タンカレージンを使って作って差し上げよう‥‥、と、
緑のボトルの横ではじめたカクテル作り。
さぁ、ココでジンを注ごうというそのときに、
ボトルは棚に戻された。
どうするんだろう?
ボクらはドキドキハラハラで、
一体これから何が起こるんだろうって思う。

ウィリアムはカウンターの下にある
ステンレス色の箱の扉を開ける。
中から白い煙がでてきて、
それが床に向かって流れだしていくから
おそらく中は冷たい。
小さなクロスを手にとって、
それでくるんで緑の瓶を一本、
引き出しカウンターの上に置く。
タンカレーのボトルであります。
しかも真っ白に霜がふってて、
瓶が凍っているのがみてとれる。

冷凍庫の中で冷やしておいたモノでございます。

冷たいジンが必要なとき。
氷を入れてかき混ぜれば温度が下がるが、
氷が溶けて水っぽくなる。
だから瓶ごと冷凍庫に入れギンギン冷やす。
冷たくしすぎるとお酒の風味やアルコール分を
感じなくなってしまうから、
凍らせないで冷凍庫の中に
保管しておくこともあるのです。
だから都合、このバーには3本のタンカレーが
異なる温度で保管されているのですよ‥‥、と。
そう言いながら、アンゴスチュラ・ビターズで
コーティングされたグラスに
トクトク、ジンを注いで、さぁ、出来上がり。

「ジン・アンド・ビターズ」というカクテルでございます
とそっとグラスを差し出す。

アルコール分の故に凍ることをまぬかれた、
とろみのついたなめらかなジン。
口に含むと最初は香りがおだやかで、
グラスについたアンゴスチュラ・ビターズの苦い香りが
鼻から抜ける。
口の中を転がすようにビター混じりのジンを
ユックリ味わうと、ジンの香りやピリピリ、
舌をつねるような強いアルコールの刺激が目覚める。
温度が変わるとお酒は変わる。
そのさまざまをコントロールして、
お酒のもっている魅力のすべてを
グラスの中に閉じ込める。
バーテンダーとはスゴイ職業と、そのとき思う。






それからボクらは、
春、夏、冬のお酒を決めてしまおうよ‥‥、
とウィリアムが薦めるお酒をためして決める。
春のリキュールは真っ赤なカンパリ。
炭酸ではなく水で薄めに割ったモノに
レモンをタップリ搾り注いで、
色鮮やかでほろ苦い大人の味の
レモネードみたいな明るい飲み方。
夏のイメージのミントリキュール。
シャルトリューズという
薬草風の特徴のある香りが爽やかで、
緑と黄色でちょっとづつ味が異なる。
ボクはハッカの刺激がより強い黄色い方が好みで
それを、クラッシュアイスに注いだ
フラッペで飲むのがかなり気に入った。
冬の体をあたためるポッテリとした味わいのお酒は
「フランジェリコ」を選ぶことにした。
ヘーゼルナッツの甘い香りが切なくて、
オンザロックでたのしむと口の中でマロンになったり、
カカオだったりいろんな香りになっていく。
冬の長い夜もこれならたのしく過ごせるかもね‥‥、と。
これにフォーマルウェアのクルボアジェと、
ピノ・ノワールにシングルモルトのウィスキーをあわせて
めでたく、基本のお酒が全部決まった。

ボクらはとってもうれしくなって、
ウィリアムに最大級のお礼を言おうと、
「今日はどうもありがとう、お酒が好きになりました」。
「おなじみさんになれるよう、またまいりますので、
 よろしくお願いいたします」と言って握手をします。
手にはそれぞれ10ドル紙幣を折りたたみ、
彼の大きな手のひらの中に押し付け
チップの代わりとしました。

「お役に立てて光栄でございます」と、
バーテンダージャケットの腰の小さなポケットに
チップを押しこみながらニッコリ。
またのお越しをお待ちいたします‥‥、
と軽く会釈をする彼に、何気なくエマが一言。

「いつものをくださいませんか‥‥、って
 いつか言えるようになれるととてもステキですよね」
と。

たしかにボクらは何気なく
「いつのもください」って言うコトがある。
それがあたかもお馴染みさんの証のように何気なく‥‥。

ところがウィリアムはピシャリといいます。

「マダム‥‥、それは粋ではございませんぞ!」と。






たしかにカクテルという飲み物には
厳格にして細密なレシピが用意されている。
計量カップやシェイカー、スプーンを使って
一杯のカクテルを作る様子といえば
あたかも、理科実験室のごときではある。
けれど、そのレシピにも書かれていないコトがあり
例えば温度。
例えばちょっとした間合いであるとか、
それは作り手の判断に委ねられている、
つまり「塩梅」というモノがある。
音楽の世界には楽譜があって、
けれど演奏者の解釈によって、
あるいは聴き手の期待にあわせて、
奏でられる音楽が絶えず異なるのと同じコト。

もし先ほどの、ジン・アンド・ビターズを
何杯も、それだけお飲みになるお客様が
いらっしゃったといたしましょう。
まず最初の一杯は冷蔵庫の中で
適度に冷やしたジンを使ってお作りする。
それがジンの風味を心置きなく味わうことができるから。
2杯目はちょっとビターズの量を増やして差し上げる。
ジンの個性的な香りを
より印象的に味わうコトができるから。
3杯目。
お客様のグラスを口に運ぶペースがユッタリとなり、
お酒につかれてきたかもしれぬ‥‥、
と思ったときには、今日みなさまにお出しした
キリッと冷たくしたジンを使ってお作りすることになる。
火照った体にその冷たさが心地よく、
けれど後から心地良い酔いがやってくる。
そろそろお帰りになる頃合いではございませんか?
という、合図。
それでもまだ‥‥、とおっしゃる方には
ぬるいジンでお作りします。
バーテンダーは、お客様に
「お帰りください」とはいえぬモノ。
お客様が「ああ、酒がまずくなった」と思われて、
はじめてお帰りいただけるモノ。
本当は、お酒がおいしくたのしいままで
お帰りいただくコトが本分。
けれどときにお酒を過ぎてしまわれる方には、
申し訳なく思いつつ、おいしくはないお酒を作って
お召し上がりいただくコトもあるのでございます。

例えば暑い夏の午後。
汗を流してやってこられたお客様には、
キリッと冷やした今日のジン・アンド・ビターズを
お作りすることもございましょう。
寂しい表情をされた方には、
最初からぬるいジン・アンド・ビターズを
お作りすることもあるかもしれぬ。
つまり、このバーには
「いつものジン・アンド・ビターズ」は
置いてないのでございますから。
「いつものあれ」と言われれば、いつものあれに
「感じていただける」であろうお酒を
お出しするしかなくなって、
ココロの奥で、あぁ、申し訳ないと思ってしまう。
だから何卒。
「いつもあれ」ではなく
「いつものような」と言っていただけると、
私どもはココロ穏やかにいつものようなカクテルを作って
お出しすることができるのです。

たしかにレストランでもそうでしょう。
季節季節で変わる食材。
いつも同じ料理ができるはずはない。
お店の人が食べて欲しいと思う料理も
当然、毎回違うはず。
いつも同じ料理を出せるお店っていうのは、
凍ったモノを使っているか、
あるいはおそろしいほどの努力と工夫をしている店で、
たいていの店は「いつものように」
とお願いするのがふさわしい。
いい勉強をいたします。

さてさて来週、このチャプターのしめくくりです。




2012-07-05-THU


© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN