し上がりいただくコトもあるのでございます。
例えば暑い夏の午後。
汗を流してやってこられたお客様には、
キリッと冷やした今日のジン・アンド・ビターズを
お作りすることもございましょう。
寂しい表情をされた方には、
最初からぬるいジン・アンド・ビターズを
お作りすることもあるかもしれぬ。
つまり、このバーには
「いつものジン・アンド・ビターズ」は
置いてないのでございますから。
「いつものあれ」と言われれば、いつものあれに
「感じていただける」であろうお酒を
お出しするしかなくなって、
ココロの奥で、あぁ、申し訳ないと思ってしまう。
だから何卒。
「いつもあれ」ではなく
「いつものような」と言っていただけると、
私どもはココロ穏やかにいつものようなカクテルを作って
お出しすることができるのです。
たしかにレストランでもそうでしょう。
季節季節で変わる食材。
いつも同じ料理ができるはずはない。
お店の人が食べて欲しいと思う料理も
当然、毎回違うはず。
いつも同じ料理を出せるお店っていうのは、
凍ったモノを使っているか、
あるいはおそろしいほどの努力と工夫をしている店で、
たいていの店は「いつものように」
とお願いするのがふさわしい。
いい勉強をいたします。
さてさて来週、このチャプターのしめくくりです。
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