慣れてくると、同じお店で食事をしていても
時と場合で食事の時間が違うことがある。
同じような料理をたのんで‥‥。
同じような混雑具合で‥‥。
にもかかわらず、早く料理が終わったり、
たっぷり時間がかかったり。
イタリア系のごきげんなシェフが
おいしい肉を焼いてくれるステーキレストランに、
1人でいくと、すんなりでてくる前菜代わりのサラダ。
ケンと一緒にいくと10分。
ジャンと一緒にいくと20分。
エマと一緒だと30分ほどたってはじめて運ばれてくる。
近況報告というアペタイザーを食べ終わらないと
サラダの出番がないからなのでしょう‥‥、
ボクらのテーブルを見守るウェイターが
そのタイミングを厨房の中に伝えて料理ができあがる。
調理時間=提供時間じゃないというコトなのですね。
せっかくのたのしい外食。
ユックリ会話をたのしんで、
ちょっとでも長くみんなと過ごしましょう‥‥。
とは言え、食事が終わってからズルズル、
長時間、テーブルに居座るのって粋じゃない。
コンサートに行って、幕が下りてしまったのに
ずっと居座り、アンコールをせびる観客は
嫌われるのと同じコト。
料理自体をユックリたのしみ、
ひとつの料理をたのしんだらば、
その思い出をみんなで語り、
次の料理は一体どんな料理なのかなぁ‥‥、
と、みんなで会話を盛り上げる。
すると当然、料理の提供時間は伸びる。
誰よりも、長く一つのテーブルを独占できるシアワセは、
料理を讃え、評価するおいしい会話が作ってくれる。
あれ、あの人たち、ボクたちよりも
ずっと後からやってきたのに、
もう帰って行ってしまうよ‥‥、かわいそう。
そう言いながら食事をたのしむ機会が
どんどん増えるにしたがって、
ニューヨークのレストランのスピード感に
ボクの体は慣れていく。
何しろボクと一緒に食事をしてくれていた、
ケンにジャンにエマの3人。
料理のコトや、食事のテーブルをにぎやかにする会話を
はじめると止まらぬ人たち。
ボクも彼らに負けぬようにと、一所懸命ついていく。
ついていこうとするのだけれど、
なかなかそれがうまくいかない。
それというのも、ボクはそれまで料理を評価する英語を
知らずに育ってきていた。
学校で、料理のおいしさを表現する
言葉としておそわったのは、「デリシャス」くらいで、
例えば日本で、何を食べても
「これ、おいしい」ばかりでは、
食卓の会話は成立しない。
一所懸命、ボクは勉強。
辞書を見なおしたり、
彼らがしゃべる会話の中から学び取ったりと一所懸命。
ところがちょっと困ったコトがおきました。
どうにもこうにも日本語から訳せぬ言葉が沢山あった。
パリパリ、ポリポリ、フワフワ、パラパラといった
擬音語に当たる言葉が英語になかなか見つからない。
食感に当たる言葉を探しだすのに難儀するのです。
一方、アメリカの人が好んで使う
「セイボリー」という言葉が
一体何を意味するのかというコトを、
学び取るのに同じく難儀してしまう。
その難儀のプロセス、
その意味をしばらく紹介いたしましょう。
次回より、「食事と香り」をテーマの話をはじめます。
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