食べ物と香り。
日本の料理の考え方と、
西洋料理の考え方は大きく異るように感じる。

料亭旅館を経営しながら、
厨房の中の仕事を取り仕切っていたボクのおじぃちゃん。
匂いの強い料理は素人料理。
家庭で飯のオカズや酒の肴としてたのしむ料理で、
料理自体を味わいたのしむ上等なプロの料理は
匂いを自ら主張せぬもの。
香りや匂いは、料理の中に閉じ込めて仕上げるもの‥‥、
とよく言っていた。

そうした料理の典型は、刺身でしょうね。
刺身が匂う。
それはすなわち、悪くなっているという証。
刺身の匂いは口の中にそっと入れ、
噛みしめはじめて香るもの。
鼻先で香る匂いは最小限で、
口から鼻にもどって出ていく香りをたのしむことが、
日本料理の香りをたのしむことなんでしょう。

日本の料理は、蓋を従えやってくることが結構多い。
蓋にはいろいろな意味があるでしょう。
保温のために‥‥。
あるいは、お客様の目の前で蓋をとられるまで、
その姿を隠しているため‥‥。
見せ場は最後の最後まで作らずにという
工夫のための蓋でもある。
それと同時に。
あるいはそうした用途以上に重要なのが
「香りを器の中にずっと閉じ込めていく」
というコトにある。
そんなふうにボクのおじぃちゃんは言っていた。






上等な店ではお店の人がお椀の蓋をとってくれる。
お客様のために蓋をとって差し上げるとき、
料理の香りがお客様の鼻先にまで届くように
蓋のとり方も注意しなくちゃいけないんだ。
だからそのとり方で、
そこの教育が行き届いているかがわかる。
スッと上にただ持ち上げると
香りはそのまま上に向かって消えていく。
蓋をお客様の反対側に開くなんていうのは言語同断。
お椀の中の香りはお客様のためにあるべきもので、
そんな蓋のとり方をするお店の料理は信用できない。
厨房の中でどんなにおいしく出来上がっていても、
お客様がそれを一番いい状態で食べるコトに
気を配らない店の料理は、どこかとぼけたものになる。

蓋がそっと持ち上がった途端に、
それが自分の方にユックリ開き、
蓋の内側の湯気や模様が徐々に姿を表しはじめる。
それと同時に、湯気に混じって香りが
ユックリ花を開かせるようにただよってくる。
そうしたお店の料理は旨い。
何よりそうしたお店の人たちは、
お客様に料理を楽しんでもらうために
何をしなくてはならないかというコトを教えこまれた
良きサービス人。
その蓋を完全に開けてしまう寸前に、
それをちょっとだけ押し出すようにしながら
香りを扇いでくれるような店なら、
すべてをゆだねておいしい時間をたのしめばいい。
日本料理の蓋の扱い。
それは「香りを大切にするかしないか」
というコトなんだよ‥‥、といつも言ってた。
いい店に行った時には、それをいつも思い出し、
サービスの人の蓋取る手元をじっと見る。
たしかにおじぃちゃんの言うことは、
間違ってないと今でも思う。





蓋を自分でとるようなとき。
気軽なお店は大抵そうするモノなんだけど、
そのときは、自分で自分をもてなすつもりで
蓋の取り上げ方に気を配ってみる。
この中には、おいしい匂いが
たっぷり溜まっているんだぞ‥‥。
そう思いながら、蓋にそっと手をのせる。
その匂いを無駄にせぬよう、
ユックリ向こうに傾けながら、自分の方に向かって開く。
もう片方の手で蓋を、覆うようにしながらそっと、
開きつつ息を大きく吸い込むと、
香りが鼻からやってくる。

そして蓋の内側拝見。
当然、蓋が自分の顔の方に向かって近づいてくる。
蓋と一緒に、香りも顔に近づいてきて、
鼻で料理をまず味わえます。
しかも、蓋の内側の湯気の状態。
このお料理が、厨房からココに至るまで
どんな扱いを受けてきたかを証言します。
細かな水滴がたっぷりついているようなとき。
あぁ、この料理は
とても大切に扱われてきたんだなぁ‥‥、と思えば良い。
器の温度と料理の温度がそれほど変わらず、
しかも短時間に運ばれてきたという証。
熱い料理を冷たい器に入れてすぐに蓋したり、
できて暫く放置してると
冷えた蓋が湯気をたちまち大きな水滴にしてしまう。
それはときに、ポタポタ料理の上におちて、
せっかくの料理を台無しにする。
そんなときには香りも
名残になってしまっていることも多い。

料理の香りを台無しにせぬように
そっと、そしてやさしく蓋を扱う。
その仕草はとてもやさしくみえて、
料理を愛している人のようにみえるのもいい。
だからずっと器の蓋をとるときには気を使っている。
そして得をしているようにも思います。
料理を気遣うお店の人にも、
日本料理の大切なところを知っている人だなぁ‥‥、
と思われて。




それにしても日本の料理の香り。
蓋で閉じ込め、それをエレガントに、
しかも慎重に開いて
鼻先にとどけなければわからぬほどに仄かな香り。
艶福家で色っぽいことが大好きだった
ボクのおじぃちゃんは
「風呂から上がったばかりのすっぴんのお嬢さん」
のようだと言ってた。
浴衣を脱いではじめて香る
石鹸のような料理なんじゃよ‥‥、と。
白粉(おしろい)臭い料理は
粋じゃないんだともいいながら、
けれど西洋料理は香水をまとった
大人のいい女の匂いがするんだ。
それもときにはいいもんなんじゃ‥‥、と、
幸せそうな顔をしながらいいうのをずっと聞きながら、
育ったボクが出会った西洋料理の世界。
さて、来週にいたいましょう。


2012-07-26-THU


© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN