この連載の第一シーズン。
そこで「先味・中味・後味」という話をしたのを
ご記憶でしょうか?

レストランでたのしむ料理には、
3つの味が備わっている。
料理を実際、味わう前の期待感。
それが先味。
器であったり見た目であったり、
あるいはお店の雰囲気だったり、
実際に、料理をたのしむ前に感じるおいしさ。
それが先味。
中味というのは、料理を食べたときの味わい。
食べ終わっての満足感を含む余韻が後味という、
レストランのたのしみを構成する3つの味。
このバランスが、
それぞれのお店の特徴を決めるのですね。

例えば立ち食いのお店なんかは、
中味だけが突出している。
「味が勝負」という業態。
一方、カフェなんていうのは延々、
後味が続くのどかな業態で、
中味である料理の味を期待しても
しょうがなかったりするのです。




そして実は、料理の香りにも
「先味・中味・後味」がある。

口にする前に香ってくる料理の香り。
口の中に入ってはじめて料理が発するおいしい匂い。
食べ終わってなお、鼻から抜けて漂う料理の香りの名残。

料理によってその濃淡はそれぞれ異なり、
同じ料理であっても時間の経過によって
香りの印象が大きく変わったりするモノなのです。
それはあたかも時のうつろいに応じて
香りをユルリと変える香水のごとし。
トップノート。
ミドルノート。
ラストノート。
香水をつけたばかりのトップノートは香りがキツく、
人にあう直前に香水をつけるのは粋じゃない。
マナー違反でもあるんだよ‥‥、と、
そんな香水のルールのことなんか知りはしない
ボクのおじぃちゃん。
こんなコトをよく言っていた。

いいオンナというのは着物を脱いで、
はじめていい匂いがしてくるようなオンナなんだ。
香水をプンプンさせたオンナは好かん。
しかも脱ぎそうでなかなか脱がないオンナが
一番、上等なんだ‥‥、と。
同じように、匂いをプンプンさせる料理や店は
本当に上等なモノとはいえないんだよ。

そういうおじぃちゃんの店の名物は鰻料理で、
昼時にいくと鰻が焼ける匂いが店先にまで漂っていた。




そういうボクをおじぃちゃんは
「今日のことはお父さんやおかぁさんには
 言うんじゃないぞ」と言いながら、
ボクをとある店に連れてく。
街で一番の鰻の料亭。
テーブル席でいいからと、
それでも案内されたところは小さな個室で
お店の中には煙の匂いすらどこにもない。
日本酒をぬる燗でまずはもらおうか。
この子にはオレンジジュースでもやっておくれよ。
まずは「うざく」と「う巻き」をもらって、
それでうな重。
小さくていいから上等なのを‥‥、と。
手慣れた調子で注文をする。

それから延々。
40分ほども待ちましたか。
おじぃちゃんはお銚子2本を
ちびりちびりと味わいながら、
ボクはひたすら空腹をこらえて、
そしてやってきたうな重。
漆のお重に蓋をして、
やってきたそれの蓋をとった途端に
部屋を満たす鰻のおいしい香りに、
もうそれだけでお腹が満たされるようなシアワセを
ボクは感じた。

ココは注文をしてから鰻を割いて、蒸してそれから焼く。
だからこうして時間がかかる。
うちの鰻は早く提供しなくちゃいかん。
だから事前に割いて蒸してる。
注文が入ってするのは焼くだけ。
だからおいしく感じてもらうために、
食べる前から焼いてる匂いでもてなしている。
この部屋に鰻が焼ける匂いがずっとしてたらどうする?
お腹が空いてしょうがなくなる。
なにより、料理を食べる前から
鰻の匂いで腹が一杯になっちゃうだろう。
料理の匂いは最後の最後にやってくる、
主役じゃなくちゃいかんのだ。

そういえば今まで出ていた料理も
ほとんど、香りが淡い料理ばかりだったよね。
うざくのキュウリは緑の香り。
う巻きも玉子の香りが主役で、
それぞれ鰻の蒲焼きを使った料理ではあるけれど、
鰻の香りは最小限。
だからこうしてうな重がやってきたときに、
おいしい匂いと思えたんだネ。

そういうボクに、それが「香りの先味」なんじゃよ。
お前は本当に物分かりがいい。
いい跡取りになるに違いない、と褒めつつ、
冷酒ちょうだいと注文し、
ご飯の上の鰻だけをつまみに酒をちびちびとやる。
ご飯は食べないの? と聞いたら、
最後に茶漬けにするんだ‥‥、と。
そしてうんちく、ひとくさり。




料理を作る匂いがしない店というのは、
厨房が遠くにあるというコトでもある。
こうした店で、鰻の蒲焼きのような料理をとるのは無粋。
厨房から、テーブルにもってくる途中で
料理が冷めてしまうから。
中には器を上げ底にして、
そこに熱々のお湯を注いで器自体を温める。
そんなもてなしをする店もある。
けれどそれはあまりに大げさ。
こうしてうな重にしてもらえば、
熱々ご飯でずっと鰻が温かい。
だから見てごらん。
鰻の下のご飯はうっすらしてるだろう‥‥?

たしかにおじぃちゃんの鰻の下には
ほんの申し訳程度のご飯がうっすら盛られただけだった。
ところがボクのうな重は、ご飯がタップリ。
ほら、こんなに一杯、ご飯が入っているんだよ‥‥、
って見せたおじぃちゃんの顔がほころぶ。
酒をたのまぬ子供には、ご飯をタップリ。
気が効いてるなぁ‥‥、気に入った。
メロンをおくれと、中居さんを呼んで
2人で熟したメロンを食べて〆。

「ツケでよろしく」と帰ったじぃちゃん。
1ヶ月ほど後に
おばぁちゃんから呼びつけられたボクと一緒に叱られた。
あんなお店で散財して。
いや、大切な孫の勉強にと思ってなぁ‥‥、
と言い訳をするじぃちゃんに、
「酒とメロンは余分でござんしょ」と、
それから暫くボクは店を手伝うはめとなったのでした。

日本の食と香りの関係‥‥、さて来週に続きます。




2012-08-02-THU


© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN